2013年1月10日

良い社会脳と共感脳、そして仲間の存在

以前も紹介しましたが、全国私立保育園連盟の冊子に掲載されている乳幼児期の教育を考えるというシリーズの文章です。今回は、あさり保育園の保護者講演会にも来ていただいたことのある藤森平司氏による、「良い社会脳と共感脳、そして仲間の存在」です。



シリーズ 乳幼児期の教育を考える 第3回
良い社会脳と共感脳、そして仲間の存在



1 早期教育

子どもの育ちには、今をよりよく生きるということで、その時期その時期を大切にする必要があり、その時期その時期に大切なことがあります。それぞれの時期に蓄積された力が、望ましい将来を培う力になっていくのです。

そういう意味で、早期教育という意味は、後でやるべきことを早くやるとか、人より早くやることではなく、その時期のうちで、早い時期にやるべきこととして考えるべきでしょう。つまり、早い時期にその力を引き出されておく必要があることということになります。

そこで、「早期教育では何が一番重要か」「早期教育として何をすればいいか」について、考えてみた いと思います。

子どもは、生まれついたものを持っています。ある遺伝子を受け継いで来ています。では、その時期には、大人は子どもには何もできないのでしょうか。何かをする意味はないのでしょうか。生まれつきだから仕方がないということがいわれたり、生まれてから人生が決められているということがいわれている一方、環境によって人生が変わってしまったり、教育によって人間が変わったということもいわれます。



2 脳の神経細胞の発達

1970年代に、人間の脳の神経細胞であるニューロンや神経回路であるシナプスは、生まれてから数年間が最も多く、それ以降は減っていくだけであり、育児とは、成長とは、上手にこれを減らすことである、ということが発見されています。人間の脳は、遺伝子に従って神経回路をつくり、そして、その後の子育ての環境が、つくられた神経を壊してゆくということです。脳はこのニューロンやシナプスが減っていく過程で子どもの人格をつくっていくのです。そのために、人間は、生まれてからの8年間は非常に大切な時期であるといわれています。

このことから、1990年代以降、国際社会では、乳幼児期の発達と学習が初等教育を含むその後の人生の経験や生活の質に極めて重要な意味を持つとの問題意識のもと、ECEC(乳幼児期における教育とケア/ Early childhood education and care)と呼ばれる分野への政策的な関心が高まってきているのです。



3 神経細胞の質

しかし人間は、確かに神経細胞、ニューロンの数は生まれて数年が一番多いのですが、脳が育つというのは、数が増えることだけではないのです。それは、生きていく上での質が高まらないといけないからです。その質は、心を育てていくことです。その心は、脳の中で、遺伝子が規定する脳神経の基本的な枠組みに従って、それぞれの脳神経細胞が環境からの刺激に応じて発育発達していきます。

ということで、よく「発達は環境を通して行われる」ということがいわれるのです。早期教育というのは、早い時期に、子どもたちにどのような環境を用意すればよいかということになります。

現在を生きる人だけでなく、長い進化の過程で人類が学び、獲得し、発展させてきたものを受け継いでいきます。そのために、過去の知識、文化、人格までも学んでいく必要があるのです。このような巨大に社会化された脳機能を考えると、早期教育で一番大切なことは、なるべく早く子どもをこの社会脳ネットワークに参加させることだと思われています。早期教育で重要となる一番のポイントは、「社会脳を鍛えること」であるということが、最近の考え方です。



4 社会脳と共感脳

今日、社会脳仮説の検証が世界中で進められています。それらの研究の中でも、「共感」の研究は最先端のテーマの一つです。このような1970年代から90年代にかけて始まった社会脳や共感脳の研究に対して、日本では、バブル経済期における経済市場原理、個人主義の進行によって、「共感」「信頼」「公共性」という感覚を後回しにしてきました。しかし、東日本大震災を経験し、また、最近の「いじめ」の構造から、もう一度その機能と、それが育つ環境が見直されています。

自分の子どもが人類社会の一員であって、社会全体の知識・教養・人格と共同体を構成しているのだという「ともに生き、ともに育つ」意識を、社会全体と養育にかかわるすべての人たちが共通の認識として持つことで、また、子どもたち自身にも持たせることこそが、現代社会での子育てで最優先されなければならない重要事項なのです。それが、結果的にわが子のためにもなるのです。

また、社会脳は子どもの知識・教養・人格の形成に必要不可欠であることがわかっています。そして、人類の脳にあるミラーニューロンという神経細胞によって、心の中だけで他人になってみて、その仮想体験をもとに他者の気持ちを理解したり、他者の意図を理解したり、他者の行動を予測したりする能力を持ちます。

この能力こそが、他者から知識・教養・人格を受け取る上で重要であると同時に、他者理解を通じて共感・同情・相互利益・相互扶助を行う「共生脳」においても中心的な役割を演じているのです。 保育園で、机を挟んでふざけ合っていた二人の1歳児の片方の子が、誤って机におでこをぶつけた時に、前に座っていたもう一人の子がとっさに自分のおでこをおさえて「いたっ!」と叫んだのです。この姿を見た時、「自分では頭をぶつけていないのに、どうして自分の頭が痛かったのだろう?」と不思議に思ったのですが、それが、人の行為を自分の脳に鏡のように写し取る神経細胞・ミラーニューロンの働きなのです。

この働きが、道徳の土台であるといわれています。人の痛みを自分のことのように感じ、その気持ちに共感する能力なのです。その意味で、人類では社会脳を鍛えることは共感脳を鍛えることになり、それが、子育てをする上で重要になってくるのです。そして、それらを鍛えるために、子どもに教えるとか、躾けるというようなやり方ではなく、良い社会脳と良い共感脳を育てる環境をつくることが、早期教育で最優先されるべき課題なのです。



5 最近の「いじめ」

最近、青少年の「いじめ」が話題になっています。確かに、「いじめ」は昔からありました。しかし、それは異質なもの、他人と違うものを排除しようとするものでした。また、自分の地位や立場を脅かす存在が対象になっていました。

しかし、最近の「いじめ」の構造は衝撃的です。仲よく川で泳いで遊んでいる友だちが、おぼれそうになって苦しがっているのを見て、もっと水に沈めようとし、苦しがっているのをおもしろそうに見ているような「いじめ」です。また、腕にタバコの火を押しつけ、熱がっているのを見て、その姿がおもしろく、次から次と火を押しつけるような「いじめ」が報道されました。

このように、人が痛がっていたり、苦しがっている姿を見て笑ってしまうような行動は、脳の中の共感脳が委縮しているといわれています。現在の犯罪者の8割は、そのような脳を持った人であるともいわれています。

最近の子どもの環境は、どうも、共感脳が育つことが困難になり始めています。それは、核家族化、地域社会におけるコミュニティの欠如、少子化などの子どもの環境に原因があるようです。

子どもどうしの関係の中で、「顔と顔を突き合わせてお互いの感情を理解する」という体験は、今や保育園のような施設の中でないとなかなか体験できなくなっているのです。「社会脳」の能力は、書物の上での学習で高められる能力ではなく、乳幼児期における養育者とのかかわりによって目覚め、以後の人間関係の積み重ねによって、発達していく能力だからです。



6 これからの教育

これまでの教育では、「賢明に生きるため、出世するための知識」を身につけることが優先され、学問的な知識や技術、社会の中で適切に行動するために必要なルールや規範、儀礼を読みとる能力の獲得ばかりが論じられ、強調され、その習得のための学習や訓練が行われてきたといえます。

しかし、脳科学の進歩に伴い、人が社会の中で賢明に生きるための社会的知性とは、人と人との関係において感情、情動で働く脳の能力も存在することがわかってきました。それによって、今後の教育とは、他人と同調する能力、傾聴する能力、共感的関心などの能力を乳幼児期につけることが優先され、その高さを伴った上で、高い知力、学力を持つことが大切であり、それによって、初めて人はよりよい社会人として生きることができるのです。

人類の心は、一個人の脳神経内に限定して機能するのではなく、さまざまな社会を構成している人どうしが相互に影響し合って、個人の脳も発達させていくものです。知識も人格も周囲の社会から学び取るものなので、その方法として、とくに乳幼児期では顔と顔を見合って会話をし、相手の行動を見て、共感して、模倣して、そして、知識が伝授されていくというのが基本的な伝達方法なのです。



7 唯一の現在の教育方法

教育とは、子ども集団を通じて人間関係を学習し、人類に蓄積された知識・教養・人格の遺産を受け継ぐことが必要で、それ以外の教育方法は現在のところ困難を伴うといわれています。人類において知識・教養・人格はいずれもが個人から社会全体へと拡大し、また逆に社会全体から個人の内部へと浸透して、拡大と収縮を繰り返しながら柔軟に発育発達しているので、「自分の子どもだけは良い子に育つように」と願うことは、親心として無理のないことですが、じつは、社会脳の観点からは、そのように考えることは子どもにとってプラスにはならないのです。

自分の子どもが人類社会の一員であって、社会全体の知識・教養・人格と共同体を構成しているのだという「ともに生き、ともに育つ」意識を社会全体と養育にかかわるすべての人たちが共通の認識として持つことで、また、子どもたち自身にも持たせることこそが現代社会での子育てで最優先されなければならない重要事項なのです。それが、結果的にわが子のためにもなるのです。

「他人のことは関係ない」という考え方や人生観は、子どもの成長や社会脳にとって最も有害であり、今後生きていく上で、子どもたちには最も好ましくない考え方であるということをすべての人々が強く認識することが、人類の遺伝子を未来につないでいくことなのです。



8 ソーシャルネットワーク論

ソーシャルネットワーク論では、母子関係はその後のすべての人間関係の発達についての必要十分条件ではないと考えています。この理論では、母と子の関係と子どもと子どもの関係はお互いに独立し、並行して存在するシステムであり、お互いに共有する要素があるかもしれないし、ないかもしれないというものです。

エンズワース(発達心理学者)は、関係が安心感をもたらすかという一つの次元で愛着の質が確実に記述できると考えました。理論的には、この安心感は愛着と探索という対立するシステム間のバランスによって定義され、愛着の絆が安定している乳児は次のようなことができるとされています。

・自由遊びでの探索行動の安全地帯として母親を使うこと。
・取り乱した時には探索行動に戻れるように、母親から安心感を得ること。
・母親の援助を有効に(例えば、過度な依存や回避をせずに)使うこと。

これが、子どもの安心基地としての愛着です。



9 他者との愛着

乳児は、母親、父親だけでなく、きょうだい、あるいは血縁関係のない養育者とも愛着関係を同時並行的につくっているといわれています。石井哲夫氏(白梅学園短期大学名誉学長)は、愛着についてこう述べています。

「今は、個人主義の強い時代で、家族、とくに親の権利主張が強まっているようですが、災害を経験してつくづく地域や社会全体の愛着関係を大事に考えなければならないと思いを新たにしました。そこから、理解と共感を持ってくれた人も少なからずいたといいます。愛着は、人と人がともに生きていくために働く力となるものだと思いました。  愛着により、人々は共生社会をつくり上げていくことができるのではないでしょうか。」
(『保育界』2011年8月号、「愛着臨床としての子ども支援⑤」/[社福]日本保育協会)


多くの家庭では、母親が主要な愛着の対象として養護、慰め、安心感を与えていますが、単親家庭で乳児が最初の1年間に母親とだけしか交渉しなければ、母親は遊び相手や友だちの役割をも求められることになります。家庭に母親以外の人もいるようであれば、乳児は相手を区別して交渉し、複数の関係をつくり上げるのです。例えば、乳児は母親とよりも父親と遊ぼうとすることが報告されています。

3歳までには、子どもはある対象とある機能とを結びつけ、子どもは助けが必要な時には親を、遊びたい時には同年齢の友だちを、まねようとする時には少し上の子どもを、何かを教えてほしい時にはもう少し年上の子どもを選ぶことを見出しています。

仲間関係は社会的な技能、能力の発達において最も重要なものであり、仲間は乳児対大人関係の代用物ではなく、もっと本源的なもので、おそらく系統発生的にもより古く、種の生存のために不可欠であるということが最近の説です。

研究によると、生後6か月の乳児でさえも、発声、接触、微笑によって二人の間で交代しながら交渉したという報告がされています。また、乳児は他の人間よりも仲間をより好むこともわかっています。最近の研究では、1歳児の対人スキルの発達には3か月間にわたって絶えず子どもと接触することが重要であることがわかっています。



10 乳児にとっての仲間

仲間は、伝達したり、攻撃したり、防衛したり、協力したりするスキルをゆっくり、丁寧につくり上げていく機会を与えます。仲間は、子どもにとっていろいろな意味で近い存在であるので、人間関係の発達に必要な能力を訓練するパートナーとしては、親よりも適しているのです。それは、母親の存在を軽視するものではありません。

ソーシャルネットワーク論では、社会的発達における仲間の重要さとともに、母子と仲間とのシステム間には重大な差異があることも指摘しています。自由遊び場面で母親に向けられた交渉と仲間に向けられたそれとを比較して、仲間からの刺激は子どもにとって特別であり、魅力的なのです。そしてそれは、

・仲間の遊び場面で、大人よりも応答的、持続的、情動的であること。
・仲間の活動や応答は、大人より新奇で興味深いこと。
・仲間は同じ発達水準にあるために、大人の行動よりも模倣しやすいこと。

などによります。

仲間の存在が、乳児における教育にとって、もっとも必要な環境なのです。



藤森平司氏
全私保連 保育・子育て総合研究機構研究企画委員会 社会化プロジェクトチーム
新宿せいが保育園園長

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