2012年12月18日

「失敗」を「自信の根」に ④

とはいえ、ケガを心配されるのも当たり前の心情です。たしかに、後遺症が残るような大ケガは避けなければなりません。しかし、すり傷、切り傷ほどのケガならば、「学び」のために必要な失敗・葛藤の産物だと思って許容していただきたいのです。


子どもが挑戦する時は、「できる」と思った時です。「今の自分にはできない」と子ども自身が判断すれば、大ケガをする前に、自分で挑戦を中止します。

そうした時、子どもはそっとその場を離れるか、もしくは大人に声をかけていきます。「無理だと思ったら、登らなくていいんだよ」というまなざしで、ゆったりと見守ってくれている大人のところにやってきます。そんな信頼関係をつくるためにも、「見守る」ことは大事です。

ですから、「見守る」ことは「放任する」ことではありません。子どもが葛藤に耐えられなくなった時、大人のところに戻ってこれるように、「見守られている」という安心感を与えておくことでもあります。「自分のことは自分で決めていいんだよ」という大人から子どもへの信頼は、「見守られている」という子どもの安心感を生むものでもあります。


そうして長い目で見ていると、子ども自身が、自分のやり方を発見していきます。「できない」の中に「できた」を見つけていきます。大人のまなざしに支えられて、子どもは、自らの力で、学習の段階を進めていきます。その家庭を保障する責任が大人にはあるように思います。



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