今週の「園長のひとりごと」は一度書いたものはボツにして、別の話を書いて配布することにしました。深い理由はありません(本当はあるけど)。でもせっかく書いたので、そのボツバージョンも残しておきます。
2013年の終わりに(ボツバージョン)
「えっ、もう年末?」今はまさにそんな感覚です。あさり保育園のこの部分は大事に育てていきたいなあとか、でもこの部分は改めないといけないなあとか、そんなことばかり考えていた1年間でした。1年間かけた割にはたいしたことができていないと言われそうですが、じっくり進めていくのがモットーです。
あさり保育園の保育目標に『「ひとり」を大切にする保育』というものがあります。このことについて「いや、1人ひとりの個は大切にしなくていいよ」なんて考える人はいないはずです。でも社会を眺めたとき、あれ?と感じてしまうこともあったりします。異質なものを「排除」しなければ集団や社会は団結できないといった考え方。集団は効率よく動くためには個は均一であった方がいいといった考え方。そこまであからさまな表現ではありませんが、ニュースとかで耳にしたりすることはありませんか?具体的に取り上げることはしませんが、何だかそのような考え方が目立つようになってきた気がしていて、とても残念に思っています。
繰り返しますが、あさり保育園の思いは『「ひとり」を大切にする』です。そしてこれは、個が大切にされていれば集団はどうでもいいというものではなく、集団の中で発揮するための個を大事にしていきたいという思いです。言い換えれば、多様性を認め合い得意分野を活かすことを目指していきたいという思いです。これは子どもたちだけでなく、私たちスタッフも同じです。男性がいたり女性がいたり、几帳面な人がいたり少し大ざっぱな人がいたり、絵が得意な人がいたり音楽が得意な人がいたりと、人は様々です。その中で自分のもっている力や得意なことをどのように発揮すれば集団や社会に貢献できるか。子どもたちにはそんなことを考えられる人になってもらいたいですし、私たちもそのような姿を子どもたちに示していきたいと思っています。
様々な人が関わることに効率性を求めると「排除」の考え方が必要になるのかもしれません。でもあさり保育園では、非効率かもしれませんが、考え方の違いから生まれる揉め事も大事な体験と捉えたいと思っています。けんかや葛藤を経験する中で人は様々であることを感じ、だからこそ一緒に取り組むことには深みがあって楽しいということを感じられるはずです。年が変わってもあさり保育園はこのことは大事にしていきます。来年もよろしくお願いします。
少し前の話になりますが、調理室見学ツアーというものを行いました。今のところ対象はぞう組さんで、スペースの関係上4名ずつくらいでツアーを行っています。安全面や衛生面のことを考えて調理の終わっている午後の時間に開催しているのですが、大きな調理器具の使い方を聞いたり、食品庫にどんなものが保管されているかを見たり、調理室からしか見られない独特の景色を楽しんだりと、自分たちがいつも食べている食事が作られる場所の見学を楽しんでくれていたようです。


この見学ツアーはちょっとした思いつきから実現したものですが、このツアーを実際に行ってみて、まだまだ保育園を生かしきれていなかったことに気づかせてもらえました。子どもたちには保育園で行われている生活、例えば行事の準備や掃除なども積極的に見せるようにしています。見せるだけなく、興味を持たせるように働きかけ、実際に関わってもらうことも大事にしています。行事なんかも当日になって初めて飾りや道具を目にするのではなく、それらがどのような過程を経て出来上がっていくかを一緒に楽しめるようにしたり、掃除にしても汚れていく過程やそれをきれいにしていく過程や方法を知ってもらえるようにしたり、そんなことを大事にしてきました。そのために保育園にある物や人を生かしてできることは、今回の調理室見学のようにまだまだあったんですよね。
保育園の中でもまだできることはあったということは、地域の中で保育園のもつ資源を生かせることもたくさんあるはずです。例えばあさり保育園が公的な施設であることからすると、もちろん園児のための保育が第一ですが、それを保障した上で子育て支援の活動ももっと工夫することはできるかもしれません。また2月に予定している保護者講演会のような場は、家庭で子育てをされている方や子どもに関心のある地域の方にとって実は貴重な場で、そのような方々に参加を呼びかけることも必要なのかもしれません。子どもたちのため地域のためにあさり保育園ができることは、これからも積極的に取り組んでいきます。もちろん”楽しく”は忘れずに、です。来年もよろしくお願いします。
気づかれた方もいると思いますが、りす・うさぎ組の室内環境が少し変わりました。「えっ、どこが変わったの?」と思った方はぜひ覗いてみてください。以前は廊下側にあった食事をとるスペースが園庭側に移動し、廊下側は遊びのゾーンになっています。大まかな変更をしただけなので、これからまだまだ変化していく部分もあると思いますが、今回の変更で以前から気になっていたことが改善されていくのではと思っています。
何を目的とした変更かというと、スペースの関係もあって2つの部屋に分かれて食事をとっていたりす・うさぎ組の子どもたちが、全員一緒の空間で食べられるようにすることです。あさり保育園では食事の際も「見ることや見られることで互いに刺激を受ける」ことを大事にしています。まだ自分1人では食べられない子が、自分で食べている子の姿を見て真似をしようとしたり、スプーンやフォークの使い方を真似しようとしてみたり。また、見られていることで張り切ってみたり。そうやって刺激を受け合いながら、自らやってみようとする気持ちを持って食事をとる、そんな環境をいつも探っています。その意味から、「廊下にテーブルを並べて食事をとっているぱんだ組の姿」も意識してもらいたいという思いで、部屋の廊下側に食事のスペースを設けていたのですが、今回は「りす・うさぎ組が全員同じ場所で」を優先し環境を変えたというわけです。もちろん出来ることなら両方実現できる環境にしたいという思いはあります。でもそれ以外の条件も絡んでくるため、今回はこのように優先順位を決めました。

『あちらを立てればこちらが立たず』という言葉がありますが、よくよく考えてみると周りにあるのはこんなことばかりです。そんなときにあさり保育園では、今子どもたちに何を体験させてあげるかを基準にします。
先々こんな力をつけてもらいたい → 今の子どもたちの発達はこう → だとしたら、あちらも捨てがたいけど、今体験できるようにすべきなのはこちらかな
こんな感じで今回の室内環境の大枠も決まっていきました。当然子どもたちの「今」は変わっていくので、環境の見直しは頻繁に必要になります。そんなとき「あちら」と「こちら」のバランスをどうとるか?意図を持ち、子どもたちの姿を見て、今後も考えて続けていきたいと思っています。
へびからうまへ変わっていくんですねえ。
まだ少し早いけど。


以前「情緒の安定」ということについて書いたことがありますが、子どもたちが経験を通して学んでいくとき、情緒が安定していることはとても大切です。この情緒の安定のためにどのようなことがポイントなのかを、例えば保育園の食事の場面で見られる様子から書いてみることにします。
最初は①欲求を適切に満たすことです。子どもの中には食べる速さがゆっくりの子もいます。もしダラダラと食べて遅くなるのであれば早く切り上げた方がいいけど、「自分はこれとこれが食べたい!」と思っていて、でも食べる速さが遅いという場合は、その欲求を満たしてあげることが情緒の安定につながります。でも、時にはそれを叶えてあげられないときもあります。早く片付けをしてしまわないと次の予定が…ということもありますよね。そんな時には次のポイント、②共感してあげることです。欲求を満たしてあげることができない場合は「ゆっくり食べたいよねー。だけどもう洗って片づけてしまわないといけないから。」と、まず子どもの気持ちに共感してあげて、それから理由を説明してあげるが大事です。
そして3つ目には③自分に自信を持つということがあります。自信を持つのはどういう時かというと、誰かにやらされるのではなく自発的に何かに取り組んだときです。ゆっくりといつまでも食べている子に対して「早く食べなさい!」といったことを言うよりも、自分で早く食べ終わったときに「すごく早く食べられるじゃない!」といった声をかけ、よくできたときにそのことに対する自信を持たせることが大切です。
そして4つ目は④生活のリズムです。食事をきちんとリズムをとって食べることも情緒の安定につながります。逆にいつまでもダラダラ食べるのは情緒が不安定になる場合もあるわけです。そんなことから保育園では時計や図や文字などを使って食事の時間を具体的に示すようにしています。また、次にやることを示してその後の流れや1日の流れを知らせることで、子どもたちは生活のリズムを知っていきます。そしてその生活を通して、自分自身で「この時間までに食べてしまおう」と物事を切り上げていくことも学んでいきます。
突然「情緒の安定」のことなんかを書いてみたわけですが、食事の場面以外でも子どもへの対応を考えるヒントになると思うんですよね。
いよいよ明日は発表会。ここまでどのような思いを持って取り組みを進めてきたのかは、各クラスのお便り等でお知らせしてきた通りです。子どもたちの言葉や表現の発達を見てもらうためにはどうすればいいか。子どもたちが楽しさを感じながら取り組むためにはどうすればいいか。そんなことをスタッフ全員がずーっと考え、今日まで活動を行ってきました。発表会の日に向けて何か特別なことを仕込むといった形ではありません。毎日の生活や子ども同士の関わりの中でどんな力をつけてきているのかを、その生活の場面を切り取ってみたり、子どもたちの興味のあるものを取り上げて膨らませてみたりして、その様子を見てもらうのが明日の発表会です。
運動会ではりす組から始まってぞう組まで順番に運動面の発達を見てもらうプログラムにしていました。同じように発表会でも、りす組から順に言葉や表現の発達を見てもらうプログラムにしています。大人との応答から始まり、友だちとのやり取りを楽しむ姿、そして自分たちで工夫して作り上げたストーリーを楽しむ様子を見てもらうことで、言葉や表現がどのように発達していくか、そしてその発達によって他の子との関わりがどう変化していくか、そんなことも感じてもらえるんじゃないかと思っています。どのクラスの子も友だちを意識する姿は見られますが、大きくなるにつれてその意識はどんどん高くなっていきます。舞台の上でなかなかセリフが出てこない子を励ましたり助けてあげたりする姿を練習でも見せてもらいました。普段の生活でも同じようなことが行われているからこそ現れるそんな姿にも注目してみてください。
今年は例年以上に発表会に向けての話し合いが行われたと感じています。職員もそうですが、子どもたちもよく話し合いを行っていました。例えばぞう組が劇の内容を作り上げるときの話し合いなんかはおもしろくて、意見が割れてしまっても「そうだなあ、じゃあここはこう変えたらどう?」と、ちゃんと自分たちで落としどころを見つけながら進めてくれたようです。これってコミュニケーション力の中でもとても大事なことですよね。子どもたちは、言葉のやりとりを楽しんだり、興味のある言葉を使ってみたり、友だちとの会話を楽しんだり、友だちの話を注意して聞いたり、そして友だちとの様々な関わりを経験したりと、多くの段階を経てぞう組のような話し合いの力を身につけていきます。そんな成長の過程を思い描きながら見るのも楽しいですよ。
毎月行っている誕生会、ほとんどの方は経験されていて雰囲気は知っておられると思います(まだの方はお楽しみに)。ここではその月に誕生日を迎える子の成長を紹介するのですが、今月はその中に歩くのが上手になったYちゃんがいました。名前を呼ばれたらどんな風に反応するのか、どんな風に歩けるようになったか、そんなことを担任が紹介してくれたわけですが、その時の会場の様子がとっても温かくて嬉しくなりました。
F保育士がYちゃんの名前を呼ぶと、いつもは笑顔になったり手を挙げたりと応えてくれるんですが、みんながYちゃんの反応を見ようとステージに注目していることもあって緊張してしまったのか、ジーッとしています。今度は歩く姿を見てもらおうとF保育士が離れたところから呼ぶんですが、なかなか歩き出そうとしません。でも他の子どもたちは歩く姿を見ようと注目しています。注目と書くと感情があまり伝わりませんが、「成長した姿が見られることを楽しみにしている、応援している」そんな気持ちが伝わってくるような子どもたちの姿でした。
誕生会の翌日、水曜日には発表会の練習がありました。発表会当日は他の子の出番を見ることはできないので、練習ではできるだけ子ども同士でステージを見合うことができるようにしています。水曜日の練習でも小さい子のがんばっている姿をジーッと見ている姿が見られました。保護者のみなさんにその様子を見てもらうことができないのは残念なのですが、友だちのがんばりや成長をみんなで喜ぶことができる関係になっていることを、下の写真を見てぜひ想像してみてください。

子どもの成長を楽しみにし、それを喜ぶ。私たち保育者も保護者のみなさんと同じ思いでいます。そして保育園の子どもたちも、みなさんや私たちの思いとは少し違っていると思いますが、友だちの成長を一緒に喜び、それを楽しんでくれています。保育園という場を通していい関係が築かれているなあと感じた、誕生会と発表会の練習でした。
先月のことを書き忘れていました。
あさり保育園に市内の中学校から2年生1名が職場体験に来てくれました。2日間の予定が天候の関係で1日だけになってしまいましたが、それでも保育園という場を少しは感じてくれたんじゃないでしょうか。
体験の感想も書いてくれました。「どこかで紹介してもいい?」「はい」というやり取りを経て、ここで紹介させてもらいます。
今日一日だけでしたが、普段は保育園の子たちとは遊ぶことがないのでとても楽しかったです。たくさんの子が自分の方から話しかけてくれたり、遊んでくれたりしてとてもうれしかったです。最初保育園に行く前はどんな感じで遊んだりしたらいいか分かりませんでしたが、保育園に行ってからは本を読んだり外で遊んだりなど、いろんなことができてよかったです。途中で遊具など遊んでいるものを取り合いになったりしたこともありましたが、だいたいの子は順番を守ったり、ルールを決めて使っていて、すごいなと思いました。
今日一日お世話になりました。また来てみたいです。
あさり保育園では職場体験だけでなくボランティアも受け付けています。
希望される方は気軽に連絡してくださいね。
発表会が近づいてきて、園内のあちこちで発表会に向けての取り組みが行われるようになりました。先日のことですが、くま組さんが集まって発表会の練習をしていました。興味深かったのはその練習の外側。その時はぞう組の女の子が「あっ、くま組さんが練習してるよ」とその様子をじっと見ていたことでした。少し前に「異年齢で生活すること」の意味について書きましたが、そこには「下の子は上の子から刺激を受ける」ことについて書いています。ぞう組さんの取り組みを見てきりん組・くま組の子たちが刺激を受けることはもちろんあります。
では上の子が下の子の取り組みを見ること刺激を受けることはないかというと、決してそんなことはありません。このときのぞう組の女の子たちはじーっと見ていただけですが、くま組さんには見られている意識もあったはずです。見られていることで張り切ってやろう!と思った子もいたはずです。また、ぞう組さんはくま組さんのがんばりから刺激を受けて「自分たちも頑張らなければ!」という気持ちも芽生えたんじゃないかと思っています。
このようにクラス毎の取り組みを他のクラスの子が見る機会が、これからどんどん増えてくると思います。下の子から見られることは、自分がお手本として見られるということでもあります。あこがれの視線を向けられていると感じることもあるでしょう。そうしたことは間違いなく自信につながります。また、下の子ががんばっている姿を見ていて、それを応援する声が聞かれ始めるはずです。恥ずかしさなどから動けなくなってしまった子に対して励ましたりする姿も見られるはずです。昨年もそうした姿はたくさん見られました。これは異年齢で生活し活動しているあさり保育園の子どもたちの特徴でもあると思っています。見ることで刺激を受けたり、見られることで自信をもったり、応援したり、励まされたり。このようなことは発表会だけのことではなく、普段の生活の中でも頻繁に行われていることだからです。発表会まであと3週間。興味深い姿が見られたら、できるだけ取り上げて発信していきたいと思っています。
役員さんも発表会の出し物を仕上げるために張り切ってくれています。子どもたちがよく知っている昔話を演じて見せてあげたい、テーマに合わせて世界も演出したい、いろんな思いが感じられる内容です。こちらも楽しみですね。
火曜日には「秋を感じる会」を行い、地域の方をお招きして一緒に芋汁を作ってみんなでそれをいただきました。芋汁にはもちろん保育園の園庭でとれたサツマイモを使っています。知っている方も多いと思いますが、この「秋を感じる会」は去年までは「芋煮会」という名前で行っていました。ずっと前からこの名前で行っていた行事だったこともあり、その名前をずっと使っていたんですが、この地では「芋煮」と言わないようなので今回から変えることにしました。名称を変えるというだけのことなのですが、今回の名称の変更は思っていた以上に内容に対する影響が大きかったように思っています。
写真では分かりにくいかもしれませんが、秋を感じるということで、遊戯室にはたくさんの秋が飾られました。サツマイモ、アケビ、ザクロ、カキ、キノコ、ドングリ、ススキ、カエデ、ツワブキなど、秋の豊かさを感じることができるものが満載でした。「秋を感じる」という言葉を使うことがなければ、ここまでたくさんの飾りを用意することはなかったと思います。たかが言葉なんですが、行動に大きく影響してくるので私は結構大事だと思っています。

せっかくなのでもう少し言葉について。普段何気なく使っている言葉ですが、その時々でどんな言葉を選ぶかによって、受けとる側に与える影響はずいぶん違ってきます。例えば散歩に出かけてドングリを拾ってきた子は「みてー!ドングリをひろったよー!」と見せに来てくれます。そのドングリを見ながら拾ったときの楽しさを一緒に味わった後に何か言葉を付け足す場合、「たくさんあるね」「この前のドングリより大きいね」「きれいな色のドングリだね」などのいろんな返答が考えられます。「たくさん」と言われた子は数をより意識するでしょうし、「大きいね」と言われた子はドングリの大きさを比べ始めるかもしれません。言葉によって興味関心の方向が変わることってありますよね。
言葉の話は広がり過ぎてしまうのでもうやめておきますが、今回言いたかったことは「秋を感じる会」という名称に変えてよかったということです。五感をしっかりと使って、秋を、そして他の季節も好きになってもらいたいなあ。
第2回島根顔マラソンは、いろいろ悩んだ結果、裸足で走ることにしました。
そして無事43kmを裸足で走りきることができました。
走りきることはできたんですが、いろいろ反省することもありました。
その反省したことについてきちんと整理しておくことにします。
①なぜ裸足で走ろうと思ったか。
ぜひ走りたい!と思っていた
大阪マラソン(抽選倍率5.1倍)、東京マラソン(10.3倍)、愛媛マラソン(2.5倍)
これらに見事に連続落選し、落ち込んでしまいました。
大きな大会に向けて調整していく…といったわかりやすい目標がないと、
自分としては何となく気合いが入りません。
このままじゃマズイなと思っていたところ、いいことを思いつきました。
「大きな大会に出られなくても地元の大会なら出られる。
だったらその大会のハードルをいろんな方法で上げることはできるんじゃないか。」
10kmとか20kmをものすごいタイムで走ってみる、というのもちょっと考えました。
でも現実的にそれは難しいです。しんどすぎます。
じゃあ、その距離を裸足で走ったら?
そう考えたときに何だか急にやる気が湧いてきました。
よし、これでいこう!と。
②で、どうしたか
裸足で走ったことは数回くらいしかありません。
普段はワラーチ、ゴム1枚で走ってます。
ランニングシューズからいきなり裸足になったらダメージは大きいかもしれないけど、
もしかしたらゴム1枚が0枚になってもたいして変わらないんじゃないか?
発想が単純過ぎますが、その理論?を採用してみることにして、
次の日から裸足ランを開始しました。
③そして分かったこと
いやー、ゴムの力は偉大ですね。1枚だからってバカにしちゃいけません。
たった1枚のゴムがなくなっただけで
路面のでこぼこが容赦なく足裏を襲ってきます。
きれいに舗装されたところはいいんですが、
状態の良くないところはグサグサ刺さってきます。
そして夜走ることがほとんどなので、結構大きな石なんかが落ちてても見えません。
そいつらが容赦なく襲ってきます。泣きそうになります。
じゃあ裸足をやめればいいんですが、
モチベーションアップのためにはやるしかありません。
やるしかない!なんてことは決してないんですが、何故かそう思い込んでいます。
でも痛いのを除くと、裸足ランは思った以上に気持ちいいです。
足に何にもまとわずに走る開放感は、
やったことのある人にしか分からない爽快感があります。
④落選→当選!
裸足ランに方向転換し快適に走り続けていたところ、
愛媛マラソンの二次抽選で当選しました!とのメールが届きました。
せっかく大きな大会は諦めて完全に裸足に気持ちを切り替えていた、
そんなときにこのメールです。
でもそんなもんなんですよね。
当たって欲しいときには当たらずに、別にいいやって思ってたら当たってみたり。
さてどうしよう…。またまた悩みました。
裸足で走ろうと思っていたのは10km。長くても20km。
フルマラソンを裸足で走ろうなんて全く考えてませんでした。
裸足を続けるか、裸足はやめてワラーチに戻るか。
どうするか決められないまま、ダラダラと裸足ランをする日が続きます。
ワラーチで愛媛マラソン、裸足で地元の大会(10kmくらい)、
どっちも捨てがたいなーと思いながら何日か経ちました。
で、整理がつかないまま顔マラソン当日を迎えてしまい、
「もう考えるのはめんどくさいから裸足でフルを走る!」
なんておかしな決断をしてしまいました。
⑤そして顔マラソン当日
松江の道路を裸足で走り回ったことがある人は分かると思いますが
(そんな人いるのか?)
道路は結構荒れてます。しかも小石があちこちに。
もちろん快適な道もあるんですが、8割くらいは「いたっ、いたたっ」の道です。
一番強烈だったのが宍道湖沿いの歩道です。あそこは全く走れる気がしませんでした。
どこかに代わりの道は?と探し、
何とか湖沿いのタイル張りの道を見つけて事なきを得ました。
そして今回裸足でフルの距離を走ってみて分かったこともありました。
足の裏の皮膚は結構丈夫にできていて(と思っていて)、
ちょっと小石を踏んだくらいでも結構平気なもんです(ちょっとは痛いけど)。
小石が足に刺さってしまう前にグイッと皮膚が押し返す感じ。
でも20kmくらいを過ぎた辺りから押し返す力が弱くなってきました。
そう、小石がまともにめり込んで自然には取れません。
だから、「小石を踏む→めり込む→手で払う」を繰り返すことになります。
そうなるともう心の底から走ることを楽しめなくなります。
なんでわざわざ痛い思いをしてまで裸足で走ってるんだろう?なんて考え出すと、
どんどんテンションが下がってきます。
「もうワラーチを履いてしまおう」という思いと
「でもせっかくここまで走ってきたんだから最後まで走らなきゃもったいない」
そんな思いが頭の中をグルグル回っています。
そんなときに思いました。これは楽しくないなと。
裸足で走ることが悪いとは全く思いません。楽しくないわけではありません。
でも、裸足で長い距離を走るためにはそれなりの段階を踏む必要があって、
それをすっ飛ばしてまで裸足に拘る必要はないと、そう思ったわけです。
今自分が裸足で楽しめるのは10kmくらい。
ちゃんと練習すればでこぼこ道も痛いなりにも
楽しみながら走れるようになるはずです。
今は10kmくらいの距離を裸足の感触を楽しみながら走って、
それ以上の距離になったらワラーチの心地よさを楽しめばいいかなと。
走り始めて2年が過ぎ、
飽きるどころかますます走ることの楽しさを感じているところです。
どんなことでも挑戦するのはいいんですが、
でもそのことでしんどい思いをしても何もいいことはありません。
そんなことを思いながら、それでも顔マラソンはなんとか裸足で走りきりました。
もちろんそれなりの心地よさはあったし、達成感もありました。
でも簡単に裸足で走る選択をしたことに対しては、ちょっとだけ反省しました。
ということで、裸足ランの楽しさは間違いなくあるのでそれはそれで楽しむとして、
基本はワラーチで走ることを楽しもうという結論に至りました。
このことをちゃんと整理しておかないと、ろくに練習もしないまま
「今度は裸足で100kmを!」
とか簡単に言ってしまいそうだったので、こんなことを書いておくことにしました。
先週と今週で26年度の入園説明会を行いました。新たに入園を考えておられる方を対象に行ったこの入園説明会では、毎年あさり保育園の保育についていろいろとお話をさせてもらっているんですが、今回はある1つの事に絞ってお伝えしようと決めていました。その1つの事とは「異年齢保育の目的や長所について」です。
異年齢保育というと「異年齢で関わることで思いやりの心が育つ」とよく言われます。分からないことの多い下の子に対して上の子がお世話をすることで思いやりの心や援助の気持ち、寛容さが育つというもので、これは確かにあると思います。でもそれだけではないんですよね。例えば「違いに興味を持つ」ということがあります。異年齢で生活していると、個々の違いを知る機会がたくさんあります。例えば男女差とか年齢差とか、そして個人差とか。そうした違いを知ることで、人と同じようにではなく、自分らしさを発揮して集団や社会に貢献していくことの大切さを学んでいきます。
また「下の子は上の子から刺激を受ける」ことは想像しやすいと思います。子どもは自発的な挑戦によって発達していくわけですが、自分ができることよりも難しいことをやっている上の子が周りにたくさんいる保育園では、多くの刺激を受けることができます。そして「上の子は下の子に教えてあげることで、自分の能力を定着させる」「下の子の手本となることで、自信をつけることができる」ということもあります。教えたり手本になったりすることで、上の子は自分のできることをより確実なものにしていくわけです。
このような良さがあさり保育園の異年齢での生活の中にはありますと、そんなことをお話させてもらいました。そしてこれはまだ先の事ですが、実際に4月から新しい子が入園してきた場合、保育園の生活リズムを知っている子が周りにいてくれることで、新入児が保育園に慣れていくのがスムーズになります。「こういうときにはこうするんだよ」「次は○○の時間だよ」と教えてくれる子が必ず出てきますし、何よりも安心して活動に集中している様子を見せてくれることが新入児の安心感にもつながっていきます。いろんな年齢、いろんな発達段階の子が一緒に生活することには、本当に多くのメリットがあります。そのメリットを十分に生かした場にしていくのが私たちの役目でもあります。
先日お昼寝の時間に乳児室を覗いてみると、ほとんどの子が寝ている中、うさぎ組のYくんがベランダで楽しそうに過ごしていました。近づいてみると「おー!おー!」とうれしそうな声をあげています。何をしているんだろうと見ていると、9号線を走る車がベランダから見え、それに反応しているようでした。とても楽しそうに見ていたので、一緒に見させてもらうことにし、2人で9号線の方を向きながら「また来た!また!」と車の往来を楽しませてもらいました。
「見る」ということを考えるとき、子どもの何を見るかということがあります。例えばよく言われるのが、子どもをまっすぐに見て、つまり見つめ合って「ちゃんと見ているよ」というメッセージを伝えることがあります。これはもちろん大事なことですよね。そして、この「見る」と同じくらい大事にしたいのが、子どもが興味を持っていることを一緒に「見る」ことです。子どもの横に並んで、もしくは少し離れたところから「あなたが興味を持っているものを私も興味を持って見ているよ」というメッセージを伝えることも大切にしたいと考えています。
このことについては何度も書いてきましたが、子どもが興味を持っている対象を一緒に見ることを「共同注視(ジョイントアテンション)」とか「共視」といいます。自分のことをちゃんと見てくれているということはもちろん安心感につながりますが、自分が興味を持っているものを同じように興味を持って見ていると感じることも、子どもが安心感を持つことにつながります。そしてその安心感がまた次の新しいものに興味を広げていく意欲になっていきます。そのように「見る」ためには、少し距離を置いて子どもが何に興味を持っているのかを見ることも必要になってくるというわけです。
16日(水)はととろの日で、さくら保育園にととろが姿を見せてくれました。
天気が良くなかったため今年は室内でのご対面となりましたが、子どもたちは大きなととろを見て大興奮でした。ここでの「見る」は、たくさんの友だちと同じものを見て、楽しい時間や思い出を共有するという意味があります。子どもを見る、子どもと一緒に見る、子ども同士で同じものを見る。いろいろな「見る」にはそれぞれに大事な意味があります。

先日のことですが、ぞう組さんが発表会の出し物について話し合いをし、その時の様子についてB保育士がうれしそうに報告してくれました。話し合いの目的は、「発表会の出し物はどの絵本の話にするか」を決めることだったようです。全員が発言する話し合いにしようと最初に確認をし、みんなが様々な意見を出し合ったそうです。そして『ロンドン橋がおちまする!』という本にほぼ決まりかけたとき、Sちゃんがそれに反対する意見を話し始めました。
Sちゃんは話の中に出てくる言葉が少し言いにくいと感じていたようで、その思いをしっかりとみんなに伝え始めました。決まりかけていることに対して反対の意見を述べるのは、大人でもなかなか勇気のいることです。でもそれをきちんと伝えたことでみんなにも思いが伝わり、「じゃあそのセリフを違うセリフに替えようよ。」といった意見も出てきて、最終的には『ロンドン橋がおちまする!』のセリフや内容を自分たちで話し合って作りあげていく、ということに決まったようです。Sちゃんもそれに納得したそうです。
あさり保育園では子ども同士での話し合いを頻繁に行います。子どもたちだけで話し合える内容だと判断したら、思い切って子どもたちに任せます。自分の意見を言うだけでなく、相手の意見に耳を傾けることや、意見を聞いた上で自分はこう考えるよと伝えることなど、コミュニケーションのために必要な力を育てていく大事な場だと考えているからです。また、自分たちで話し合って決めたことに対しては自発的に取り組みますし、中途半端に投げ出すことができません。決めたことを最後までやり切るという責任を学ぶためにも、子ども同士で話し合って決定することを大切にしています。
とは言ってもいきなりそんな話し合いができるわけではなく、やはり積み重ねが必要です。例えばぱんだ組では帰りのお集まりの際、円形のカーペットの上に輪になって集まり、その日の活動の振り返りをします。みんなの前で順番に「ぼくは○○をして遊んだよ!」「わたしは△△!」と発表するところから始まり、今では他の子どもの発言を受けて「わたしも○○であそんだよー!」と話が盛り上がるようになってきています。このような経験を積み重ねることで子ども同士のやりとりが発展していき、今回のぞう組の話し合いにつながっていくわけです。何事も積み重ねがあってこそ、ですね。
先週の土曜日のことですが、新宿せいが保育園の運動会を見学させてもらってきました。新宿せいが保育園は私が勝手に師と仰いでいる藤森平司氏の保育園です。以前から一度は見学してみたいと思っていて、その思いをようやく叶えることができました。
運動会は子どもの運動面の発達を保護者に伝える場。それはわかっているつもりでしたが、まだまだ捉え方が甘かったことに気づかされました。でもそれに気づけたことは大きな大きな収穫です。
今回はあさり保育園のTさん、Sさん、さくら保育園のFさん、Mさんと一緒に見学しました。見学の目的は、来年度以降の運動会を今の時点から計画していくために、考えるヒントを掴むこと。今回学んだことをもとに、あさり保育園とさくら保育園の運動会の位置づけをより明確にし、両園の特徴を生かした運動会の基礎をもう一度考え直していくことができそうです。
これからTさん、Sさん、Fさん、Mさんが中心になって、運動会の計画が進められていきます。とはいってもまだ1年先の話。のんびりとやっていきます。