2015年1月30日
No.380 白?黒?それともグレー?
今回は「なかよしテーブル」での子どもたちの話し合いを見るたびに感じていたことを書くことにします。「なかよしテーブル」とは、子どもたちはケンカをしたり意見がぶつかり合ったりしたときに子どもたちだけで話し合いをする場所ですが、ここでの様子には考えさせられることが多いです。意見がぶつかり合ったときの話し合いは、どちらの意見がより筋が通ってるかを見極めて、コチラが正しくてソチラは間違っているといった風に白黒つけるものだと思っていました。
でも子どもたちの様子を見ていると、それが少し違っていることに気づかされます。互いの意見を出し合うところまでは同じでも決着のつけ方が違っていて、「えっ、それでいいの?」と思ってしまうような、白でも黒でもないグレーな状態でお互いに納得し、再び仲良く遊び始めたりしています。
このグレーな状態をどう捉えるかは難しいです。どっちつかずとか曖昧と捉えるか、適度とか程良いところと捉えるかによって、微妙に意味が違ってきますよね。でも子どもたちの姿からいろいろと考えさせられました。グレーの状態って、実はものすごく自然なあり方なんじゃないかと。
私たちが持っている意見や感覚は、あることは絶対に正しくて、あることは絶対に間違っているというものではなく、見方によっては正しくもあり間違いでもあることがほとんどじゃないでしょうか。人と意見が分かれてしまうことだって、捉え方によっては「反対意見があるのは自分の意見がそれだけ価値のあるもの」とも言えると思います。もしもどうでもいい意見であれば、わざわざ反対意見を出してくる人なんていないわけですし。
ここまでは意見の違いを白と黒で例えてきましたが、青や黄色や赤に例えると少し違った風景が見えてきます。自分は青だから黄色を絶対に受け入れない!という姿勢は、1人でいる場合は問題ないかもしれませんが、社会の中で多くの人と関わるときはそれでは物事が進まないこともあります。
「へー、そんな色もあるんだね」と互いに歩み寄ることで青しか知らなかったのが黄色を知ることになり、またちょっとずつ混ざり合うことで新たに緑色を知ることにもなります。他人の違う考え方を受け入れるからこそ自分の考えが広がっていくし、その過程で全く新しい考えに気づくこともできます。自分の色を大事にするだけでなく他人の色も柔軟に受け入れて、時には「今日は赤を少し多めにしてみようか?」なんて話しながらその場に合った色を見つけていくというのが、社会の一員として必要な力なんだろうと思っています。
受け入れ、混ざり合った結果、周りには様々な色が溢れることになり、そのことでそれぞれの色の役割も明確になっていくんでしょう。白黒つけない、混ざり合っていく話し合いも大切だと思っています。
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