数学は「答えが1つしかないから美しい」なんて言われたりします。
でも世の中にあるほとんどのものが答えは無数にあるし、
割り切れないことばかりだったりですよね。
例えば公平さとかもそうじゃないでしょうか。
公平だという状況には、
必ずそれを説明する根拠があると思うのですが、
そもそも公平さって何なんでしょうね。
誰がどう見ても公平ってことがあるんでしょうか。
もしあるとしたら、まあほどほどに公平とか、
この部分は不公平だけどトータルではだいたい公平かなとか、
そんな程度だったりするんじゃないかと思うんです。
うまくまとめることは出来ないのですが、
誰から見ても納得がいく根拠に基づいた行動とか、
誰もが納得する絶対の公平さとかって、
そもそもそれを厳格に求めることにどれだけの意味があるのか?
今そんなことを考えているところです。
特に子どもの世界を考えたとき、
無駄としか思えない根拠のない行動とか、
ある面から見ると公平ではない出来事とか、
そんなことが山ほど存在しています。
全く効率的ではなく、全く公平ではない、
それが子どもの遊びの特徴だったりします。
でも、そんなことの中で活動することを
子どもたちには保障し続けたいと思うんですよね。
例えば、
何が起こるか分からない自然の中での遊びで身につく“平気さ”とか、
価値観の違う他者と関わりで身につく“寛容さ”とか、
そんなことを子どもたちが体験を通して学べるのが遊びの大事なところで、
そこで自分の中の基準を豊かなものに育てていってほしいんです。
自分の中のあらゆる基準の幅が広い人って、
本当の意味で強い人だと思います。
平気さとか寛容さとか、
そんなことも子どもたちに伝えたいなあって思ってます。
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