2011年8月7日

じぶんのあたまでかんがえる

先日、ぼくは、
「質問するのが早すぎる人、多くない?
じぶんで考える時間とかって、どこにあるんだろう?」
と、ツイートしました。
せっかく感じられたかもしれない宝物の「違和感」を、
「それはなぜですか?」
「具体的にはどういうことですか?」
「もっとわかるように言ってください」
というふうな質問に乗せて放流してしまうと、
もったいないと思ったのでした。
じぶんで、ひとりで、じぶんのあたまで考える。
結論が出ようが出るまいが、じぶんのあたまで考える。
それをくりかえす以外に、考える力も、感じる力も、
減っていくばかりだというふうに、思うんですよねー。


以前、糸井重里さんがほぼ日刊イトイ新聞で書かれていたことです。
これ、あさり保育所の職員トイレにも貼ってあります。
結論が出ようが出まいがじぶんのあたまで考えるって
子どもにも大人にも必要なことだと思うのですが、
もっと自分で考えたらいいのになって思う場面が
確かによくあったりします。

科学がびっくりするくらい進歩して、
ちょっとした疑問はあっという間に解決したりします。
じゃあ、それに頼っていけばいいのか?と言えば
決してそうではないと思うのです。

覚えることとか、計算することとか、ちょっとした調べ物とか。
そういうことはコンピューターの力を上手にお借りするとしても、
自分の中に沸いてきた難解な疑問とか違和感とか、
他人がどんなことを考えているんだろうとか、
そんなことは自分の頭でトコトン考え尽くすこと。
それを繰り返すことで“自分”が深まっていくんじゃないか、
そんな風に思っています。

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