2015年12月25日
No.426 つながりを再確認する機会に
火曜日にキャンドルナイトのイベントが行われました。この日のために1週間くらいかけて「四季のキャンドル」を作りました。地域の方の協力もあり、キャンドルを入れる瓶にカラフルな砂を詰めることにも取り組みました。ぞう組さんは会の進行やハンドベルの演奏などを楽しみながら行ってくれていました。また、このキャンドルナイトの取り組みが発展し、12月6日(日)に保育園に来てくれた陽希さんのゴールのお祝いに「特製山型キャンドル」も作りました。このキャンドルはゴールの際に渡してもらえることになっています。
キャンドルナイトに関係する事柄をざっと書き出してみるとこうして7行くらいに収まってしまうわけですが、書かれていない様々なことが背景にあって成り立っています。四季のキャンドル作りはどのようなものを作るか話し合うところから始まっていますし、瓶に詰めた砂は地域の方が試行錯誤した上で「こんなのはどうだろうか」と提案してくれたものです。陽希さんへ渡す山型キャンドルも、キャンドル作りをしていたことからのつながりではありますが、春から陽希さんのチャレンジを追いかけてきたことがなければ成り立たなかったことだと思っています。
子どもは様々な体験から学び、その学びを次の体験につなげていくことで成長していきますが、それと同じで保育園での活動もそれまでの取り組みやそこで学んだことが全部つながって成り立っています。最近特に注目されている人と関わる力、対人知性なんかも、乳児期に他者から刺激を受ける体験が基礎となってきます。どんなことも、程度の違いはありますが、1つ1つがつながっています。そして残念なことに、私たちはそのつながりを忘れてしまいやすいものだと思っています。だからこそ「つながり」や「つながりの意味」を定期的に確認する作業が必要で、例えば年末年始という区切りを利用して「あの時のあの体験があったから今の姿があるんだよなあ」「こういう姿を目指したいわけだから、今のこの体験は大事にしてあげたいよね」「こんな体験の場を用意するのもいいかも」などと考えることが大切になってくるんでしょうね。
冬至の日には柚子を用意して足湯を楽しみました。季節を感じる体験です。大晦日、正月は季節としても、1年という流れの中でも大きな意味を持つ日です。新しい年を迎えること、その独特の雰囲気を子どもたちにたっぷりと伝えてあげてください。来年もよろしくお願いします。
2015年12月22日
冬至
二十四節気
冬至…冬の最中で寒さの厳しい時期。
冬至(とうじ)とは一年でもっとも昼が短く、夜が長い頃。寒さを乗り切るために、栄養価の高いかぼちゃを食べ、柚子湯に浸かり無病息災を願います。
七十二候
2015/12/22
初候 乃東生(なつかれくさしょうず)
夏になると枯れてしまう靭草(うつぼぐさ)の芽が出る頃。靭草は芽を出す頃ですが、この草以外の草木のほとんどは枯れていきます。
2015/12/27
次候 麋角解(さわしかのつのおつる)
ヘラジカの角が生え変わる頃。枝分かれした大きな角が抜け落ち、春にまた新しい角が生え始めます。
2016/01/01
末候 雪下出麦(ゆきわたりてむぎいずる)
降り積もった雪の下で、麦が芽を出しはじめる頃。重い雪の下で、暖かい春をじっと待っています。
「暦生活」より
冬至…冬の最中で寒さの厳しい時期。
冬至(とうじ)とは一年でもっとも昼が短く、夜が長い頃。寒さを乗り切るために、栄養価の高いかぼちゃを食べ、柚子湯に浸かり無病息災を願います。
七十二候
2015/12/22
初候 乃東生(なつかれくさしょうず)
夏になると枯れてしまう靭草(うつぼぐさ)の芽が出る頃。靭草は芽を出す頃ですが、この草以外の草木のほとんどは枯れていきます。
2015/12/27
次候 麋角解(さわしかのつのおつる)
ヘラジカの角が生え変わる頃。枝分かれした大きな角が抜け落ち、春にまた新しい角が生え始めます。
2016/01/01
末候 雪下出麦(ゆきわたりてむぎいずる)
降り積もった雪の下で、麦が芽を出しはじめる頃。重い雪の下で、暖かい春をじっと待っています。
「暦生活」より
2015年12月18日
No.425 文化を伝承するということ
先週の土曜日は餅つき会でした。昨年の餅つき会から、祖父母のみなさんだけでなくお父さんお母さんにも協力してもらう形に変えてきました。保育園では餅つき会を「文化を伝承する」行事と位置づけています。祖父母のみなさんから園児に餅つきの文化を伝えてもらうのですが、ふと「今のお父さんお母さんは臼と杵を使った餅つきの経験がどのくらいあるんだろうか?」と疑問が湧いてきました。今の園児が親になったとき、今のお父さんお母さんは祖父母として餅つきの文化を伝える役になるわけです。ということは保護者のみなさんに餅つきの経験がないのであれば、この先文化を伝承する行事が成り立たなくなるのではないかと心配になりました。そこで一部の方ですが餅つき経験について聞いてみると「経験無し」の方が多かったため、お父さんお母さんにも協力のお願いをして一緒に餅つきを楽しむ形に変えることにしました。ただ、現状はたくさんの方に参加してもらうことが難しいので10名限定とさせてもらいましたが、少しずつでも受け入れの枠を増やしていければと思っています。
当日は祖父母のみなさんの丁寧な指導のもと、お父さんお母さんにも餅つきを楽しんでもらいました。つきたてのお餅を食べる時間と重なってしまったため、子どもたちに十分その様子を見てもらうことはできませんでしたが、三世代でにぎやかな餅つき会を楽しむことができたと思っています。餅つきに限らず文化を伝承する取り組みについては、長く受け継がれていくために何をすべきなのかも丁寧に考える必要があるんでしょうね。
子どもたちに伝えていきたいことといえば「掃除」もそうです。保育園で保育者が行う掃除は、可能な限り子どもたちが見ることのできる時間帯に行うようにしています。掃除をしなければきれいに保つことはできないことを、子どもたちにはちゃんと見える形で伝えたいですし、見せることをしなければ掃除の方法が分からないため子どもたちに掃除を任せることも難しくなってきます。また、例えばほうきや雑巾を使った掃除などは、掃除としてだけでなく、ほうきの持ち方や動かし方、雑巾の絞り方や拭き方などの動き自体にもちゃんと意味があります。手だけでなく体全体を育てていく大切な活動だと捉えると、生活をすること自体も丁寧に行っていかなければいけないと思わされます。今年もあとわずかとなってきました。保育園でも大掃除を予定しています。大掃除も大事な学びの場です。家庭でもできる範囲内で一緒に取り組んでみてください。
2015年12月11日
No.424 共同保育は人間としての出発点
ゴリラ研究の第一人者で京都大学総長の山極壽一(やまぎわじゅいち)さんと、世界に広がっていった人類の道のりを逆ルートで踏破する「グレートジャーニー」をおこなった探検家の関野吉晴さんの対談が、8月にテレビで放送されました。そこで出てきた話がなかなか興味深いものだったので紹介します。関野さんが
「人類は700万年の歴史を持っている。ゴリラやチンパンジーにできないこと、例えば二足歩行や、火や言葉の使用とかをいろいろとやってきた。その中で『これをやらなかったら我々人類はいないだろう』という一番大きな業績は何だと思うか。」
と質問しました。それに対して山極さんは
「食物を共有することと共同保育をすること、つまりあらゆる生活が『ともにある』という心によって作られていること、これが人間としての出発点だと思っている。これがなかったら人間にはならない。そして近隣関係も大事。家族は1つだけではダメ。複数の家族が集まって共同生活をしないと家族というものは存立できない。」
と答えておられました。すごくシンプルなやり取りですが、人間の子育ての原則を端的に示してくれています。「共同保育」が人間の子育ての基本であるということが研究を通して分かったのは、とても興味深いことです。
保護者講演会にも来てくれたことのある新宿せいが保育園の藤森平司園長は、よくこんなことを話されます。
「ゴリラは4年、チンパンジーは5年、オランウータンは7年も授乳期間が続くため、その間はお母さんの手元で育てられます。それに対して人類の授乳期間は1、2年です。離乳すると次の子どもを作ることができるため、霊長類と比較して人類は著しく多産ということになります。子どもが多いということはお母さんが1人で育てることはできないため、いろんな人に抱っこされたり、いろんな人と関わって育てられることは当たり前のことでした。地域の形が変わり少子社会になっている今、家庭や地域の中でいろいろな人と関わって育つことが難しくなっていますし、子ども同士の関わりも減っています。だからこそ保育所のような場で様々な関わりが生まれるようにしていくことは、今の時代においてはますます重要になってきています。」
これらのことから考えると、子どもが家庭だけでなく保育園のような場でも過ごすことはすごく自然なことで、すごく重要なことであるはずです。そして、これは保護者が働いているかどうかに関係なく、全ての子どもに当てはまることです。この“全ての子ども”に対して何をしていくのかが、これからのあさり保育園の大きな課題です。人類の子育ての基本である『共同保育』を守っていくために、できることはまだまだあると思っています。
「人類は700万年の歴史を持っている。ゴリラやチンパンジーにできないこと、例えば二足歩行や、火や言葉の使用とかをいろいろとやってきた。その中で『これをやらなかったら我々人類はいないだろう』という一番大きな業績は何だと思うか。」
と質問しました。それに対して山極さんは
「食物を共有することと共同保育をすること、つまりあらゆる生活が『ともにある』という心によって作られていること、これが人間としての出発点だと思っている。これがなかったら人間にはならない。そして近隣関係も大事。家族は1つだけではダメ。複数の家族が集まって共同生活をしないと家族というものは存立できない。」
と答えておられました。すごくシンプルなやり取りですが、人間の子育ての原則を端的に示してくれています。「共同保育」が人間の子育ての基本であるということが研究を通して分かったのは、とても興味深いことです。
保護者講演会にも来てくれたことのある新宿せいが保育園の藤森平司園長は、よくこんなことを話されます。
「ゴリラは4年、チンパンジーは5年、オランウータンは7年も授乳期間が続くため、その間はお母さんの手元で育てられます。それに対して人類の授乳期間は1、2年です。離乳すると次の子どもを作ることができるため、霊長類と比較して人類は著しく多産ということになります。子どもが多いということはお母さんが1人で育てることはできないため、いろんな人に抱っこされたり、いろんな人と関わって育てられることは当たり前のことでした。地域の形が変わり少子社会になっている今、家庭や地域の中でいろいろな人と関わって育つことが難しくなっていますし、子ども同士の関わりも減っています。だからこそ保育所のような場で様々な関わりが生まれるようにしていくことは、今の時代においてはますます重要になってきています。」
これらのことから考えると、子どもが家庭だけでなく保育園のような場でも過ごすことはすごく自然なことで、すごく重要なことであるはずです。そして、これは保護者が働いているかどうかに関係なく、全ての子どもに当てはまることです。この“全ての子ども”に対して何をしていくのかが、これからのあさり保育園の大きな課題です。人類の子育ての基本である『共同保育』を守っていくために、できることはまだまだあると思っています。
2015年12月7日
大雪
二十四節気
大雪…積陰雪となりて、ここに至りて栗然として大なり。
大雪(たいせつ)とは本格的に冬が到来する頃。山々は雪に覆われ、平野にも雪が降り積もります。新しい年の準備をはじめる「正月事始め」もこの時期から行われます。
七十二候
2015/12/07
初候 閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)
天地の気が塞がれ、冬がおとずれる頃。空は重い雲に覆われ、生き物はじっと気をひそめています。塞ぐという言葉は、寒さから人々を守るという意味でとることもできます。
2015/12/12
次候 熊蟄穴(くまのあなにこもる)
熊が冬ごもりの時期に入り、穴にこもる頃。春になるまで、穴の中で過ごします。熊だけではなく、しまりすや蛙、こうもりも冬ごもりを始めます。
2015/12/17
末候 鱖魚群(さけのうおむらがる)
鮭が川を遡上する頃。海で育った鮭は、産卵のために自分の生まれた川へと里帰りをします。北国では冬を代表する光景のひとつであり、迫力のある遡上を見ることができます。
「暦生活」より
大雪…積陰雪となりて、ここに至りて栗然として大なり。
大雪(たいせつ)とは本格的に冬が到来する頃。山々は雪に覆われ、平野にも雪が降り積もります。新しい年の準備をはじめる「正月事始め」もこの時期から行われます。
七十二候
2015/12/07
初候 閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)
天地の気が塞がれ、冬がおとずれる頃。空は重い雲に覆われ、生き物はじっと気をひそめています。塞ぐという言葉は、寒さから人々を守るという意味でとることもできます。
2015/12/12
次候 熊蟄穴(くまのあなにこもる)
熊が冬ごもりの時期に入り、穴にこもる頃。春になるまで、穴の中で過ごします。熊だけではなく、しまりすや蛙、こうもりも冬ごもりを始めます。
2015/12/17
末候 鱖魚群(さけのうおむらがる)
鮭が川を遡上する頃。海で育った鮭は、産卵のために自分の生まれた川へと里帰りをします。北国では冬を代表する光景のひとつであり、迫力のある遡上を見ることができます。
「暦生活」より
2015年12月6日
田中陽希さんが帰ってきてくれました!
日本2百名山ひと筆書きに挑戦中の田中陽希さんがあさり保育園に立ち寄ってくれました。日曜日でしたがたくさんの親子が集まってくださり、賑やかに迎えることができました。そして奥出雲、広島からも来てくれた方もいました。みなさん、ありがとうございました。
陽希さんはFacebookに「約1万4千キロを歩いて、あさり保育園に帰って来ました♪」と書いておられます。約1万4千キロ!昨年4月に来てもらってからとんでもない距離を歩いておられますね。そして第一声が「帰って来ました〜!」の一言。昨年の出会いを大切に覚えてもらっていたことを感じ、嬉しく思いました。
保育園の中へどうぞとお誘いしたところ、まず「あさり保育園山に登らせてもらおうと決めていたんです」と園庭に向かわれました。実は昨年の百名山ひと筆書き踏破後に陽希さんにお会いした際、子どもたちが園庭の築山に100回登った映像を観てもらったんですが、そのことを覚えていてくれていて「あさり保育園山登頂」を計画してくれていたようです。
昨年の子どもたちの100回チャレンジ
陽希さん、あさり保育園山登頂!
5秒もかからず登ってしまいました。
そして子どもたちが砂場に作っていた山とご対面。さすがにこちらの山には登れないので、手でちょこちょこっと登ってくれました。
その後は園舎内で子どもたちが陽希さんのために準備を考えてくれていたことを1つずつ行っていきました。
まずはさくら保育園で採れたカリンの実で作ったシロップをお湯で割って飲んでもらいました。風邪をひかずに歩き続けてもらいたいという思いです。
子どもたちが書いた応援メッセージを渡しました。子どもたちに囲まれながら読んでくれました。
疲れた体をほぐしてあげたいと肩たたきをしてくれた子もいました。
昨年遊んでもらった卒園児からの応援ビデオを観てもらいました。
6校に別れて入学した11人の卒園児からのメッセージを保護者が集めてくれ、編集までしてくれたものです。ビデオの中には、陽希さんを応援しようという思いから11人が再びつながることができたという言葉も書かれていました。こんなつながりも陽希さんが作ってくれたんだと思うと嬉しくなります。
そして、集まってくれた保護者に向けて子どもたちに対する思いも話してくれました。
体の疲れも痛みももちろんあったと思いますが、私たちとずっと笑顔で接してくれた陽希さん。陽希さんの優しさをたくさん感じることのできた、楽しい時間でした。
まだまだ続く陽希さんの旅を、明日以降もしっかりと応援させてもらいます。
2015年12月4日
No.423 舞台袖から
発表会が終わりました。今年の子どもたちの姿はどのように映ったでしょうか。個々の成長を、そして集団としての成長を感じてもらえたでしょうか。私は今年も舞台の袖であれこれやっていて、発表会前の映像をストップさせてしまったり、出し物の最中に舞台のライトを消してしまったりと、いろいろと迷惑をかけてしまったわけですが、そのことはちょっと置いといて、舞台袖にいたからこそ見えたこと、感じたことを書かせてもらいます。
今年もたくさんの子が裏方役をやってくれました。自分たちの出番以外でも役割があるのは忙しかったと思いますが、裏方役をするために舞台袖に来る子どもたちの表情はとても楽しそうでした。自分のクラスの出し物以外のことに生き生きと取り組んでいる姿を見ていて、発表会を自分たちのこととして楽しんでいるんだなあと嬉しくなりました。そして、りす組の様子を見ながら一緒に手遊びをしてくれる様子も見られました。さらに、くま組の様子を優しく微笑みながら見ていてくれる子もいました。大人が子どもたちの頑張りを見守ってくれているような雰囲気でもあり、ずいぶん成長したなあと感じたりもしました。
こうした姿は子どもたちに教えたものではありません。感覚的に近くなって一緒に楽しんだり、ちょっと距離を置いて見守ったりといった行動は、日々のそうした関わりの積み重ねがあったからこそ見られた姿だと思っています。発表会では何かを教え込むのではなく、日々の生活や遊びの中で育ってきた力を見てもらう場だと言ってきましたが、舞台袖で見ることのできた姿もまさにそれでした。こうした姿を保護者のみなさんにもっと見てもらえるようにすることはできないだろうか?そんなことを改めて考える機会にもなりました。
自分の出番だけでなく、他の子の出番を見たりサポートしたりする場にもなってきているのがここ数年の発表会です。それは練習においても同じです。これは関わる力が育ってきているからこその変化であり、日々の生活の中での関わりがつながっていることを感じています。そして発表会での体験は、その後の生活の場にもちゃんと活かされていくことと思います。「行事はその日だけのものではなく、成長のための通過点である。」今後の行事でも、この思いを丁寧に形にしていきたいと思います。
今年もたくさんの子が裏方役をやってくれました。自分たちの出番以外でも役割があるのは忙しかったと思いますが、裏方役をするために舞台袖に来る子どもたちの表情はとても楽しそうでした。自分のクラスの出し物以外のことに生き生きと取り組んでいる姿を見ていて、発表会を自分たちのこととして楽しんでいるんだなあと嬉しくなりました。そして、りす組の様子を見ながら一緒に手遊びをしてくれる様子も見られました。さらに、くま組の様子を優しく微笑みながら見ていてくれる子もいました。大人が子どもたちの頑張りを見守ってくれているような雰囲気でもあり、ずいぶん成長したなあと感じたりもしました。
こうした姿は子どもたちに教えたものではありません。感覚的に近くなって一緒に楽しんだり、ちょっと距離を置いて見守ったりといった行動は、日々のそうした関わりの積み重ねがあったからこそ見られた姿だと思っています。発表会では何かを教え込むのではなく、日々の生活や遊びの中で育ってきた力を見てもらう場だと言ってきましたが、舞台袖で見ることのできた姿もまさにそれでした。こうした姿を保護者のみなさんにもっと見てもらえるようにすることはできないだろうか?そんなことを改めて考える機会にもなりました。
自分の出番だけでなく、他の子の出番を見たりサポートしたりする場にもなってきているのがここ数年の発表会です。それは練習においても同じです。これは関わる力が育ってきているからこその変化であり、日々の生活の中での関わりがつながっていることを感じています。そして発表会での体験は、その後の生活の場にもちゃんと活かされていくことと思います。「行事はその日だけのものではなく、成長のための通過点である。」今後の行事でも、この思いを丁寧に形にしていきたいと思います。
2015年11月27日
No.422 明日は発表会
明日はいよいよ発表会。子どもたちの発表会に向けての気持ちもそれぞれに盛り上がってきているのを感じています。行事のたびに何度も書いていることですが、行事において子どもの成長を見るとき、当日に見える姿だけでなく、そこに至るまでの過程や、後日どのような行動につながっていくんだろうかといったことも想像しながら見てもらいたいと思っています。そんな思いからクラス便りなどで取り組みの様子や意図を発信してきました。もう一度読み返してみるとイメージしやすくなるかもしれません。
昨日3,4,5歳児クラスで発行された『発表会だより』にはこんなことが書かれていました。ダンスの紹介の文章です。
ここで書かれているように、準備の段階から様々なやり取りが行われてきました。当日は音楽に合わせて思い切り体を動かす姿が中心ですが、自分の思いを伝えたり、友だちの意見を聞いたりといったことを経て共通のイメージを作り上げてきました。そんなことを思い浮かべながら見てもらうと、友だちとのちょっとした視線のやりとりの意味なんかも感じてもらえるんじゃないでしょうか。
そしてクラス毎の出し物では、3歳児までは保育士がステージに上がって共に進めていく形になっていますが、4歳児からは基本的に子どもたちだけで進めていくことになります。その中ではセリフや話す順番、立ち位置などを教え合ったりする姿も見られると思います。自分たちだけでステージに立ち、その場をなんとか調整できるようになるのは、上の子が自分たちで調整する様子を見て、自分たちも日々の生活の中でそれをやっているからです。発表会になると急にできるようになるわけではなく、それまでの様々な体験の積み重ねがあるからこその姿です。そのあたりにもご注目ください。
昨日3,4,5歳児クラスで発行された『発表会だより』にはこんなことが書かれていました。ダンスの紹介の文章です。
発表会で見て頂くダンスは夏祭りのオープニングでぞう組さんが踊った鳴子のダンス『ライジング』です。「え?また?」と思われるかもしれませんが、夏祭りの踊りの練習をしている時から「やりたーい!!」とくま組、きりん組さんが一緒に踊る姿がありました。そしてその子達に教えるぞう組さんの姿があったのです。発表会でのダンスもこの曲にしたら、きっとそういう姿が見られるだろうし、教えることでぞう組さんはまた「自分たちが引っ張っていかないと!!」という気持ちが生まれてくるのではないか?そんな意図があって同じ曲にしました。そして期待通り、子どもたちは教え合ったり、「もっとこうしたらよかった」と振り返ったり、並び順も自分たちで話し合って決めたりと、自分たちで作り上げてきました。本番でも「もっとこう!!」「そこじゃないよ!!」と思わず声が出てしまったり、心配そうに他の子の様子を見ている姿が見られるかもしれません。そんな姿にもご注目ください!!
ここで書かれているように、準備の段階から様々なやり取りが行われてきました。当日は音楽に合わせて思い切り体を動かす姿が中心ですが、自分の思いを伝えたり、友だちの意見を聞いたりといったことを経て共通のイメージを作り上げてきました。そんなことを思い浮かべながら見てもらうと、友だちとのちょっとした視線のやりとりの意味なんかも感じてもらえるんじゃないでしょうか。
そしてクラス毎の出し物では、3歳児までは保育士がステージに上がって共に進めていく形になっていますが、4歳児からは基本的に子どもたちだけで進めていくことになります。その中ではセリフや話す順番、立ち位置などを教え合ったりする姿も見られると思います。自分たちだけでステージに立ち、その場をなんとか調整できるようになるのは、上の子が自分たちで調整する様子を見て、自分たちも日々の生活の中でそれをやっているからです。発表会になると急にできるようになるわけではなく、それまでの様々な体験の積み重ねがあるからこその姿です。そのあたりにもご注目ください。
2015年11月23日
小雪
二十四節気
小雪…冬の到来が感じられる頃。
小雪(しょうせつ)とは、雪が降りはじめる頃。まだ、積もるほど降らないことから、小雪といわれたようです。お世話になった方に、感謝の気持ちを贈るお歳暮の準備をする期間でもあります。
七十二候
2015/11/23
初候 虹蔵不見(にじかくれてみえず)
曇り空が多くなる頃。陽射しが弱まり、虹を見ることが少なくなります。見ることができても、夏の空のようなくっきりとした虹ではなく、ぼんやりとすぐに消えてしまいます。
2015/11/27
次候 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)
冷たい北風が、木々の葉を落とす頃。朔風とは北風のことです。地面いっぱいに広がる落ち葉と、葉を落とした木々は冬の景色の象徴であり、季節の移り変わりが感じられます。
2015/12/02
末候 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)
橘の実が黄色くなっていく頃。橘とは柑橘のことで、古くから日本に自生していました。常緑植物であることから「永遠」を意味するとされ、不老不死の実だといわれていたようです。
「暦生活」より
小雪…冬の到来が感じられる頃。
小雪(しょうせつ)とは、雪が降りはじめる頃。まだ、積もるほど降らないことから、小雪といわれたようです。お世話になった方に、感謝の気持ちを贈るお歳暮の準備をする期間でもあります。
七十二候
2015/11/23
初候 虹蔵不見(にじかくれてみえず)
曇り空が多くなる頃。陽射しが弱まり、虹を見ることが少なくなります。見ることができても、夏の空のようなくっきりとした虹ではなく、ぼんやりとすぐに消えてしまいます。
2015/11/27
次候 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)
冷たい北風が、木々の葉を落とす頃。朔風とは北風のことです。地面いっぱいに広がる落ち葉と、葉を落とした木々は冬の景色の象徴であり、季節の移り変わりが感じられます。
2015/12/02
末候 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)
橘の実が黄色くなっていく頃。橘とは柑橘のことで、古くから日本に自生していました。常緑植物であることから「永遠」を意味するとされ、不老不死の実だといわれていたようです。
「暦生活」より
2015年11月20日
No.421 相手のことを考えて行動する
発表会が迫っていますが、今回は発表会ではなくその先の小イベントについて。以前ここでもお知らせしました通り、昨年4月にあさり保育園へ立ち寄ってくださった田中陽希さんが12月に再び立ち寄ってくださるかもしれません。昨年は日本百名山ひと筆書きを踏破され、今年は日本2百名山ひと筆書きに挑戦されている陽希さん。NHKのBSプレミアムでもその旅の様子が放送されています。現在は蒜山を登り終えて四国に向けて移動中で、四国で3つの山を登られた後に三瓶山へ向かって来られます。私の勝手な予想では三瓶山登頂後は9号線を西に進まれると思うので、再びあさり保育園へ来てくださる可能性は高そうです。
そのことは以前から子どもたちにも伝えていたので、陽希さんが来られた時に何ができるかを子どもたちに話し合ってもらいました。こういうことを考えるのはみんな得意なんでしょうね。写真を撮る、発表会を見せてあげる、折り紙を折って渡す、お鍋を一緒に食べるなど、たくさんの意見が出てきました。興味深いのは「ロフトで休ませてあげよう」「寒い中を歩いてくるんだからあったかいお茶を飲ませてあげよう。」と言う子がいたり、「一緒に園庭で遊びたい」という意見に対し「陽希さんはずっと歩いて疲れてるんだから外で遊ぶのはかわいそう。体をマッサージしてあげよう。」という意見も出たりしていたことです。陽希さんの旅に関心を持ってきたからこそ、疲れている陽希さんのことを思いやった意見が出てきたんだと思います。
相手のことを考えて行動する。これは社会の中で生きていく上で大切なことですよね。ヒトは協力し助け合うことで種をつないできたと考えると、この力こそがヒトの特徴であるとも言えそうです。ではこの力は何もしなくても勝手に育つかというそんなことはなく、適切な環境がなければいけません。この適切な環境として、例えば保育園のような場は大事にしなければいけないと思っています。0歳の赤ちゃんからおじいちゃんやおばあちゃん、地域の方といった多様な他者と関わることができるのが保育園です。その多様な関わりの中で相手のことをじっと見て、真似してみて、相手の気持ちを推測するといったことを、これでもかっ!というくらい体験してほしいですね。陽希さんが来てくれるとして、そこで子どもたちからどのような言葉が出てくるか、どのような行動が見られるか、そしてその時の陽希さんの反応を見て何を感じるか。想像しただけでワクワクしてきます。12月4日が今から楽しみです。
そのことは以前から子どもたちにも伝えていたので、陽希さんが来られた時に何ができるかを子どもたちに話し合ってもらいました。こういうことを考えるのはみんな得意なんでしょうね。写真を撮る、発表会を見せてあげる、折り紙を折って渡す、お鍋を一緒に食べるなど、たくさんの意見が出てきました。興味深いのは「ロフトで休ませてあげよう」「寒い中を歩いてくるんだからあったかいお茶を飲ませてあげよう。」と言う子がいたり、「一緒に園庭で遊びたい」という意見に対し「陽希さんはずっと歩いて疲れてるんだから外で遊ぶのはかわいそう。体をマッサージしてあげよう。」という意見も出たりしていたことです。陽希さんの旅に関心を持ってきたからこそ、疲れている陽希さんのことを思いやった意見が出てきたんだと思います。
相手のことを考えて行動する。これは社会の中で生きていく上で大切なことですよね。ヒトは協力し助け合うことで種をつないできたと考えると、この力こそがヒトの特徴であるとも言えそうです。ではこの力は何もしなくても勝手に育つかというそんなことはなく、適切な環境がなければいけません。この適切な環境として、例えば保育園のような場は大事にしなければいけないと思っています。0歳の赤ちゃんからおじいちゃんやおばあちゃん、地域の方といった多様な他者と関わることができるのが保育園です。その多様な関わりの中で相手のことをじっと見て、真似してみて、相手の気持ちを推測するといったことを、これでもかっ!というくらい体験してほしいですね。陽希さんが来てくれるとして、そこで子どもたちからどのような言葉が出てくるか、どのような行動が見られるか、そしてその時の陽希さんの反応を見て何を感じるか。想像しただけでワクワクしてきます。12月4日が今から楽しみです。
2015年11月13日
No.420 育ちの過程を想像してみてください
あと2週間で発表会。運動会は運動面の発達を見てもらう行事でしたが、今度の発表会は言葉と表現の発達を見てもらう行事です。日々の保育園生活の中でどんな風に言葉や表現の力をつけてきているのか、その過程も感じてもらえるよう準備をしているところです。「言葉」の領域のねらいとして「日常生活に必要な言葉が分かるようになるとともに,絵本や物語などに親しみ,保育士等や友達と心を通わせる。」ということがあり、例えばりす組は朝の会で行っているあいさつや保育士が名前を呼んだ時の応答などを見てもらいます。呼びかけに対してどのような応答ができるようになっているかとか、周りの子の応答の様子を見てどんな反応を示すかとか、そんなことを見てもらう内容になっています。
上のクラスになるといつも親しんでいる絵本などのストーリーを楽しむような内容になっていきます。「人の言葉や話などをよく聞き、自分の経験したことや考えたことを話し、伝え合う喜びを味わう。」といったねらいもあり、どのようなストーリーにするかといったことも話し合って決めることも頻繁に行われています。自分たちが考えた出し物を通して、思いを伝え合ったりすることの楽しさを感じてもらいたいと思っています。
言葉や表現の育ちについて改めて考えているのですが、考えれば考えるほど成長の過程を伝えるのは簡単ではないなあと感じています。というのも、言葉や表現の成長は話したりリズムに合わせて体を動かしているときだけに起きていることではないからです。言葉の成長と聞くと、言葉を使ってやりとりしている姿を思い浮かべると思います。でも、人の話をジーッと聞いていたり、言葉にならずに葛藤するような経験も、言葉の成長には必要なことだと思っています。表現も同じで、誰かが歌ったりリズムに合わせて体を動かしているのをジーッと見たり、葉っぱの形の不思議さを感じたりする経験も、表現の成長には必要なことです。もちろんそれら全てを発表会で伝えることはできません。でも、日々子どもたちが活動していることが、ちゃんと今の言葉や表現の成長につながってきていることを感じてもらえたらなあと思います。ぜひそんなつながりを想像しながら、発表会に向けて活動しているお子さんの話を聞いてみてください。発表会をより楽しく見ることにつながると思いますよ。
上のクラスになるといつも親しんでいる絵本などのストーリーを楽しむような内容になっていきます。「人の言葉や話などをよく聞き、自分の経験したことや考えたことを話し、伝え合う喜びを味わう。」といったねらいもあり、どのようなストーリーにするかといったことも話し合って決めることも頻繁に行われています。自分たちが考えた出し物を通して、思いを伝え合ったりすることの楽しさを感じてもらいたいと思っています。
言葉や表現の育ちについて改めて考えているのですが、考えれば考えるほど成長の過程を伝えるのは簡単ではないなあと感じています。というのも、言葉や表現の成長は話したりリズムに合わせて体を動かしているときだけに起きていることではないからです。言葉の成長と聞くと、言葉を使ってやりとりしている姿を思い浮かべると思います。でも、人の話をジーッと聞いていたり、言葉にならずに葛藤するような経験も、言葉の成長には必要なことだと思っています。表現も同じで、誰かが歌ったりリズムに合わせて体を動かしているのをジーッと見たり、葉っぱの形の不思議さを感じたりする経験も、表現の成長には必要なことです。もちろんそれら全てを発表会で伝えることはできません。でも、日々子どもたちが活動していることが、ちゃんと今の言葉や表現の成長につながってきていることを感じてもらえたらなあと思います。ぜひそんなつながりを想像しながら、発表会に向けて活動しているお子さんの話を聞いてみてください。発表会をより楽しく見ることにつながると思いますよ。
2015年11月8日
立冬
二十四節気
立冬…この日から暦の上で冬。
立冬(りっとう)とは、冬がはじまる頃。木枯らしが吹き、木々の葉が落ち、はやいところでは初雪の知らせが聞こえてきます。真冬の寒さに備えて、冬の準備を始める「こたつ開き」の時期でもあります。
七十二候
2015/11/08
初候 山茶始開(つばきはじめてひらく)
読みは「つばき」ですが、山茶花が咲き始める頃。冬枯れの景色の中で、濃いピンク色の山茶花の花はよりいっそう目立ちながら、綺麗に咲きほこります。
2015/11/13
次候 地始凍(ちはじめてこおる)
冬の冷気のなかで、大地が凍りはじめる頃。朝は霜が降り、場所によっては霜柱がみられるところもあります。夜は冷え込みがいっそう厳しくなるので、部屋の窓の結露にも注意が必要です。
2015/11/18
末候 金盞香(きんせんかさく)
水仙の花が咲きはじめる頃。漢字やよみからは、金盞花を連想してしまいそうですが、水仙の花のことを表しています。水仙は上品な香りと、育てやすさから人気のある花です。
「暦生活」より
立冬…この日から暦の上で冬。
立冬(りっとう)とは、冬がはじまる頃。木枯らしが吹き、木々の葉が落ち、はやいところでは初雪の知らせが聞こえてきます。真冬の寒さに備えて、冬の準備を始める「こたつ開き」の時期でもあります。
七十二候
2015/11/08
初候 山茶始開(つばきはじめてひらく)
読みは「つばき」ですが、山茶花が咲き始める頃。冬枯れの景色の中で、濃いピンク色の山茶花の花はよりいっそう目立ちながら、綺麗に咲きほこります。
2015/11/13
次候 地始凍(ちはじめてこおる)
冬の冷気のなかで、大地が凍りはじめる頃。朝は霜が降り、場所によっては霜柱がみられるところもあります。夜は冷え込みがいっそう厳しくなるので、部屋の窓の結露にも注意が必要です。
2015/11/18
末候 金盞香(きんせんかさく)
水仙の花が咲きはじめる頃。漢字やよみからは、金盞花を連想してしまいそうですが、水仙の花のことを表しています。水仙は上品な香りと、育てやすさから人気のある花です。
「暦生活」より
2015年11月7日
2015年11月6日
No.419 ほどよい母親が最良の親である
10月31日(土)に保護者講演会が行われ、21名の保護者が参加してくださいました。講師は東京都八王子市のせいがの森保育園園長、倉掛秀人先生です。以前から保育のことに関して相談にのっていただいている方で、いつか講演に来ていただきたいと思っていたので実現できたことをうれしく思っています。子どもが持っている力、特に赤ちゃんが持っている力を丁寧に説明してくださり、そこからどう子育てを楽しむかを優しく丁寧に話してくださいました。私もその話を聞かせてもらったので、その中で印象に残っていることを書かせてもらいます。
講演の中で「子どもがよく育つための親の役割」として、イギリスの小児科医ドナルド・ウッド・ウィニコットの言葉が紹介されました。その言葉は『ほどよい母親が最良の親である(good enough mother)』です。ほどよい母親とは「特別に優秀な育児能力や育児への強い熱意を持っている母親ではなく、子どもに自然な愛情と優しさを注ぎ一緒に過ごす時間を楽しむことが出来る、どこにでもいるような母親のこと」です。特別な能力がなくても最良の親になれるということは、全ての母親がよき母親になれるというわけですが、そこには条件が1つあるそうです。その条件とは『お父さんや祖父母のサポートが必要である。』とです。
人類は協力することで様々な環境の変化を乗り越えて子孫を残してきた存在です。私たちには他者と協力する遺伝子が備わっています。それは子育てにおいても例外ではありません。どの時代でも母親だけが子育てをするのではなく、家族や、時には近くにいる他人とも協力し合うのが人類の子育てだったわけですが、社会や地域の変化によってサポートが得られにくいケースが増えてきているようです。子育ては1人で抱え込むものではないということを家族だけでなく社会全体でも理解を深め、家族、保育園、地域が一緒になって大きなサポートの輪を作っていくことがますます大事になってくると思います。そしてそのサポートの輪は子どもの育ちにちゃんとつながっていくはずです。
倉掛先生は「認めてくれる大人がたくさんいるのは子どもにとって幸せなこと。だから保護者同士が仲良くつながってほしい。そして保育園が行っている保育を分かち合ってほしい。分かち合うことによって子どもの経験は豊かになり、子育てはもっと楽しくなる。」と話されました。もちろん大変なことはあるけれど、それも含めて楽しいと思える子育てをしてもらいたいというのがあさり保育園の思いです。保育園という場を通して、多くの人がつながった子育てが広がっていけばいいなあと思っています。
2015年11月5日
2015年10月30日
No.418 外遊びについて
久しぶりに雨が降ったりしましたが、今年の秋は気持ちのいい天気が多いですね。秋は自然の変化を楽しむにはもってこいの季節。植物の変化を楽しんだり、アキグミをとって食べたり、栗やサツマイモを園庭で調理して食べたりと、秋を満喫したりしています。もちろん外遊びを楽しむのにもちょうどいい気候で、子どもたちは全身を動かして遊ぶことを楽しんでいます。今回はその外遊びについての興味深い話を紹介します。
外遊びについてのある研究結果を見つけました。その研究結果とは、『積極的に体育指導を取り入れている幼稚園・保育園よりも、自由に遊ばせている園の子どもの方が、運動能力が高い』というものです。これは東京学芸大学名誉教授・杉原隆氏が調査されたもので、25メートル走や立ち幅跳びなど6つの種目について、9,000人の幼稚園児の運動能力を調べた結果だそうです。このことについて、3つの理由が挙げられています。①「大人が決めたことをやらせる」よりも「子どもがやりたいことをやる」方が、高い意欲をもって取り組める。②「説明を聞く時間・順番待ちの時間」。自由に遊ぶ子どもたちのほうが、実際に体を動かしている時間が長い。③動きの種類の豊富さの差。定められた運動を繰り返すよりも、好き勝手に鬼ごっこ・木登り・鉄棒・ジャングルジム・砂場遊び・秘密基地作りなどをしている方が、多くの種類の動きを経験できる。
幼児期は体全体を育てていく時期。特定の動きや筋力を訓練して育てていく時期ではありません。特定の体育指導を行ってどれだけの効果があるんだろう?という疑問をもっておられる方は少なくないと思います。研究結果からも分かるように、やはり幼児期は総合的に体を使う方がいいんですね。ちなみにあさり保育園の園庭は、ただ歩き回るだけでも様々な動きを経験することを狙ってデザインしています。例えば、あらゆる箇所で丸太を越えないと前に進めなかったり、様々な物をよける動きも頻繁に必要だったり、地面の固さも様々なのでバランスをとらなければいけなかったり。また、様々な動きを必要とする遊び場も少しずつ増やしてきています。あさり保育園の園庭の大きな特徴と考えています。そして何よりも大事だと思うのが、①の高い意欲をもって取り組むことです。子どもたち自身が遊びを選択することによって、その遊びへの熱中度は高まります。外遊びに限らず、このことは保育園生活のあらゆる場面で大切にしていることです。こうした研究結果から子どもたちの活動や環境を検証することも大事ですね。
外遊びについてのある研究結果を見つけました。その研究結果とは、『積極的に体育指導を取り入れている幼稚園・保育園よりも、自由に遊ばせている園の子どもの方が、運動能力が高い』というものです。これは東京学芸大学名誉教授・杉原隆氏が調査されたもので、25メートル走や立ち幅跳びなど6つの種目について、9,000人の幼稚園児の運動能力を調べた結果だそうです。このことについて、3つの理由が挙げられています。①「大人が決めたことをやらせる」よりも「子どもがやりたいことをやる」方が、高い意欲をもって取り組める。②「説明を聞く時間・順番待ちの時間」。自由に遊ぶ子どもたちのほうが、実際に体を動かしている時間が長い。③動きの種類の豊富さの差。定められた運動を繰り返すよりも、好き勝手に鬼ごっこ・木登り・鉄棒・ジャングルジム・砂場遊び・秘密基地作りなどをしている方が、多くの種類の動きを経験できる。
幼児期は体全体を育てていく時期。特定の動きや筋力を訓練して育てていく時期ではありません。特定の体育指導を行ってどれだけの効果があるんだろう?という疑問をもっておられる方は少なくないと思います。研究結果からも分かるように、やはり幼児期は総合的に体を使う方がいいんですね。ちなみにあさり保育園の園庭は、ただ歩き回るだけでも様々な動きを経験することを狙ってデザインしています。例えば、あらゆる箇所で丸太を越えないと前に進めなかったり、様々な物をよける動きも頻繁に必要だったり、地面の固さも様々なのでバランスをとらなければいけなかったり。また、様々な動きを必要とする遊び場も少しずつ増やしてきています。あさり保育園の園庭の大きな特徴と考えています。そして何よりも大事だと思うのが、①の高い意欲をもって取り組むことです。子どもたち自身が遊びを選択することによって、その遊びへの熱中度は高まります。外遊びに限らず、このことは保育園生活のあらゆる場面で大切にしていることです。こうした研究結果から子どもたちの活動や環境を検証することも大事ですね。
2015年10月24日
霜降
二十四節気
霜降…霜が降りる頃という意味。
霜降(そうこう)とは、朝晩の冷え込みがさらに増し、北国や山里では霜が振り始める頃。露が霜に変わり、だんだんと冬が近づいてきました。
七十二候
2015/10/24
初候 霜始降(しもはじめてふる)
氷の結晶である、霜がはじめて降りる頃。昔は、朝に外を見たとき、庭や道沿いが霜で真っ白になっていることから、雨や雪のように空から降ってくると思われていました。そのため、霜は降るといいます。
2015/10/29
次候 霎時施(こさめときどきふる)
ぱらぱらと通り雨のように雨が降りはじめる頃。雨が降ったかと思えば、すぐに青空が顔を出します。初時雨は、人々や動物たちが冬支度をはじめる合図だといわれています。
2015/11/03
末候 楓蔦黄(もみじつたきばむ)
もみじや蔦が色づいてくる頃。葉が赤色に変わることを「紅葉」と呼び、銀杏のように黄色に変わることは「黄葉」と呼びます。また、秋の山が紅葉することを「山粧う(よそおう)」といいます。
「暦生活」より
霜降…霜が降りる頃という意味。
霜降(そうこう)とは、朝晩の冷え込みがさらに増し、北国や山里では霜が振り始める頃。露が霜に変わり、だんだんと冬が近づいてきました。
七十二候
2015/10/24
初候 霜始降(しもはじめてふる)
氷の結晶である、霜がはじめて降りる頃。昔は、朝に外を見たとき、庭や道沿いが霜で真っ白になっていることから、雨や雪のように空から降ってくると思われていました。そのため、霜は降るといいます。
2015/10/29
次候 霎時施(こさめときどきふる)
ぱらぱらと通り雨のように雨が降りはじめる頃。雨が降ったかと思えば、すぐに青空が顔を出します。初時雨は、人々や動物たちが冬支度をはじめる合図だといわれています。
2015/11/03
末候 楓蔦黄(もみじつたきばむ)
もみじや蔦が色づいてくる頃。葉が赤色に変わることを「紅葉」と呼び、銀杏のように黄色に変わることは「黄葉」と呼びます。また、秋の山が紅葉することを「山粧う(よそおう)」といいます。
「暦生活」より
2015年10月23日
No.417 ちょっとした共通点
先日、東大教授の梶田隆章氏がノーベル物理学賞を受賞されました。ニュートリノという物質が質量を持つことを発見したことが今回の受賞につながったようですが、このニュートリノのことを含めて研究内容について私は全く理解できていません。なので内容には触れず、ノーベル賞と保育のちょっとした共通点について考えたことを書きます。
ニュートリノが質量を持つことは、岐阜県の神岡町にあるスーパーカミオカンデという研究施設で発見されました。この施設は1996年に作られたもので、「50,000トンの超純水を蓄えた直径40m深さ41.4mのタンクと、その内部に設置した11,200本の光電子増倍管からなる、地下1,000mに位置する施設」と、全てがとんでもない規模の施設です。しかもそこで行われる研究によって私たちの生活に直結する豊かさがもたらされるかというと、そのような種類の研究ではないと思います。ということは、一般的な“効率・非効率”の基準に照らしてみると、おそらくこの施設や研究は非効率の部類に入るんじゃないでしょうか。でもこの施設があったこと、この施設を作ろうという思いが20年前、30年前の日本にあったことが今回のノーベル賞につながったのは間違いありません。つまり今回の受賞は、結果が出るかどうか分からない、すぐに役に立つかどうか分からない研究に資源を投入してきた過去の日本の姿勢が評価されたと言えなくもないわけで、そのことを私たちは理解しておく必要があると思っています。
さて保育のことに話を移すと、保育の中にも非効率なこと、どんな力につながっていくのか分かりにくいものがたくさんあります。そんなものだらけかもしれません。ハイハイの時期を歩く練習に費やすと、もしかすると早く歩けるようになるかもしれません。子どもたちの個の違いや意思とは関係なく一斉に同じように動かそうとすると、もしかすると無駄の少ない活動ができるのかもしれません。でも、“今”にこだわり少しでも早く結果が出ることを求めて、少しでも無駄なく効率的で“有益”な保育を目指して、それで子どもたちが得られるものは一体何だろうと考えます。子どもたちの活躍の場が“今”であればそれでもいいのかもしれません。でもそうではないですよね。活躍の場は大人になり社会の中心となっていくとき、つまり20年後、30年後であるはずです。そこを見据え、基礎となる力を確実につけていく時期が乳幼児期で、ここに力をかけることが20年後の社会のあり方に大きく影響してくると思っています。「すぐに目に見える力」にはつながらないとしても、後に必要となる力の獲得に向けた取り組みは大切にしていかなければなりません。ノーベル賞も保育も効率的な道はなく、しっかりと先を見据え、今を信じて地道に進み続けることが、どちらにおいても大事なことなんでしょうね。
ニュートリノが質量を持つことは、岐阜県の神岡町にあるスーパーカミオカンデという研究施設で発見されました。この施設は1996年に作られたもので、「50,000トンの超純水を蓄えた直径40m深さ41.4mのタンクと、その内部に設置した11,200本の光電子増倍管からなる、地下1,000mに位置する施設」と、全てがとんでもない規模の施設です。しかもそこで行われる研究によって私たちの生活に直結する豊かさがもたらされるかというと、そのような種類の研究ではないと思います。ということは、一般的な“効率・非効率”の基準に照らしてみると、おそらくこの施設や研究は非効率の部類に入るんじゃないでしょうか。でもこの施設があったこと、この施設を作ろうという思いが20年前、30年前の日本にあったことが今回のノーベル賞につながったのは間違いありません。つまり今回の受賞は、結果が出るかどうか分からない、すぐに役に立つかどうか分からない研究に資源を投入してきた過去の日本の姿勢が評価されたと言えなくもないわけで、そのことを私たちは理解しておく必要があると思っています。
さて保育のことに話を移すと、保育の中にも非効率なこと、どんな力につながっていくのか分かりにくいものがたくさんあります。そんなものだらけかもしれません。ハイハイの時期を歩く練習に費やすと、もしかすると早く歩けるようになるかもしれません。子どもたちの個の違いや意思とは関係なく一斉に同じように動かそうとすると、もしかすると無駄の少ない活動ができるのかもしれません。でも、“今”にこだわり少しでも早く結果が出ることを求めて、少しでも無駄なく効率的で“有益”な保育を目指して、それで子どもたちが得られるものは一体何だろうと考えます。子どもたちの活躍の場が“今”であればそれでもいいのかもしれません。でもそうではないですよね。活躍の場は大人になり社会の中心となっていくとき、つまり20年後、30年後であるはずです。そこを見据え、基礎となる力を確実につけていく時期が乳幼児期で、ここに力をかけることが20年後の社会のあり方に大きく影響してくると思っています。「すぐに目に見える力」にはつながらないとしても、後に必要となる力の獲得に向けた取り組みは大切にしていかなければなりません。ノーベル賞も保育も効率的な道はなく、しっかりと先を見据え、今を信じて地道に進み続けることが、どちらにおいても大事なことなんでしょうね。
2015年10月16日
No.416 エディーヘッドコーチの話から
ラグビーのイングランドW杯を楽しんだ方はどのくらいいるんでしょうか?子どもの頃、新日鉄釜石の松尾雄治選手のプレーを興奮しながら観ていた私は、当時のことを思い出しながらしっかりと楽しませてもらいました。どう見ても体格やパワーで劣る日本代表がここまで強くなった理由について非常に興味を持って観ていたんですが、エディー・ジョーンズ・ヘッドコーチが帰国後のインタビューで興味深いコメントをしているのを聞いてなるほどと思ったことがあります。今回はそれを紹介します。
エディーHCは次のようなことを話されています。
これはラグビーだけの話ではないですよね。例えば「例えば、規律を守ること、従順であることが必要以上に求められていないでしょうか。」という部分。これは集団の考え方の問題を指摘しているようにも思います。みんなが同じように行動する集団が求められる時代から、個性を発揮することで他に貢献する、カバーし合う集団が求められる時代にシフトしてきているわけですが、規律や従順さを必要以上に求めていることは今でもいろんな場面であると思います。じっくりと考えたいことです。
そして「足の速い選手に中距離選手の練習をさせたら、彼のスピードは失われます。ウサイン・ボルトはマラソンランナーのような練習はしません。」という部分。これもとても大事なことですよね。以前紹介した「杉の木の両親と松の木の子ども」でも同じことが取り上げられていました。子どもの個性を伸ばし、その個性を活かして社会で活躍してもらいたいという思いは誰でも同じだと思います。だとすれば、子どもの個性を先入観抜きで見ることが出来ているか?その個性を潰してしまうようなことを押し付けてはいないか?そんなことを常に確認する必要があると訴えているように思います。
みなさんはエディーHCのインタビューを読んで、どんなことを感じましたか?
エディーHCは次のようなことを話されています。
「日本のラグビーは本領発揮できていないと常に思っている。日本には優秀な選手がたくさんいる。日本では高校、大学、トップリーグでも高いレベルでパフォーマンスする指導ができていない。規律を守らせるため、従順にさせるためだけに練習をしている。それでは勝てない。」そして陸上選手を引き合いに出し、
「足の速い選手に中距離選手の練習をさせたら、彼のスピードは失われます。ウサイン・ボルトはマラソンランナーのような練習はしません。ラグビー選手を育てる練習をしないといけない。そうすることにより日本のラグビー界の層を厚くすることができる。すると競争力も上がり、優秀な選手が増えた結果、代表チームが強くなります。」
これはラグビーだけの話ではないですよね。例えば「例えば、規律を守ること、従順であることが必要以上に求められていないでしょうか。」という部分。これは集団の考え方の問題を指摘しているようにも思います。みんなが同じように行動する集団が求められる時代から、個性を発揮することで他に貢献する、カバーし合う集団が求められる時代にシフトしてきているわけですが、規律や従順さを必要以上に求めていることは今でもいろんな場面であると思います。じっくりと考えたいことです。
そして「足の速い選手に中距離選手の練習をさせたら、彼のスピードは失われます。ウサイン・ボルトはマラソンランナーのような練習はしません。」という部分。これもとても大事なことですよね。以前紹介した「杉の木の両親と松の木の子ども」でも同じことが取り上げられていました。子どもの個性を伸ばし、その個性を活かして社会で活躍してもらいたいという思いは誰でも同じだと思います。だとすれば、子どもの個性を先入観抜きで見ることが出来ているか?その個性を潰してしまうようなことを押し付けてはいないか?そんなことを常に確認する必要があると訴えているように思います。
みなさんはエディーHCのインタビューを読んで、どんなことを感じましたか?
2015年10月9日
No.415 研究発表も行います
既にお知らせしているように、10月24日(土)に島根県保育研究大会が江津市で行われます。みなさんの協力のおかげで、多くの職員がそこへ参加することができそうです。ありがとうございます。自分たちの園の保育については自分たちが考えなければいけないのですが、「自分たちだけで」というのはどうしても限界があります。多くの人から刺激を受けることでしか得られない気づきもあるので、そのための貴重な場と捉えて学んできたいと考えています。
その研究大会において、あさり保育園とさくら保育園が研究発表をすることになっています。自分たちが行っていることを整理し、多くの人に見てもらって意見をもらい、そこからまた自分たちの取り組みを振り返る機会と捉え、昨年度から研究発表をさせてもらっています。自分たちの考えを大勢の人の前で発表することは簡単なことではないのですが、そこに職員全員で協力し挑戦してくれていることをありがたく思っています。今年度はK保育士が中心になって取り組み、発表も行ってくれます。
今回発表するテーマは乳児の「共感」です。例として取り上げるりす・うさぎ組の活動の場面にこんなものがあります。年度当初は食事の際に子どもたちのおしぼりを保育者が配ってあげていたんですが、今ではその役を代わりにやってくれる子どもが出てきています。1人ひとり名前を呼んで「どうぞ」と言いながら配ってくれています。大人からやってもらっていたことを今度は自分がやってあげるという、役割交代というものです。この役割交代を通して、子どもは相手がどんな思いでその行動を行っていたのかを察することにもなります。そうやって他者の思いを察することができるようになるのが共感で、その共感ができるからこそ相手を助けようとする思いも育っていきます。
この役割交代は他者に共感する、すなわち社会性の基礎の力を獲得するために必要なことで、だからこそ役割交代を十分に行うことが必要です。大人がやるとすぐに終わってしまうことでも、子どもに任せると時間がかかるかもしれませんし、上手くいかないこともあるでしょう。でも大事な体験だからと思い切って任せることも必要です。そして何よりもその体験をするための他者の存在があることが大事です。いろんな役割をもって活動している他者を見る場があるからこそ、その役割を自分がやってみようという気持ちが湧いてきますし、やってあげる対象(例で取り上げたおしぼりを配る場面では配ってもらう子どもたち)がたくさんいることで体験の意味はより深まります。こうした役割交代の体験を豊かにしていくことも今後の課題と考えています。
その研究大会において、あさり保育園とさくら保育園が研究発表をすることになっています。自分たちが行っていることを整理し、多くの人に見てもらって意見をもらい、そこからまた自分たちの取り組みを振り返る機会と捉え、昨年度から研究発表をさせてもらっています。自分たちの考えを大勢の人の前で発表することは簡単なことではないのですが、そこに職員全員で協力し挑戦してくれていることをありがたく思っています。今年度はK保育士が中心になって取り組み、発表も行ってくれます。
今回発表するテーマは乳児の「共感」です。例として取り上げるりす・うさぎ組の活動の場面にこんなものがあります。年度当初は食事の際に子どもたちのおしぼりを保育者が配ってあげていたんですが、今ではその役を代わりにやってくれる子どもが出てきています。1人ひとり名前を呼んで「どうぞ」と言いながら配ってくれています。大人からやってもらっていたことを今度は自分がやってあげるという、役割交代というものです。この役割交代を通して、子どもは相手がどんな思いでその行動を行っていたのかを察することにもなります。そうやって他者の思いを察することができるようになるのが共感で、その共感ができるからこそ相手を助けようとする思いも育っていきます。
この役割交代は他者に共感する、すなわち社会性の基礎の力を獲得するために必要なことで、だからこそ役割交代を十分に行うことが必要です。大人がやるとすぐに終わってしまうことでも、子どもに任せると時間がかかるかもしれませんし、上手くいかないこともあるでしょう。でも大事な体験だからと思い切って任せることも必要です。そして何よりもその体験をするための他者の存在があることが大事です。いろんな役割をもって活動している他者を見る場があるからこそ、その役割を自分がやってみようという気持ちが湧いてきますし、やってあげる対象(例で取り上げたおしぼりを配る場面では配ってもらう子どもたち)がたくさんいることで体験の意味はより深まります。こうした役割交代の体験を豊かにしていくことも今後の課題と考えています。
2015年10月8日
寒露
二十四節気
寒露…露は結び始めの頃。
寒露(かんろ)とは、夜が長くなり、露がつめたく感じられる頃。朝晩の冷え込みはきつくなりますが、空気が澄んだ秋晴れの過ごしやすい日が多くなります。夜空を見上げると、より美しくきれいに輝く月が見られます。
七十二候
2015/10/08
初候 鴻雁来(こうがんきたる)
ツバメと入れ違いに雁が北から渡ってくる頃。雁は日本で冬を過ごし、暖かい春になるとシベリアの方へ帰っていきます。毎年、初めに訪れる雁を「初雁(はつかり)」と呼びます。
2015/10/14
次候 菊花開(きくのはなひらく)
菊の花がさく頃。各地で、菊の展示や菊まつり、品評会が行われます。菊には不老長寿の薬効があるとされ、旧暦9月9日の重陽の節句には、菊の花を酒に浮かべた菊花酒を飲む風習がありました。
2015/10/19
末候 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)
蟋蟀が戸口でなく頃。この候の蟋蟀は、夏から冬にかけて見られ、鈴のような音色を響かせるツヅレサセコウロギだと言われています。ギーッチョンと機織りのように鳴く蟋蟀ではありません。
「暦生活」より
寒露…露は結び始めの頃。
寒露(かんろ)とは、夜が長くなり、露がつめたく感じられる頃。朝晩の冷え込みはきつくなりますが、空気が澄んだ秋晴れの過ごしやすい日が多くなります。夜空を見上げると、より美しくきれいに輝く月が見られます。
七十二候
2015/10/08
初候 鴻雁来(こうがんきたる)
ツバメと入れ違いに雁が北から渡ってくる頃。雁は日本で冬を過ごし、暖かい春になるとシベリアの方へ帰っていきます。毎年、初めに訪れる雁を「初雁(はつかり)」と呼びます。
2015/10/14
次候 菊花開(きくのはなひらく)
菊の花がさく頃。各地で、菊の展示や菊まつり、品評会が行われます。菊には不老長寿の薬効があるとされ、旧暦9月9日の重陽の節句には、菊の花を酒に浮かべた菊花酒を飲む風習がありました。
2015/10/19
末候 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)
蟋蟀が戸口でなく頃。この候の蟋蟀は、夏から冬にかけて見られ、鈴のような音色を響かせるツヅレサセコウロギだと言われています。ギーッチョンと機織りのように鳴く蟋蟀ではありません。
「暦生活」より
2015年10月2日
No.414 試行錯誤している段階です
運動会が終わりました。みなさんは今回の運動会をどのように感じられたでしょうか?子どもたちの“今できること”は見てもらえたでしょうか?どの行事もそうなのですが、よかったと思える点があるのと同時に改善すべき点が見つかります。行事に完成形なんてないので当然のことです。ここで見つかった改善すべき点は次への課題です。運動会で見てもらう子どもたちの姿が完成形ではなく次の課題に向けて進んでいる成長の途中であるように、今年のあさり保育園の運動会もまだまだ内容を深めていくために試行錯誤している段階です。子どもの成長する姿を見ながらあたたたかく応援するのと同じように、あさり保育園の運動会(に限らず他の行事も)の変化をあたたかく見守っていただきたいと思います。
分かりにくいかもしれませんが、上の写真は年長児のリレーの対戦表です。当日の放送にもあったように、運動会前から競争を重ねてきました。作戦を立て、順番を変えたりしながら競い合った結果は、赤が8勝、白が5勝です。前半はほとんど赤が勝っていたのが、だんだん白も勝つようになってきています。勝負を繰り返す中で作戦を立てる話し合いは両チームとも上手になっていったと思いますし、勝ちたい思いはどちらも強くなっていったと想像しています。運動会当日だけを見れば白の勝利ですが、やはりそこに至るまでの過程を大切にしたいですし、だからこそその部分をいかにみなさんに伝えるかを考えなければいけないと思っています。子どもたちの「今」を見てもらうことで、その背景にある様々な体験の積み重ねを感じてもらうことは、行事の目的でもあると考えているからです。
運動会の次の行事は発表会です。ここでは言葉と表現の育ちを見てもらうことが目的です。そして子どもたちの「今」だけでなく、その背景の保育園での様々な体験を感じてもらうことにももちろん力を入れていきます。日々の生活、子ども同士の関わり、身の周りのものに触れることなど、様々な体験によって言葉や表現の土台が作られていきます。大きな青虫を見つけた子どもが、その嬉しさを共有しようと友だちを呼んでいました。青虫をつつくと汁を出し、それを気持ち悪がって悲鳴をあげています。外見や動きをじっくり観察し、見たこと感じたことをそれぞれの言葉で伝え合っています。青虫の動きを真似したりもしていました。よくある出来事ですが、育ちにつながる大事な要素がたくさん詰まっています。
分かりにくいかもしれませんが、上の写真は年長児のリレーの対戦表です。当日の放送にもあったように、運動会前から競争を重ねてきました。作戦を立て、順番を変えたりしながら競い合った結果は、赤が8勝、白が5勝です。前半はほとんど赤が勝っていたのが、だんだん白も勝つようになってきています。勝負を繰り返す中で作戦を立てる話し合いは両チームとも上手になっていったと思いますし、勝ちたい思いはどちらも強くなっていったと想像しています。運動会当日だけを見れば白の勝利ですが、やはりそこに至るまでの過程を大切にしたいですし、だからこそその部分をいかにみなさんに伝えるかを考えなければいけないと思っています。子どもたちの「今」を見てもらうことで、その背景にある様々な体験の積み重ねを感じてもらうことは、行事の目的でもあると考えているからです。
運動会の次の行事は発表会です。ここでは言葉と表現の育ちを見てもらうことが目的です。そして子どもたちの「今」だけでなく、その背景の保育園での様々な体験を感じてもらうことにももちろん力を入れていきます。日々の生活、子ども同士の関わり、身の周りのものに触れることなど、様々な体験によって言葉や表現の土台が作られていきます。大きな青虫を見つけた子どもが、その嬉しさを共有しようと友だちを呼んでいました。青虫をつつくと汁を出し、それを気持ち悪がって悲鳴をあげています。外見や動きをじっくり観察し、見たこと感じたことをそれぞれの言葉で伝え合っています。青虫の動きを真似したりもしていました。よくある出来事ですが、育ちにつながる大事な要素がたくさん詰まっています。
2015年9月25日
No.413 運動会と天気の話
明日は運動会。毎度のことですが、行事前には天気が気になります。秋の天気はころころ変わるので特に心配ですね。晴れの場合は園庭で、雨の場合は浅利地域コミュニティ交流センターで行うことになっていて、どちらの準備もできてはいるんですが、なんとか園庭で行いたいという思いの方が強いです。運動面の発達を見てもらう目的を考えると場所にこだわる必要はないのかもしれませんが、普段どのように活動し、どのように力をつけてきているかを見て「感じて」もらうためには、この園庭で行う運動会の方が伝わりやすいんじゃないかと思っています。種目に取り組んでいる姿だけでなく、自分の出番を待っている間の姿や、その際の友だちとの関わりなどの何気ない“いつもの様子”から伝わるものも大事だと思うんですよね。
昨日の天気は良くなかったため、予行練習は交流センターで行いました。実際にマットや平均台などを使って交流センター内で行うのは初めてで、しかも園庭で行う場合とはコースも内容も少し違います。そのことに子どもたちは戸惑うのではないかとも思っていましたが、ほとんど問題なく行うことができました。みんなとてもいい表情で、いつもとは違う場所での運動を楽しんでいることも伝わってきました。このように変化に対して柔軟に対応している姿を見ていると、頼もしさを感じてうれしくなってきます。
急な予定の変更は運動会などの行事以外でもたくさんあり、そんな時にどう振る舞うかはとても大事なことだと思っています。残念ながら私たちには天気を変えることはできません。いくら晴れを望んでいても、雨が降ったらその天気に合わせて活動するしかありません。仕方のないことをどれだけ前向きに受け止めることができるか。その中でどう行動することを選んでいけばいいのか。運動会はそうしたことを身をもって学んでいく絶好の機会でもあると捉えると、明日の天気の心配があることはむしろ好ましいことなのかもしれないと思えてきます(もちろん晴れて欲しいことには変わりはないのですが)。
以前からお伝えしているように、明日の運動会では子どもたちができるようになったことを見てもらい、共に子どもたちの成長を喜びたいと思っています。そしてもし雨になったとしても、「雨が降ったけど楽しもうね」といった柔軟な受け止め方をみなさんと共に子どもたちに示していく機会にできたらと思っています。
デモハレマスヨウニ。
昨日の天気は良くなかったため、予行練習は交流センターで行いました。実際にマットや平均台などを使って交流センター内で行うのは初めてで、しかも園庭で行う場合とはコースも内容も少し違います。そのことに子どもたちは戸惑うのではないかとも思っていましたが、ほとんど問題なく行うことができました。みんなとてもいい表情で、いつもとは違う場所での運動を楽しんでいることも伝わってきました。このように変化に対して柔軟に対応している姿を見ていると、頼もしさを感じてうれしくなってきます。
急な予定の変更は運動会などの行事以外でもたくさんあり、そんな時にどう振る舞うかはとても大事なことだと思っています。残念ながら私たちには天気を変えることはできません。いくら晴れを望んでいても、雨が降ったらその天気に合わせて活動するしかありません。仕方のないことをどれだけ前向きに受け止めることができるか。その中でどう行動することを選んでいけばいいのか。運動会はそうしたことを身をもって学んでいく絶好の機会でもあると捉えると、明日の天気の心配があることはむしろ好ましいことなのかもしれないと思えてきます(もちろん晴れて欲しいことには変わりはないのですが)。
以前からお伝えしているように、明日の運動会では子どもたちができるようになったことを見てもらい、共に子どもたちの成長を喜びたいと思っています。そしてもし雨になったとしても、「雨が降ったけど楽しもうね」といった柔軟な受け止め方をみなさんと共に子どもたちに示していく機会にできたらと思っています。
デモハレマスヨウニ。
2015年9月23日
秋分
二十四節気
秋分…昼と夜との時間が等しくなる。本格的な秋の始まり。
秋分(しゅうぶん)とは、春分と同じように、太陽が真東から昇り真西に沈む、昼と夜の長さが同じになる日のこと。秋分の日を中心とした一週間が秋のお彼岸です。これから次第に秋が深まっていきます。
七十二候
2015/09/23
初候 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)
夏の間に鳴り響いた雷が収まる頃。空にはもこもことした鱗雲があらわれます。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉の通り、残暑も落ち着き、秋の気候へと変わっていきます。
2015/09/28
次候 蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)
外で活動していた虫たちが冬ごもりの支度をはじめる頃。虫たちは秋冬が終わるのを、約半年間も土の中で静かに待ちます。そして、啓蟄の頃に再び姿を現します。
2015/10/03
末候 水始涸(みずはじめてかる)
田の水を落として、稲穂の刈り入れを始める頃。収穫の秋まっただなかで、大忙しですが、黄金に色づいた稲穂が輝き、風がなびく風景はとても美しいです。
「暦生活」より
秋分…昼と夜との時間が等しくなる。本格的な秋の始まり。
秋分(しゅうぶん)とは、春分と同じように、太陽が真東から昇り真西に沈む、昼と夜の長さが同じになる日のこと。秋分の日を中心とした一週間が秋のお彼岸です。これから次第に秋が深まっていきます。
七十二候
2015/09/23
初候 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)
夏の間に鳴り響いた雷が収まる頃。空にはもこもことした鱗雲があらわれます。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉の通り、残暑も落ち着き、秋の気候へと変わっていきます。
2015/09/28
次候 蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)
外で活動していた虫たちが冬ごもりの支度をはじめる頃。虫たちは秋冬が終わるのを、約半年間も土の中で静かに待ちます。そして、啓蟄の頃に再び姿を現します。
2015/10/03
末候 水始涸(みずはじめてかる)
田の水を落として、稲穂の刈り入れを始める頃。収穫の秋まっただなかで、大忙しですが、黄金に色づいた稲穂が輝き、風がなびく風景はとても美しいです。
「暦生活」より
2015年9月21日
岡山顔マラソン
今日は岡山顔マラソンの日。43km、5時間50分。岡山の地をグルグル走り回ってきました。
スタート後すぐ、昨日岡山顔マラソンを走られたお二人に声をかけられました。スタート時間を公開していたのでそれに合わせてわざわざ会いに来てくださったそうで、うまい棒をいただいたり、おすすめスポットなんかも教えてもらったりしました。
しかもお一人はワラーチ!
初めてお会いしたわけですが、顔マラランナーというだけで親近感が湧き、結構いろいろお話をさせてもらいました。感謝です。
そんな出会いもありながらスタートした岡山顔マラソン、今回はコースを何度も間違えました。結構頻繁に曲がらされるコースということもあり、地味に苦戦しました。でも全体的にフラットなコースなので、走りやすかったです。
途中でいろんなものも発見できました。
島根では見ることのできない「出会頭!」。確かに危険な場所でした。
こんな道も。もちろん通りました。
30km過ぎにあった和菓子屋さん。桃太郎の地岡山なのに、なぜか浦志満(うらしま)本舗。
マスカットと白桃のゼリーを購入。美味しかった!
素敵な壁画も発見。どちらも味がありすぎます。
丸い歩道橋と五角形の歩道橋。
もちろんグルグルしときました。
今回の岡山顔マラソン完走で、中国地方の5顔全て完走しました!でもまだ5顔全て逆回りで完走&裸足でも完走することが残っています。まだまだ中国地方の顔マラソンコースを楽しませてもらいます。
岡山の顔
島根の顔
広島の顔
鳥取の顔
山口の顔
スタート後すぐ、昨日岡山顔マラソンを走られたお二人に声をかけられました。スタート時間を公開していたのでそれに合わせてわざわざ会いに来てくださったそうで、うまい棒をいただいたり、おすすめスポットなんかも教えてもらったりしました。
しかもお一人はワラーチ!
初めてお会いしたわけですが、顔マラランナーというだけで親近感が湧き、結構いろいろお話をさせてもらいました。感謝です。
そんな出会いもありながらスタートした岡山顔マラソン、今回はコースを何度も間違えました。結構頻繁に曲がらされるコースということもあり、地味に苦戦しました。でも全体的にフラットなコースなので、走りやすかったです。
途中でいろんなものも発見できました。
島根では見ることのできない「出会頭!」。確かに危険な場所でした。
こんな道も。もちろん通りました。
30km過ぎにあった和菓子屋さん。桃太郎の地岡山なのに、なぜか浦志満(うらしま)本舗。
マスカットと白桃のゼリーを購入。美味しかった!
素敵な壁画も発見。どちらも味がありすぎます。
丸い歩道橋と五角形の歩道橋。
もちろんグルグルしときました。
今回の岡山顔マラソン完走で、中国地方の5顔全て完走しました!でもまだ5顔全て逆回りで完走&裸足でも完走することが残っています。まだまだ中国地方の顔マラソンコースを楽しませてもらいます。
岡山の顔
島根の顔
広島の顔
鳥取の顔
山口の顔
登録:
投稿 (Atom)