2013年5月23日

相手の立場に立つことの大切さについて

毎週配布する(ことに勝手に決めている)『園長のひとりごと』。
今週分を書いたんですが、なんとなく「(自分にとって)楽しくないなあ」と感じたので別の文章を書きました。
でもこれも自分の思いではあるので、ここにはのせておきます。

「相手の立場に立つことの大切さについて」

コミュニケーションって難しいですよね。例えばその手段の一つの「言葉」。その言葉を使って自分の思いを伝えたり、反対に相手の思いを受けとったりするわけですが、伝えることだけを考えても何でも言えばいいというわけではありません。私たちは日々生活している中で世の中のためになるようないいことだけを考えているわけではなく、人にとってはどうでもいいくだらないこととか、場合によっては邪なことを考えたりする、そんな存在ですよね。少なくとも私はそうです。ではその考えていることの全てを言葉にしているか、表現しているかといえば、決してそんなことはありません。何を言って、何を言わないか。また言うとしてもどのような言葉を選んで言うか。その判断にその人の人格が現れると思っています。

その判断の基準になるのは相手の存在です。これを言うと相手はどう受けとるだろうか?どんな気持ちになるだろうか?と、どれだけ相手のことを思えるかがポイントになってくると思います。もしも自分が相手の立場だったら、と想像力を働かせることができるかどうかによって、何を言って何を言わないかの判断は大きく変わってくるはずです。今の自分の立場はたまたまそうあるだけであって、もしかしたら自分は相手の立場だったかもしれないと想像することは、ものすごく大事なことだと思います。自分は日本人だけど、もしかしたら違う国の人として生まれていたかもしれないと考えると、他国の人に対してひどい言葉を浴びせるなんてことはできないですよね。思っていることの全てを言うのを控えてみたり、少し表現を変えてみたり、そんなことをするはずです。ちょっと極端な話ですが、それがコミュニケーションだと思っています。

なんだか変な話になりましたが、今なにかと世間を騒がせている有名な方のいろんな発言を耳にしていると、どうしてもこのことを書きたくなったんです。ここでは保育に関することを書くと決めているので、そのことに対して細かくどうこう書くつもりはありません。ではなぜこんな話かというと、このことが私たちが考える保育と無関係ではないと感じたからです。コミュニケーションを始めとする他者との関わりでは、相手の立場に立つことがとっても大事なことだという思いがあるからです。コミュニケーションの基本、他者との関わりの基本を、まずは大人が示していかなければと考えているので、なんだかムズムズしてこんなことを書いてしまいました。

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