先日、釣りが大好きな知り合いからびっくりするような話を聞いたのですが、立派な釣り竿ってパソコン1台分くらいの金額のものがあるみたいですね。さらにはパソコン3台分くらいの金額の鮎釣り用の竿もあるとかで。釣りをしている方からすると「そんなの常識だよ」という話かもしれませんが、釣りをしない私にとっては驚きの事実だったわけです。私はパソコンとかに強い興味を持っているため、話を聞きながら釣り竿をパソコンと比較して考えてしまったのですが、旅行が大好きという方だったら、海外旅行に何回行けるかな?なんて考えてしまうのかもしれません。
釣りは面白くないとか立派な釣り竿なんて意味がないとか、そんなことを言ってるわけではないんです。人それぞれ興味を持つ対象は違っていて、考え方もいろいろあって、だから全体としていい感じにバランスがとれているんだと思います。自分の興味を基準にして「何故そんなものに興味を持つの?」と理解を示さないとしたら、他者との関係は少し難しくなってしまうんじゃないか、そんなことを改めて考えされられたわけです。人はどうしても自分の興味に従って行動しますし、自分の基準でモノの価値を捉えてしまいます。そのことを理解した上で、他者の興味や基準に向き合うことは大事なことなんですよね。
なんだか変な話になってしまいました。何が言いたいかというと、この話を子どもに置き換えて考えてみたいのです。子どもは「何故?」と思うようなものに興味を示すことはみなさんもよくご存じだと思います。その辺に落ちている小石や木の棒を宝物のように大事に持って帰ってきたり、虫を見つけると飽きることなく追い回してみたり。子どもには子どもの興味・関心があり、それは大人にはなかなか理解できないことかもしれません。いや、理解できるんだけど、それ以上に優先すべき(と思っている)ことが大人にはあって、子どもの興味を全て受け入れることはできないのかもしれません。でも、それがどんなに大人からするとくだらないと思えてしまうことであったとしても、その「くだらなさ」に付き合ってあげることも大人の役目だと思うんです。
人の興味・関心は様々です。特に子どもは自分の興味のあるものから少しずつ世界を広げていきますし、その興味に没頭する体験を経てユニークな「自分」を作り上げていく大事な時期でもあります。子どもの興味・関心には大切が意味があることを理解し、時には少し腰を据えて付き合ってあげる余裕を持っていたいものです。「くだらなさ」が「おもしろさ」に思えてくるかもしれませんよ。
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