「あさり・さくら保育所公開保育、研修会開催のお知らせ」
子ども一人ひとりの発達に応じた保育を考えていく
「語ろう会」を立ち上げてから1年が経ちました。
現在の参加園は江津市2園、益田市2園、邑南町6園の計10園。
このあたりで一度研修会を行ってみようということになり、
今回の研修会を計画しました。
いろんなところに声をかけたところ、
全国各地から集まってくれることに。
子ども一人ひとりを大切にすること、
子どもの自発的な活動を生み出す環境、
子ども同士の関わりの重要性、
これからの社会を考えたときのリーダーのあり方、
そんなことをみんなで熱く語り合いましょう。
興味のある方はぜひどうぞ。
◎日程
●12月6日(火)
09:00~12:00 あさり・さくら保育所見学
12:30~13:00 昼食(地場産センター2階)
13:30~16:00 研修会(地場産センター2階)
・各地の意見交換会
・藤森平司氏によるまとめ
18:00~20:00 懇親会
●12月7日(水)
09:30~12:00 研修会(地場産センター2階)
・藤森平司氏講演「リーダーのあり方」
◎会費
研修参加費 5,000円(初日のみ、2日目のみの方は3,000円)
◎現在の申し込み状況
県内:江津市、益田市、川本町、邑南町の保育園・幼稚園関係者
県外:秋田、東京、茨城、埼玉、神奈川、福岡、長崎、熊本の保育園・幼稚園関係者
◎申し込み・問い合わせ先
あさり保育所(島根県江津市浅利町336-4)
Mail:m-aiyama@hana-mura.net
TEL:0855-55-1024 FAX:0855-55-1084
2011年10月30日
2011年10月28日
No.217 保育参観がありました
25日、26日と保育参観が行われました。今回の保育参観は「子どもたちの普段の活動を一緒に体験してもらい、どのようなことを大切にしているかを感じてもらう」という思いがありました。風も少し強く、肌寒い天気でありましたが、そんな中でもいろんなことを感じてもらえたのではないかと思っています。連絡帳にうれしい感想が書かれていたので、その一部をここで紹介させてもらいます。
「自然の木によじ登る姿を見てたくましく思いました。普段見られない姿だったので、とてもよい保育参観になりました。」
「ウォークラリーは私が夢中になってしまうほど楽しかったです。子どもともゆっくり過ごせて楽しい時間になりました。」
「『もくもくの場所に行かせてもらってすごくよい場所だった。こんなところで遊ばせてもらってたなんて!!』とお父さんはとっても感動していました。」
活動は児童公園でのネイチャーゲームと、「もくもくの日」で活動している場所でのウォークラリーでした。普段の散歩でも「もくもくの日」でも、五感を使って自然の中で活動することを大事にしています。そのことを保護者のみなさんと一緒により楽しく体験できないか、F保育士が中心になって考えた内容です。ゲーム形式にすることで私たちもいつもとは違う視点で自然に目を向けることができ、新しい発見もありました。子どもたちだけではなく、保護者のみなさんにも楽しんでもらえたのではと思っています。
そしてなんと言っても活動の拠点である浅利町を、みなさんと一緒にあらためて体験したいという思いがありました。「地域を知る」というテーマを持ち、浅利町にはどんな場所があるかを子どもたちと一緒に遊びながら調べてきました。そこで見つけた場所が散歩の目的地になったり、「もくもくの日」の活動場所になったりしています。自分は江津市の○○で育ったという風に所属感を感じることが、子どもたちの情緒の安定には欠かせません。その所属感は自発的な活動の支えになります。この地域で楽しく遊ぶ体験が所属感につながっていき、そしてこの地域を大切にしようという思いが生まれることにもつながります。浅利町にはどんな楽しい場所があるかを知るために探検したり、もっと楽しく遊ぶことはできないか工夫したり、そんなことをこれからも子どもたちと一緒に続けていきたいと思っています。
「自然の木によじ登る姿を見てたくましく思いました。普段見られない姿だったので、とてもよい保育参観になりました。」
「ウォークラリーは私が夢中になってしまうほど楽しかったです。子どもともゆっくり過ごせて楽しい時間になりました。」
「『もくもくの場所に行かせてもらってすごくよい場所だった。こんなところで遊ばせてもらってたなんて!!』とお父さんはとっても感動していました。」
活動は児童公園でのネイチャーゲームと、「もくもくの日」で活動している場所でのウォークラリーでした。普段の散歩でも「もくもくの日」でも、五感を使って自然の中で活動することを大事にしています。そのことを保護者のみなさんと一緒により楽しく体験できないか、F保育士が中心になって考えた内容です。ゲーム形式にすることで私たちもいつもとは違う視点で自然に目を向けることができ、新しい発見もありました。子どもたちだけではなく、保護者のみなさんにも楽しんでもらえたのではと思っています。
そしてなんと言っても活動の拠点である浅利町を、みなさんと一緒にあらためて体験したいという思いがありました。「地域を知る」というテーマを持ち、浅利町にはどんな場所があるかを子どもたちと一緒に遊びながら調べてきました。そこで見つけた場所が散歩の目的地になったり、「もくもくの日」の活動場所になったりしています。自分は江津市の○○で育ったという風に所属感を感じることが、子どもたちの情緒の安定には欠かせません。その所属感は自発的な活動の支えになります。この地域で楽しく遊ぶ体験が所属感につながっていき、そしてこの地域を大切にしようという思いが生まれることにもつながります。浅利町にはどんな楽しい場所があるかを知るために探検したり、もっと楽しく遊ぶことはできないか工夫したり、そんなことをこれからも子どもたちと一緒に続けていきたいと思っています。
2011年10月21日
No.216 人の興味はいろいろです
先日、釣りが大好きな知り合いからびっくりするような話を聞いたのですが、立派な釣り竿ってパソコン1台分くらいの金額のものがあるみたいですね。さらにはパソコン3台分くらいの金額の鮎釣り用の竿もあるとかで。釣りをしている方からすると「そんなの常識だよ」という話かもしれませんが、釣りをしない私にとっては驚きの事実だったわけです。私はパソコンとかに強い興味を持っているため、話を聞きながら釣り竿をパソコンと比較して考えてしまったのですが、旅行が大好きという方だったら、海外旅行に何回行けるかな?なんて考えてしまうのかもしれません。
釣りは面白くないとか立派な釣り竿なんて意味がないとか、そんなことを言ってるわけではないんです。人それぞれ興味を持つ対象は違っていて、考え方もいろいろあって、だから全体としていい感じにバランスがとれているんだと思います。自分の興味を基準にして「何故そんなものに興味を持つの?」と理解を示さないとしたら、他者との関係は少し難しくなってしまうんじゃないか、そんなことを改めて考えされられたわけです。人はどうしても自分の興味に従って行動しますし、自分の基準でモノの価値を捉えてしまいます。そのことを理解した上で、他者の興味や基準に向き合うことは大事なことなんですよね。
なんだか変な話になってしまいました。何が言いたいかというと、この話を子どもに置き換えて考えてみたいのです。子どもは「何故?」と思うようなものに興味を示すことはみなさんもよくご存じだと思います。その辺に落ちている小石や木の棒を宝物のように大事に持って帰ってきたり、虫を見つけると飽きることなく追い回してみたり。子どもには子どもの興味・関心があり、それは大人にはなかなか理解できないことかもしれません。いや、理解できるんだけど、それ以上に優先すべき(と思っている)ことが大人にはあって、子どもの興味を全て受け入れることはできないのかもしれません。でも、それがどんなに大人からするとくだらないと思えてしまうことであったとしても、その「くだらなさ」に付き合ってあげることも大人の役目だと思うんです。
人の興味・関心は様々です。特に子どもは自分の興味のあるものから少しずつ世界を広げていきますし、その興味に没頭する体験を経てユニークな「自分」を作り上げていく大事な時期でもあります。子どもの興味・関心には大切が意味があることを理解し、時には少し腰を据えて付き合ってあげる余裕を持っていたいものです。「くだらなさ」が「おもしろさ」に思えてくるかもしれませんよ。
釣りは面白くないとか立派な釣り竿なんて意味がないとか、そんなことを言ってるわけではないんです。人それぞれ興味を持つ対象は違っていて、考え方もいろいろあって、だから全体としていい感じにバランスがとれているんだと思います。自分の興味を基準にして「何故そんなものに興味を持つの?」と理解を示さないとしたら、他者との関係は少し難しくなってしまうんじゃないか、そんなことを改めて考えされられたわけです。人はどうしても自分の興味に従って行動しますし、自分の基準でモノの価値を捉えてしまいます。そのことを理解した上で、他者の興味や基準に向き合うことは大事なことなんですよね。
なんだか変な話になってしまいました。何が言いたいかというと、この話を子どもに置き換えて考えてみたいのです。子どもは「何故?」と思うようなものに興味を示すことはみなさんもよくご存じだと思います。その辺に落ちている小石や木の棒を宝物のように大事に持って帰ってきたり、虫を見つけると飽きることなく追い回してみたり。子どもには子どもの興味・関心があり、それは大人にはなかなか理解できないことかもしれません。いや、理解できるんだけど、それ以上に優先すべき(と思っている)ことが大人にはあって、子どもの興味を全て受け入れることはできないのかもしれません。でも、それがどんなに大人からするとくだらないと思えてしまうことであったとしても、その「くだらなさ」に付き合ってあげることも大人の役目だと思うんです。
人の興味・関心は様々です。特に子どもは自分の興味のあるものから少しずつ世界を広げていきますし、その興味に没頭する体験を経てユニークな「自分」を作り上げていく大事な時期でもあります。子どもの興味・関心には大切が意味があることを理解し、時には少し腰を据えて付き合ってあげる余裕を持っていたいものです。「くだらなさ」が「おもしろさ」に思えてくるかもしれませんよ。
子どもの食事のあり方②
おむすび通信に食事に対しての思いを書かせてもらっています。3回連続で、これが2回目の文章です。修正が入るかもしれないですし全く別の文章に書き直すこともあるかもしれませんが、せっかく書いたのでここにも載せておくことにします。
前回はあさり保育所の食事がどのように変わっていったかについて書きました。今回は少し違う視点から食事についての思いを書いてみようと思います。
子どもの食事を考えるとき、子どもに限ったことではないのかもしれませんが、細かなこと(例えば○○の栄養素が△△グラムは必要といったこと)を真面目に考えようとすればするほど、食事は難しくなってしまうんだろうと感じています。食事の本質を考えてみると、本来は生きていくための活動をするためにあるものだと思います。子どもたちにとっての主な活動は“遊び”ですが、全身を十分に使って夢中になって遊び、その結果「おなかすいたー!」と感じる感覚こそ食事には欠かせない要素だと思うのです。
そのときに子どもが求めるものは、幕内先生がよく言われているようにピーマンやほうれん草ではなく、やはりごはんなんですよね。遠足に出かけていつも以上に動き回った子どもたちがとても満足そうにおにぎりを頬張っている姿を見たりすると、やはりこれが自然な姿なんだろうなとつくづく感じます。子どもが空腹を感じているときに求めるものが子どもにとって必要なものと捉えること、つまり、子どもは自分に必要な食べ物を選ぶ力を持っていると大人が信じることが、子どもの食事をシンプルに考えるための入り口なのではないかと思っています。
話は変わりますが、あさり保育所の食事はバイキング形式で行っています。それぞれが自分で食べきれる量を伝えて当番さんに盛り付けてもらうというやり方です。自分で食べられる量を見通すことが目的なので、盛りつけてもらう量は一人ひとり違ってきます。おなかがすいている子は多めに盛ってもらったり、苦手な食べ物がある場合は少しだけにしておいたりと、子どもたちが自分自身に問いかける場でもあります。よく苦手なものは少しでもいいというやり方だといつまでたってもしっかりと食べられるようにならないのでは?という質問があったりしますが、苦手なものを無理に食べさせることよりも隣でそれを美味しそうに食べる他の子どもや大人の姿を見せることを大事にすべきだと、子どもたちの姿を見ていて教わりました。
子ども集団にはすごい力があって、例えば友だちが食べているから自分も食べてみようとか、友だちに負けたくないからと競うようにして食べてみたりとか、無理に食べさせようとしなくても自分から食べ始めるといったことはよく見かける光景です。そして、自分が苦手なものを大人が美味しそうに食べている姿は記憶に残っていたりするものですよね。それが大きくなったときに自分が食べることにつながったり、ということは多くの人が経験していることではないでしょうか。そして何より、無理に…となってしまうと大切にすべき「楽しさ」が失われてしまいます。
食事の美味しさは、味が美味しいことはもちろんありますが、「楽しさ」も大きな要素だと思っています。気の合う友だちと会話をしながら食べる楽しさとか、自分が収穫したり調理したりしたものを食べる楽しさとか、様々な楽しさが大事だということは私たち大人も体験を通して学んでいます。この楽しさを食事の場にどう取り入れるかということも、子どもの食事を考える上で欠かせないことだと考えています。もしも好き嫌いなく何でも食べてもらおうと考えるのであれば、尚更そのことにとらわれ過ぎずに食事のあり方を広く捉えてみることも必要ではないかと思っています。「木を見て森を見ず」にならないよう、森(食事全体)を豊かにする視点をもっと磨いていきたいと考えているところです。
前回はあさり保育所の食事がどのように変わっていったかについて書きました。今回は少し違う視点から食事についての思いを書いてみようと思います。
子どもの食事を考えるとき、子どもに限ったことではないのかもしれませんが、細かなこと(例えば○○の栄養素が△△グラムは必要といったこと)を真面目に考えようとすればするほど、食事は難しくなってしまうんだろうと感じています。食事の本質を考えてみると、本来は生きていくための活動をするためにあるものだと思います。子どもたちにとっての主な活動は“遊び”ですが、全身を十分に使って夢中になって遊び、その結果「おなかすいたー!」と感じる感覚こそ食事には欠かせない要素だと思うのです。
そのときに子どもが求めるものは、幕内先生がよく言われているようにピーマンやほうれん草ではなく、やはりごはんなんですよね。遠足に出かけていつも以上に動き回った子どもたちがとても満足そうにおにぎりを頬張っている姿を見たりすると、やはりこれが自然な姿なんだろうなとつくづく感じます。子どもが空腹を感じているときに求めるものが子どもにとって必要なものと捉えること、つまり、子どもは自分に必要な食べ物を選ぶ力を持っていると大人が信じることが、子どもの食事をシンプルに考えるための入り口なのではないかと思っています。
話は変わりますが、あさり保育所の食事はバイキング形式で行っています。それぞれが自分で食べきれる量を伝えて当番さんに盛り付けてもらうというやり方です。自分で食べられる量を見通すことが目的なので、盛りつけてもらう量は一人ひとり違ってきます。おなかがすいている子は多めに盛ってもらったり、苦手な食べ物がある場合は少しだけにしておいたりと、子どもたちが自分自身に問いかける場でもあります。よく苦手なものは少しでもいいというやり方だといつまでたってもしっかりと食べられるようにならないのでは?という質問があったりしますが、苦手なものを無理に食べさせることよりも隣でそれを美味しそうに食べる他の子どもや大人の姿を見せることを大事にすべきだと、子どもたちの姿を見ていて教わりました。
子ども集団にはすごい力があって、例えば友だちが食べているから自分も食べてみようとか、友だちに負けたくないからと競うようにして食べてみたりとか、無理に食べさせようとしなくても自分から食べ始めるといったことはよく見かける光景です。そして、自分が苦手なものを大人が美味しそうに食べている姿は記憶に残っていたりするものですよね。それが大きくなったときに自分が食べることにつながったり、ということは多くの人が経験していることではないでしょうか。そして何より、無理に…となってしまうと大切にすべき「楽しさ」が失われてしまいます。
食事の美味しさは、味が美味しいことはもちろんありますが、「楽しさ」も大きな要素だと思っています。気の合う友だちと会話をしながら食べる楽しさとか、自分が収穫したり調理したりしたものを食べる楽しさとか、様々な楽しさが大事だということは私たち大人も体験を通して学んでいます。この楽しさを食事の場にどう取り入れるかということも、子どもの食事を考える上で欠かせないことだと考えています。もしも好き嫌いなく何でも食べてもらおうと考えるのであれば、尚更そのことにとらわれ過ぎずに食事のあり方を広く捉えてみることも必要ではないかと思っています。「木を見て森を見ず」にならないよう、森(食事全体)を豊かにする視点をもっと磨いていきたいと考えているところです。
2011年10月19日
子どもの食事のあり方①
私は2002年から保育の仕事に関わるようになったのですが、その時から「子どもにとって必要な食事とはどんなものなんだろう?」ということを、漠然とではありますが考えていました。食べ方、食べさせ方、野菜の栽培活動からクッキングなど、そんな情報はたくさんあったのですが、“何を食べるか”の情報が以外と少なく、また、あったとしてもまるでレストランのメニューのような内容だったりで、これだ!というものになかなか出会えずにいました。
そんな悩みを抱えていたある日、保健所の方が監査に来られ、保育所の献立等のチェックが行われました。その時の担当者が言われたことに軽い衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。「カルシウムが少し足りないですね。そんな時は牛乳をいろんな料理に入れてみるといいですよ。例えば酢の物に牛乳を入れるとか…。」牛乳を入れるとより美味しくなるとか、より食べやすくなるとかならまだ分かるのですが、カルシウムが足りないから牛乳を…といった考えで作り上げていった食事が果たして本来の食事のあり方なのかと、その言葉を聞いた後、何度も何度も考えました。
栄養素について考えることが無駄だとは思っていません。でも栄養素から献立を考えることって、極端な話ですが、行き着く先は『必要な栄養素を確保できるだけのサプリメントの摂取で十分』なんてことになってしまうと思うんです。食事ってそんなものじゃないですよね。その時期にとれるもの、その土地でとれるものをいかに美味しく食べていくかという知恵を、私たちはたくさん受け継いできています。その時期にとれるものにはその時期に必要なものが、その土地でとれるものにはその土地で暮らす人にとって必要なものがたくさん詰まってる、そんな大きな視点で食を考えることが今は欠けてきているのかなあと思ったりもします。そんな大きな視点の中に、子どもたちの食を考える上での大きなヒントがあると、あらためて考えたわけです。
その意味では、幕内先生と出会い、食事について更に考えを深めるきっかけをもらえたことはありがたかったと思っています。まず保育所での食事の主食は全てごはんとし、当然おかずもごはんに合うものへと変えました。おやつも大事な第4の食事と捉え、おにぎりに変えました。そのように変えたことで「子どもたちは美味しく食べてくれるだろうか」とか「おやつがおにぎりばかりでは子どもたちが不満を言うのではないか」といった心配も多少はありました。でもそんなことは杞憂にすぎませんでした。子どもたちは食事内容を変更したことで、今まで以上に意欲的に食べるようになったんです。ごはん、味噌汁、おかずという至ってシンプルな食事ですが、始めた当初と1年後を比べると米の消費量が約3割も増え、そして残食は減りました。また、当たり前のことではあるのですが、ごはんに合うおかずを作っていくことで油の使用量が大幅に減ったことも、調理担当者とともに驚いたことです。さらに、おやつをおにぎりにしたことで夕方までしっかりと遊ぶ子が増えるという変化も見られました。胃袋がまだ小さい子どもが一日通して元気に活動するためには、おやつに何を食べるかがとても重要だと確認することができました。
このように食事内容の見直しによっての子どもたちの変化はうれしいことが多くありました。やはりどのような食事内容にするかは重要なわけですが、それ以外の“食にどこまで関わるか”や“どんな食事の場を用意するか”ということも、子どもの食を考える上では非常に重要だと思っています。次回はそんなことにも触れてみたいと思います。
※おむすび通信vol.68(2011年10月)に掲載されたものです。
そんな悩みを抱えていたある日、保健所の方が監査に来られ、保育所の献立等のチェックが行われました。その時の担当者が言われたことに軽い衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。「カルシウムが少し足りないですね。そんな時は牛乳をいろんな料理に入れてみるといいですよ。例えば酢の物に牛乳を入れるとか…。」牛乳を入れるとより美味しくなるとか、より食べやすくなるとかならまだ分かるのですが、カルシウムが足りないから牛乳を…といった考えで作り上げていった食事が果たして本来の食事のあり方なのかと、その言葉を聞いた後、何度も何度も考えました。
栄養素について考えることが無駄だとは思っていません。でも栄養素から献立を考えることって、極端な話ですが、行き着く先は『必要な栄養素を確保できるだけのサプリメントの摂取で十分』なんてことになってしまうと思うんです。食事ってそんなものじゃないですよね。その時期にとれるもの、その土地でとれるものをいかに美味しく食べていくかという知恵を、私たちはたくさん受け継いできています。その時期にとれるものにはその時期に必要なものが、その土地でとれるものにはその土地で暮らす人にとって必要なものがたくさん詰まってる、そんな大きな視点で食を考えることが今は欠けてきているのかなあと思ったりもします。そんな大きな視点の中に、子どもたちの食を考える上での大きなヒントがあると、あらためて考えたわけです。
その意味では、幕内先生と出会い、食事について更に考えを深めるきっかけをもらえたことはありがたかったと思っています。まず保育所での食事の主食は全てごはんとし、当然おかずもごはんに合うものへと変えました。おやつも大事な第4の食事と捉え、おにぎりに変えました。そのように変えたことで「子どもたちは美味しく食べてくれるだろうか」とか「おやつがおにぎりばかりでは子どもたちが不満を言うのではないか」といった心配も多少はありました。でもそんなことは杞憂にすぎませんでした。子どもたちは食事内容を変更したことで、今まで以上に意欲的に食べるようになったんです。ごはん、味噌汁、おかずという至ってシンプルな食事ですが、始めた当初と1年後を比べると米の消費量が約3割も増え、そして残食は減りました。また、当たり前のことではあるのですが、ごはんに合うおかずを作っていくことで油の使用量が大幅に減ったことも、調理担当者とともに驚いたことです。さらに、おやつをおにぎりにしたことで夕方までしっかりと遊ぶ子が増えるという変化も見られました。胃袋がまだ小さい子どもが一日通して元気に活動するためには、おやつに何を食べるかがとても重要だと確認することができました。
このように食事内容の見直しによっての子どもたちの変化はうれしいことが多くありました。やはりどのような食事内容にするかは重要なわけですが、それ以外の“食にどこまで関わるか”や“どんな食事の場を用意するか”ということも、子どもの食を考える上では非常に重要だと思っています。次回はそんなことにも触れてみたいと思います。
※おむすび通信vol.68(2011年10月)に掲載されたものです。
2011年10月14日
No.215 過去の体験が結びついて
毎月第2第4水曜日には地域の方が絵本や紙芝居の読み聞かせに来てくれています。毎回2名の方が来られ、ぞう・きりん・くま組とぱんだ・うさぎ・りす組の2グループに分かれて読んでもらっています。子どもたちは絵本のおもしろさを十分に楽しんでいますし、何より地域の方の人柄などにじっくり触れることができ、そして地域の方にあさり保育所の子どもたちのことを知ってもらえる、本当に貴重な機会と捉えています。
そんな読み聞かせですが、今週のぱんだ・うさぎ・りす組の読み聞かせはいつもと少し違っていました。いつもは部屋の中で読んでもらうのですが、今回は園庭です。どんな様子か気になったので見に行ってみると、穏やかないい雰囲気でした。外なので決してしーんとした静かな環境ではないですが、写真のこの様子、結構いい雰囲気だと思いませんか?
子どもたちの生活や遊びの環境をどう作っていくかということに関しては未だに試行錯誤を続けています。遊びのスペースをどこにどのくらいの広さで用意するかとか、この活動はどこでどの時間に行うかとか、いろんなことを試しながら子どもたちにとって意味のあるものを探し続けていきたいという思いです。そんなときに役に立つのは様々な過去の体験です。過去に行った体験が今行っていることと結びついたらもっと楽しいことができるんじゃないかとか、そのように「どんな体験をどう結びつけるか」を考えることは大事だと思っています。今回の園庭での読み聞かせも、過去の別の体験が読み聞かせと結びついたもので、こんなことは他にもたくさんあります。
それと同じように、子どもの遊びも過去の体験が大きく影響してきます。例えば家での食事の準備や掃除の様子を見たことがごっこ遊びで生かされ遊びが発展したり、例えば大きな船に乗ったりした体験が積木遊びで生かされ船を作る子が出てきたり。そんなの当たり前と思われるかもしれませんが、当たり前のことが当たり前に行われることが子どもの育ちには大事なことなんですよね。「もくもくの日」では子どもたちは自然を目一杯感じながら活動しています。そこでの体験が別の遊びで生かされるはずです。その他の体験も同じです。子どもたちの様々な体験、豊かな体験を大事にしていきたいですね。
そんな読み聞かせですが、今週のぱんだ・うさぎ・りす組の読み聞かせはいつもと少し違っていました。いつもは部屋の中で読んでもらうのですが、今回は園庭です。どんな様子か気になったので見に行ってみると、穏やかないい雰囲気でした。外なので決してしーんとした静かな環境ではないですが、写真のこの様子、結構いい雰囲気だと思いませんか?
子どもたちの生活や遊びの環境をどう作っていくかということに関しては未だに試行錯誤を続けています。遊びのスペースをどこにどのくらいの広さで用意するかとか、この活動はどこでどの時間に行うかとか、いろんなことを試しながら子どもたちにとって意味のあるものを探し続けていきたいという思いです。そんなときに役に立つのは様々な過去の体験です。過去に行った体験が今行っていることと結びついたらもっと楽しいことができるんじゃないかとか、そのように「どんな体験をどう結びつけるか」を考えることは大事だと思っています。今回の園庭での読み聞かせも、過去の別の体験が読み聞かせと結びついたもので、こんなことは他にもたくさんあります。
それと同じように、子どもの遊びも過去の体験が大きく影響してきます。例えば家での食事の準備や掃除の様子を見たことがごっこ遊びで生かされ遊びが発展したり、例えば大きな船に乗ったりした体験が積木遊びで生かされ船を作る子が出てきたり。そんなの当たり前と思われるかもしれませんが、当たり前のことが当たり前に行われることが子どもの育ちには大事なことなんですよね。「もくもくの日」では子どもたちは自然を目一杯感じながら活動しています。そこでの体験が別の遊びで生かされるはずです。その他の体験も同じです。子どもたちの様々な体験、豊かな体験を大事にしていきたいですね。
2011年10月13日
唐突ですが、価値観のことについて
全く唐突ですが、
価値観のことについて書いてみたくなりました。
もし価値観が多様でない場合、
例えば「テストで何点とるか」という
たったひとつのものさしの中での競争が長く続いていると、
本来ならその先にあるはずの目的を
いつの間にか忘れてしまうと思うんですよね。
「いかにテストで高得点をとるか」という技術のみが向上して
さらにはその技術の習得にうまく適応できた人だけが残って
本来の目的なんてどこかに消えてしまっている
そんなことが起こってしまいそうです。
いや、すでにそんな状況はあちこちにあるような気もします。
ほんとに唐突に思いついたのでまとめはありませんが、
もしも価値観が多様であるなら状況は全く変わってくるでしょうね。
本来の目的も消えることなく、
むしろもっともっと大きなものに育つんじゃないでしょうか。
価値観のことについて書いてみたくなりました。
もし価値観が多様でない場合、
例えば「テストで何点とるか」という
たったひとつのものさしの中での競争が長く続いていると、
本来ならその先にあるはずの目的を
いつの間にか忘れてしまうと思うんですよね。
「いかにテストで高得点をとるか」という技術のみが向上して
さらにはその技術の習得にうまく適応できた人だけが残って
本来の目的なんてどこかに消えてしまっている
そんなことが起こってしまいそうです。
いや、すでにそんな状況はあちこちにあるような気もします。
ほんとに唐突に思いついたのでまとめはありませんが、
もしも価値観が多様であるなら状況は全く変わってくるでしょうね。
本来の目的も消えることなく、
むしろもっともっと大きなものに育つんじゃないでしょうか。
2011年10月7日
No.214 おもてなしの心
毎月行っているカレークッキングですが、9月から新たな取り組みを開始しています。もうご存じだと思いますが、お世話になっている地域の方をお招きして一緒にカレーを食べていただくという取り組みです。今月は5日(水)に行われ、まだまだこれからあり方を点検する必要もあると思うのですが、子どもたちのとても素敵な姿が見られたので紹介します。
今回のお客さんは2人で、11時30分頃に来られる予定でした。そのことをお集まりで聞いて楽しみにしていたんでしょう。11時になるとぞう組のYくんは玄関にスリッパを出してくれていました。そしてお客さんが来られて、食事の準備が整うまでの間は不思議ゾーンでお茶を飲んで待ってもらうことにしていました。そこへお茶を運んでくれたのはぞう組のTくんです。食事の準備ができると、ぞう組のHちゃんがお客さんを呼びに来てくれました。ランチルームでは、きりん組のNちゃんがお客さんの席を用意し笑顔で招いてくれました。席に着かれたお客さんのところへカレーライスを運んでくれたのは、ぞう組のSちゃんときりん組のIくんでした。
これらのことは、全て子どもたちが自分たちで考えて行動してくれたことです。これはまさに「おもてなしの心」の実践で、子どもたちには大事に育ててもらいたいと思っている心です。この「おもてなしの心」は日本人が昔から大事にしてきたことで、日本人の道徳心の基礎ともいえる武士道では「礼」という言葉で表現されています。礼とは「他人の気持ちに対する思いやりを目に見える形で表現すること」です。自分のことだけでなく他人に対してどれだけ思いを向けられるか、そんなおもてなしの心を子どもたちが実践してくれていたことをうれしく思いました。
日本人として大事に育んでいきたい心は、この「おもてなし」以外にもいろいろとあるんですよね。まず私自身がその心について改めて学び直してみようと思っています。例えば「もったいない」。エコという言葉がずいぶん定着しましたが、本来の「もったいない」は物を無駄にしないということだけではなく、『物や相手の気持ちを思いやり、無駄にしないこと』であると思います。また、『人と人との結びつきを離れがたくつなぎとめること』を表す「むすぶ(きづな)」という心もあります。こうした心の意味を理解するだけでなく、どう行動するかを考えることも大切にしていきたいと思っています。
今回のお客さんは2人で、11時30分頃に来られる予定でした。そのことをお集まりで聞いて楽しみにしていたんでしょう。11時になるとぞう組のYくんは玄関にスリッパを出してくれていました。そしてお客さんが来られて、食事の準備が整うまでの間は不思議ゾーンでお茶を飲んで待ってもらうことにしていました。そこへお茶を運んでくれたのはぞう組のTくんです。食事の準備ができると、ぞう組のHちゃんがお客さんを呼びに来てくれました。ランチルームでは、きりん組のNちゃんがお客さんの席を用意し笑顔で招いてくれました。席に着かれたお客さんのところへカレーライスを運んでくれたのは、ぞう組のSちゃんときりん組のIくんでした。
これらのことは、全て子どもたちが自分たちで考えて行動してくれたことです。これはまさに「おもてなしの心」の実践で、子どもたちには大事に育ててもらいたいと思っている心です。この「おもてなしの心」は日本人が昔から大事にしてきたことで、日本人の道徳心の基礎ともいえる武士道では「礼」という言葉で表現されています。礼とは「他人の気持ちに対する思いやりを目に見える形で表現すること」です。自分のことだけでなく他人に対してどれだけ思いを向けられるか、そんなおもてなしの心を子どもたちが実践してくれていたことをうれしく思いました。
日本人として大事に育んでいきたい心は、この「おもてなし」以外にもいろいろとあるんですよね。まず私自身がその心について改めて学び直してみようと思っています。例えば「もったいない」。エコという言葉がずいぶん定着しましたが、本来の「もったいない」は物を無駄にしないということだけではなく、『物や相手の気持ちを思いやり、無駄にしないこと』であると思います。また、『人と人との結びつきを離れがたくつなぎとめること』を表す「むすぶ(きづな)」という心もあります。こうした心の意味を理解するだけでなく、どう行動するかを考えることも大切にしていきたいと思っています。
2011年10月2日
能の世界の奥深さ
昨日、生まれて初めての能を見に行ってきました。
いやー、楽しかったです。
見るまでは「能のことも何にも知らないし、楽しめないかも…」
なんて考えていたんですが、
何にも知らなくても見ているだけで心が動いてしまう
そんな体験をさせてもらいました。
能が始まる前に内田樹さんのとても興味深いお話がありました。
「能って、『自分が自分が!』って動くんじゃなくて、
舞台とか周りの大鼓や小鼓や笛の人、さらには見所の人(お客さん)
それらが作り出す場の力を感じて、それに引っ張られるように動くんです。
一流と言われる人たちは場が作り出す濃密な空気を全身で感じ、それに反応して、
「自分の力で」ではなく場の力によって動かされるといった感じで。」
正確ではないですが、だいたいそんな感じだったと思います。
これって人と人とのあり方もこんなことが大事なんじゃないか、
お話を聞いていてそんなことを考えていました。
一人ひとりが超人のような能力を身につけて
自分の能力を活用してバリバリ活躍する、
そんなことが理想とされたときも確かにあったと思います。
でも今の社会を見ていると、それだけじゃあいけないんじゃないかと。
いろんな人がいろんな特徴を持っていて
そんな人たちが集まって様々な集団をつくっているのが社会。
それぞれの役割を尊重しながら、それぞれの役割を生かしながら、
その中で自分をどう表現するか、自分の役割をどう果たしていくか。
社会のいろんな人とつながっているという感覚をもって
その人たちとの関係の中で自分というものを模索してみるとか。
自分が自分が!といった完全に他から独立した強さを求めるよりも
いろんな人との関係性、つながりをもとにした個の確立や自立が大事だと
能の舞台を見ていて感じました。
個性を抑制するわけではなく、逆に個性が共に支え合っている。
昨日の能はまさにそんな感じでした。
そんな関係性ができてきた先には、手を貸すとか守るとか、
そんなことが自然にできるようになると思うんですよね。
能って思っていたよりはるかに奥が深かったです。
いやー、楽しかったです。
見るまでは「能のことも何にも知らないし、楽しめないかも…」
なんて考えていたんですが、
何にも知らなくても見ているだけで心が動いてしまう
そんな体験をさせてもらいました。
能が始まる前に内田樹さんのとても興味深いお話がありました。
「能って、『自分が自分が!』って動くんじゃなくて、
舞台とか周りの大鼓や小鼓や笛の人、さらには見所の人(お客さん)
それらが作り出す場の力を感じて、それに引っ張られるように動くんです。
一流と言われる人たちは場が作り出す濃密な空気を全身で感じ、それに反応して、
「自分の力で」ではなく場の力によって動かされるといった感じで。」
正確ではないですが、だいたいそんな感じだったと思います。
これって人と人とのあり方もこんなことが大事なんじゃないか、
お話を聞いていてそんなことを考えていました。
一人ひとりが超人のような能力を身につけて
自分の能力を活用してバリバリ活躍する、
そんなことが理想とされたときも確かにあったと思います。
でも今の社会を見ていると、それだけじゃあいけないんじゃないかと。
いろんな人がいろんな特徴を持っていて
そんな人たちが集まって様々な集団をつくっているのが社会。
それぞれの役割を尊重しながら、それぞれの役割を生かしながら、
その中で自分をどう表現するか、自分の役割をどう果たしていくか。
社会のいろんな人とつながっているという感覚をもって
その人たちとの関係の中で自分というものを模索してみるとか。
自分が自分が!といった完全に他から独立した強さを求めるよりも
いろんな人との関係性、つながりをもとにした個の確立や自立が大事だと
能の舞台を見ていて感じました。
個性を抑制するわけではなく、逆に個性が共に支え合っている。
昨日の能はまさにそんな感じでした。
そんな関係性ができてきた先には、手を貸すとか守るとか、
そんなことが自然にできるようになると思うんですよね。
能って思っていたよりはるかに奥が深かったです。
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