2012年3月21日

四隅の話

「憤せざれば啓せず、悱せざれば発せず、一隅を挙げて三隅を以て反せざれば復びせざるなり」
これは『論語』述而編にあることばです。

前半の方の意味は、「生徒自身に何かをしようとする心が盛り上がってこなければ、教え開いてあげることはむずかしい」ということです。教師はまず意欲を育てなければいけないと言っています。

ではそのためにはどうすればいいのでしょうか。その方法が後半の部分に書かれています。

「生徒に四角いもののひとつの隅をヒントとして示し与えて、あとの3つの隅については与えられたヒントから類推し、何らかの反応を生徒が示すまでは静かに生徒の思考が成熟するのを待つようにせよ」ということです。辛抱強く子どもを「見守っていなさい」ということです。

で、ここで大事なのがこの「見守る」ということの意味。これは決して放っておくということではなく、1つの隅は示した上で待つ、ということです。何も示さないで「さあ、考えろ!」とやってしまうことは、「見守る」のではなく「見放す」ということになってしまいます。また子どもの理解の段階によっては1つの隅だけでは十分でなく、2つの隅を示さなければならないときもあるでしょう。どの程度示せばいいかについては、その子の発達や理解をきちんと把握しておく必要があります。

この四隅の話、わかりやすくて好きなんですよね。意欲的に取り組むことをまずは大事にする。そのためにヒントを示し丁寧に観察しながら待つ。その示し方は子どもの発達に応じて当然変えていく。これは保育でも大事なことです。私たちが大切にしている「見守る」とはまさにこういうことです。

少子時代の今、ひと隅のヒントから残りの隅を推測するということは難しいことになっているのかもしれません。少子時代ということは、親が子どもに手をかけやすくなっているということでもあります。一人ひとりに手がかけられるようになったために、自分で推測する場面が必要ないように育てられていることも少なくないと思います。少子化がよくないとか育て方がどうかとかそういう話ではなく、そんな時代だからこそ、類推する場面が少なくなった今だからこそ、一人ひとりの発達に応じたヒントを示し、時間をかけてでも自分で残りを類推する力をつけていく、あさり保育所はそんな場でありたいと思っています。

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