2011年10月21日

子どもの食事のあり方②

おむすび通信に食事に対しての思いを書かせてもらっています。3回連続で、これが2回目の文章です。修正が入るかもしれないですし全く別の文章に書き直すこともあるかもしれませんが、せっかく書いたのでここにも載せておくことにします。


前回はあさり保育所の食事がどのように変わっていったかについて書きました。今回は少し違う視点から食事についての思いを書いてみようと思います。

子どもの食事を考えるとき、子どもに限ったことではないのかもしれませんが、細かなこと(例えば○○の栄養素が△△グラムは必要といったこと)を真面目に考えようとすればするほど、食事は難しくなってしまうんだろうと感じています。食事の本質を考えてみると、本来は生きていくための活動をするためにあるものだと思います。子どもたちにとっての主な活動は“遊び”ですが、全身を十分に使って夢中になって遊び、その結果「おなかすいたー!」と感じる感覚こそ食事には欠かせない要素だと思うのです。

そのときに子どもが求めるものは、幕内先生がよく言われているようにピーマンやほうれん草ではなく、やはりごはんなんですよね。遠足に出かけていつも以上に動き回った子どもたちがとても満足そうにおにぎりを頬張っている姿を見たりすると、やはりこれが自然な姿なんだろうなとつくづく感じます。子どもが空腹を感じているときに求めるものが子どもにとって必要なものと捉えること、つまり、子どもは自分に必要な食べ物を選ぶ力を持っていると大人が信じることが、子どもの食事をシンプルに考えるための入り口なのではないかと思っています。

話は変わりますが、あさり保育所の食事はバイキング形式で行っています。それぞれが自分で食べきれる量を伝えて当番さんに盛り付けてもらうというやり方です。自分で食べられる量を見通すことが目的なので、盛りつけてもらう量は一人ひとり違ってきます。おなかがすいている子は多めに盛ってもらったり、苦手な食べ物がある場合は少しだけにしておいたりと、子どもたちが自分自身に問いかける場でもあります。よく苦手なものは少しでもいいというやり方だといつまでたってもしっかりと食べられるようにならないのでは?という質問があったりしますが、苦手なものを無理に食べさせることよりも隣でそれを美味しそうに食べる他の子どもや大人の姿を見せることを大事にすべきだと、子どもたちの姿を見ていて教わりました。

子ども集団にはすごい力があって、例えば友だちが食べているから自分も食べてみようとか、友だちに負けたくないからと競うようにして食べてみたりとか、無理に食べさせようとしなくても自分から食べ始めるといったことはよく見かける光景です。そして、自分が苦手なものを大人が美味しそうに食べている姿は記憶に残っていたりするものですよね。それが大きくなったときに自分が食べることにつながったり、ということは多くの人が経験していることではないでしょうか。そして何より、無理に…となってしまうと大切にすべき「楽しさ」が失われてしまいます。

食事の美味しさは、味が美味しいことはもちろんありますが、「楽しさ」も大きな要素だと思っています。気の合う友だちと会話をしながら食べる楽しさとか、自分が収穫したり調理したりしたものを食べる楽しさとか、様々な楽しさが大事だということは私たち大人も体験を通して学んでいます。この楽しさを食事の場にどう取り入れるかということも、子どもの食事を考える上で欠かせないことだと考えています。もしも好き嫌いなく何でも食べてもらおうと考えるのであれば、尚更そのことにとらわれ過ぎずに食事のあり方を広く捉えてみることも必要ではないかと思っています。「木を見て森を見ず」にならないよう、森(食事全体)を豊かにする視点をもっと磨いていきたいと考えているところです。

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