いよいよ明日は夏祭りです。ここで何度も書いてきたことなんですが、今年の夏祭りは「つながり」ということもテーマに掲げています。東北地方の方々の思いに共感する、目には見えないけれど“つながり”を感じる、そんなことの大切さを大人の行動を通して子どもたちに伝えてきたい、そう考えています。
このことについてずっと考えているので同じことばかり書いていると思いますが、東北地方の方々に対してというだけでなく、「他者の気持ちに共感する」ということはとても大切なことなんですよね。自分とは違う様々な価値観を受け入れることができる人になってもらいたい、自分以外の多くの人と共に生きていくことを大切にできる人になってもらいたい、そのためにも他者の気持ちに共感する力は絶対に必要だと思っています。
様々な価値観を受け入れるということは、自分にとっての「当たり前」はあの人にとっての「当たり前」ではないということを『当たり前』と感じることができるということでもあります。相手の「当たり前」に「うん、それもわかる」と共感しなければでも、わかってはいるけどこの『当たり前』が難しいことなんです。例えば、納豆を一度も食べたことのない人と納豆を毎日のように食べる習慣がある人の、「きみの家では腐った豆を食べる変わった習慣があるみたいだけど、あれはとても人間の食べ物とは思えないね。」「何を言ってるんだ。オレの家では毎朝納豆を食べないと一日が始まらないんだ。それをなんだ、腐った豆とは!ほっといてくれ。」なんて会話があるとします。納豆を食べない人にとって、納豆を美味しく食べる人を全く理解しようとしないか、自分は食べないけれど納豆を好きな人がいるという事実をそのまま受け入れるかでは、世界の広がり方が全く違ってくると思うんですよね。こういうことって納豆に限らず様々なことに当てはまると思っています。
変な例えのせいでなんだかよくわからない話になってしまいましたが、要するに、価値観が違う他者と関わることや距離が遠かったり状況が全く違っている他者の思いを想像することは大事だということです。美味しい納豆(豊かな社会・世界の広がり)の条件はネバネバ(共感によるつながり)がしっかりあること、ということでまとめになったでしょうか?とにかく明日の夏祭り、みんながいろんなつながりを感じることのできる場になればと思っています。
人とのつながりを子供にどう伝えていくか悩みます。
返信削除価値観の違う人同士、衝突することが多々ありますが、お互いが受け入れていければいいですね。
(^^;)
おかだ。