まずは、「危なっかしさの中にこそ、学びがあること」についてです。
フィンランドにエンゲストロームという教育学者がいます。エンゲストロームによると、「学習」は次のような段階に整理されます。
①やりたいと思う段階(欲求段階)
②できないけど、やりたい段階(ダブルバインド:葛藤:試行錯誤)
③「やった!できた!」の段階(ツールの発見)
④「いつでもできる。どこでもできる」の段階(ツールの一般化)
こうした段階を繰り返しながら、人はできることを増やしていく。その過程を、エンゲストロームは「学習」と呼びます。失敗や葛藤が起きるのは、「できないけど、やりたい段階」です。
もう少し丁寧に説明します。
年長の子がジャングルジムに登っているのを見て、自分も同じように登ろうとする。これが「やりたいと思う段階」。
しかし、うまく登れない。失敗する。そこで「登りたいけど登れない」という葛藤が生じる。これが「できないけど、やりたい段階」。
うまく登れずに、それでもなんとか登ろうとしている姿は、「危なっかしく」見えるものですから、大人は、ここで、ついつい手を出してしまいます。しかし、手を出してしまっては、子どもが自らの力で「やった!できた!の段階」に到達するチャンスを奪ってしまいます。そうならないためにも、大人は手出しを我慢する必要があります。このことが、失敗や葛藤を「見守る」ということです。
場合によっては、とくに葛藤せずに、別のルートを見つけて、登る場合もあります。それはそれでいいのです。肝心なのは、子どもが失敗してもやろうとしている時、そうして葛藤している時、その葛藤を見守ることです。
子どもが葛藤しているかどうかは、その子の顔つきを見ればわかります。失敗し、うまくいかない。それでもやると決める。そうして挑戦を始める時、子どもの顔つきが変わります。「あ、決めたな」そんな顔をします。そうなったら、大人はその子の挑戦を見守る。
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