先週は「敬老精神の介護に潜む落とし穴」という記事を紹介しました。宇宙空間では無重力で筋力を使わないため、地球に帰ったときの重力に備えて筋力トレーニングをしているという話で、高齢者に対しても過度の介護を行うことが筋力を落としてしまうことにつながっている、そんな内容でした。で、これは高齢者に限ったことではなく、子どもに言えることではないかと。子どもが育つために本来経験すべきことを大人が代わりにやってあげてしまうと、大人になったとき自分自身でさえ支えられなくなってしまうということもあるのではというのが先週の話です。
上に書いた子どもの話は、少子時代の今だからこそ丁寧に考えたいことです。今までも何度も書いてきていることですが、兄弟が多くいて地域にも子どもがたくさんいた多子時代には、大人が子どもに対して十分に手をかけてあげようと思ってもできませんでした。でも少子時代の今は違います。手をかけようと思えば無制限にかけることができるのが、少子時代の大きな特徴です。「子どものため」に何かをしようと考えるのはもちろん大事なことですが、何が「子どものため」なのかをきちんと考えなければ、大人になって困ってしまうのは子どもです。そんなことを望む大人なんていないですよね。
この少子化について、少し違った視点から考えてみます。全ての生物に共通する特徴と言えば「子孫を残す」ことです。どの生物にとっても子孫を残すことはとても大きな役割であって、そのために何をすべきかという情報は遺伝子に組み込まれています。でも少子化というのは人間全体が子孫を残さないような生き方をしている状態です。生物としては異常事態なわけです。この異常事態、子孫がどんどん減っていく方向に進んでいる状態の中でどう生きていくかについては、遺伝子には組み込まれていないはずです。だからこそ、今までの育児や乳幼児教育、もっと言えば生き方を問い直す必要がある、そんな風に考えています。異常事態をいつまでも異常と言ってても何も変わっていきません。その状態の中で、子どもが確実に力をつけていくためにはどんな環境・体験が必要なのか、そんなことをみなさんと一緒に考えていける保育園でもありたいんですよね。
と、こんなことを書いていると、M副園長から「ややこしくてよくわからない」と言われてしまいました。確かにややこしいです。すみません。
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