2012年4月21日

人間関係とか、コミュニケーションとか

先日ある会議に出席し、
「若い保育者がやりがいを感じながら保育をおこなうためには
園長はどんなことを考える必要があるのか」
といったことを議論してきました。

若い保育者がどんなことで悩んでいるのか
そんな話題にもなったのですが、
人間関係で悩んでいる例が多く聞かれたことには
「やっぱりそうか」という思いでした。
その「人間関係」で悩んでしまう理由には
コミュニケーションが苦手という傾向があるとも聞きました。
よく考えるとこの人間関係やコミュニケーションの悩み、
これは決して若い保育者に限ったことではなく、
ベテランの保育者もどんな仕事でも、
どんな集団や社会でも存在する悩みですよね。

人間関係の悩みが生まれる理由はいろいろですが、
コミュニケーションが苦手というところからも生まれます。
ではコミュニケーションの力をつければいいじゃないか
そう簡単に考えてしまうのですが、
これが簡単にはいかないことないんですよね。
この言葉を言っておけば大丈夫とか、
そんな話ではないからです。

コミュニケーションは生き物です。 決まった形なんてありません。
Aさん「この花、きれいですね」
Bさん「そうですね、こっちの花もきれいですよ」
Aさん「うわあ、ほんとですね」
と、こんなやりとりをあらかじめ想定していても、
Aさん「この花、きれいですね」
Bさん「私は花がだいっきらいです!!」
と、想定していなかったパターンで裏切られることもあり得るわけです。
そもそも他人が何を考えているかわからないし、
瞬間で対応しなければいけないのがコミュニケーションです。
突然「この花きれいですね」と言われたとき
「そのことに関しては一度持ち帰って明日の朝お答えします」
そんなことを言っていたらコミュニケーションは成り立ちません。
そんな条件のもとで他者に自分の思いを伝え、
他者の思いを聞く中で関係を作っていくという作業は、
決して簡単なことではないんですよね。

そしてよくないよなぁと感じてしまうのが
「自分の考えを論理的に伝えて相手を言い負かす」ことが
なんだか最近もてはやされている気がすることです。
考え方の違う他者と社会をつくっていくためには
他者と「どう折り合いをつけていくか」が大事で、
そのためには「ここは譲るけど、ここは我慢してね」
そんなコミュニケーションがますます大事になってくると思っています。

子どもの世界にも似たようなことはよくあります。
例えば自転車に乗っているAくんに対して
Bくんが「自分も乗りたい!」と主張してくる、
そんな場面はよく見られます。
Aくんはほんとは1人でずっと使いたい、
でもそれを通そうとすると「ボクも乗りたいのに!」と返ってくる。
自分の思いだけを通そうとするとなんにもまとまらず、
時には相手が泣いてしまったりケンカになってしまったり、
ほとんどの場合はいい結果にはなりません。
「(今はダメだけど)ちょっとしたら貸してあげるね」とか
「(1人で使うことはあきらめるけど)じゃあ一緒に使おう」とか、
「ここは譲るけど、ここは我慢してね」というような調整が
他者とともに遊んだり生活する上では欠かせません。

でもこれは最初からうまくできることではなくて
子ども同士が関わる中で失敗も繰り返しながら
「ああ、こうすればこうなるのか」と学んでいくことだと思います。
誰かが代わりに調整してくれるのではなく
自分自身で調整の必要性や方法を学んでいくことです。
そしてそのように調整しながら他者と関わっている
そんな大人の姿を見て学んでいくことです。

他者との違いを受け入れたり認め合ったりするためにも
子どもの頃から日常的に他者と関わる中でコミュニケーションを駆使し
上手くいかなかったり、たまに上手くいったり、
そんな体験を繰り返すことができる環境を用意することは
私たち大人の大切な役割です。
そしてこんな風に他者と折り合いをつけて集団や社会を作っていくんだと
身をもって示すことも大人の大切な役割だと思うわけです。

人間関係について思うこと、コミュニケーションについて思うこと、
そんなことを書いてみました。
ほんとはもっと整理が必要なんでしょうけどね。

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