『自分の仕事をつくる』の中で、イタリアのメーカー「アレッシー」のラウラ・ポウリノ氏の言葉が紹介されていました。
人の創造性を引き出すノウハウは?という問いに対しての言葉です。
できるだけ自由に、自発的に仕事をしてもらうこと。そして逆説的であること。その仕事の価値や意味を問い続けること。不可能に思えてしまうようなことを提案して、オープンにフレキシブルに。
保育を考える中で、子どもが自発的に活動できるようにということをずっと大事にしてきました。でも、これって子どもだけのことではないですよね。子どもに必要なことは大人にも必要です。当たり前のことです。ということは、ある仕事のプロフェッショナルが大切にしていることは保育に応用可能だということでもあります。
そうやって考えると、保育者の視野は広く保っておくことが必要だと言えますね。
畑中洋太郎氏の著書『失敗学のすすめ』に次のことが書かれています。
ほかの人の成功事例をマネすることが、成功への近道だった時代がありました。そうした時代には、決められた設問に正確な解を出す学習法が有効だったのは事実です。しかし、ほかの人の成功事例をマネすることが、必ずしも自分の成功を約束するものではなくなったのが、今の時代です。昨日までの成功は、今日の成功を意味しません。そのような時代に大切なのは、やはり創造力です。そして創造力とは、新しいものを作り出す力を意味している以上、失敗を避けて培えるものではありません。
同じことをより早くより正確に、が求められていた時代から、他者と協力していかに新しいものを生み出すかが求められる時代に変わってきています。AIを使った技術では代替できない力です。そこに向けて頭を切り替えていかなければいけないのは、以前の教育を受けてきた私たちなんでしょう。保育現場においてもやるべきことはたくさんありますが、失敗から学ぶことを私たち大人が率先して見せていく必要があります。失敗を恐れて過去の例に固執していると安心感があるのかもしれませんが、その姿勢では何も生み出さないだけでなく、子どもたちの時代にまでよくない影響を与えてしまうと自覚しておかないといけません。
読書キャンペーンはいい感じに続いています。いろいろと興味あることが出てきて、その情報集めのためにあれこれ読み続けています。本当は実際に見に行って直接話を聞かせてもらうのがいいんだろうけど、「時間がない」を言い訳にしてその行動をためらっています。そろそろ読書キャンペーンから「会いに行くキャンペーン」あたりに移行する時期かも。
ということで、今は『雇用なしで生きる』を読んでいます。スペインはおもしろい国です。もうひとつの生き方がここまで発展している現場があるのは知りませんでした。間違いなく参考になります。スペインに行きたくなってます。
西村佳哲さんの著書『自分の仕事をつくる』の中にこんな文がありました。
触れた時にグッとくる、得も言われぬ何か。それを企画書に記述するのは無理だし、試みること自体ナンセンスだ。大事なのはコンセプトの精緻化より、むしろスタッフ間のコンテクスト(共有知)を育むことにある。いい仕事の現場には、その育て方が上手い人がいる。
前後の文がなければ意味はわかならないかもしれないけど、この文だけを読んでいても考えさせられることが多いです。
「いい仕事の現場には、その育て方が上手い人がいる。」
考えさせられます。
7月初めに行われた赤ちゃん学会学術集会のあるラウンドテーブルで紹介されていたのがコレ。
「チェッカーシャドー錯視」
人の「見る」という行為がいかに不正確か、そのまま見るということがいかに難しいことか、そんなことに気づかせてもらえるのがこのチェッカシャドー錯視なんですが、これがどうしても信じられません。どうしても同じ色には見えません。
錯覚だと分かっていても、それでもちゃんと見ることができないのは、なぜなんでしょう?不思議です。
物事をそのまま見ることができたらどんな景色が見えるんでしょうか。でも錯覚がなく、そのまま見えることは果たしていいことなんでしょうか。錯覚=間違いみたいな捉え方をしてしまうけど、どうやっても錯覚してしまうのであれば、それはそれでいいんじゃないでしょうか。
こうやってどうでもいいことを考えている時間って楽しいですよね。
今日考えたことを記録しておきます。
○常時複数の団体が使用している状態を目指した方がいい。
○規模が縮小したときのイメージは常に持っておく。
○どこかの時間で子どもが関われたらなおよし。
○シェアオフィスやコワーキングスペースの展開とセットで。
○そのための人捜しができる人と定期的に接点を持つ形を最初から組み込む。
○とにかく地元の人がすごいので、協働のカタチがベストではないか。
こんなところか。
私たちの役割は何だろう?私たちの資源を使って地域に対して何がしたいんだろう?
今さらなんですが、今日はこんなことをずっと考えていました。今まで考えていなかったわけではありません。改めて考えてみた、といった感じです。
地域の人に私たちのことを知ってもらうための強い媒体がほしい。これは広報委員会の取り組みでより効果的な媒体を作ります。不思議と注目してしまうようなものに育て上げ、そこに少しずつ届けたい情報を混ぜ込んでいきます。
食の新たな流通を作り出したい。これは食の会議メンバーが小さく形に仕上げてくれるはずです。既にあるものをジャマすることなく、今の流通には乗らない1対1の流通を、私たちの持っているネットワークを活用してより複雑にしていきます。
と、ここまでは言ってみれば本業ではありません。本業をどう発展させていくか。ああ、なるほど、そういうことか、そんな風にイメージしやすい新たな事業が必要なときかもしれません。新規事業から見えてくるものを通して現事業のあり方も見直し、新規事業と現事業を結ぶために足りないものを明確にしたらそれを形にする。そんな感じで進めていくために、新規事業が3つは必要だと思っています。やりますよ。
こんなツイートを目にしました。
5月のものだったようですが、今になってひょっこりと現れ、それを偶然目にしたりするのが、こういったサービスのおもしろいところだし楽しみ方の1つだと思っています。
企画は企画として。計画は計画として。この重要性を、少し違った話から考えさせられました。
まずは十分に細部を調査した上で、目的に向けて大きな絵を描く。そしてその絵を思い浮かべながら細部をどう組み立てていくかを考え行動する。で、行動したことを大きな絵のストーリーとして語った場合に違和感がないか確認する。
とっても抽象的ですが、今必要なのはこんな動きかと。
法人の広報誌作成の話し合いが進んでいます。今日はレイアウト案を見ながら細かな内容を決めていく作業でした。
どうしてもこちらの届けたい思いが強くなりがちですが、今回からは受け取る側がどう見るかに重点を置きます。届けたいものが10あっても、10全部をのせて2つか3つくらいしか伝わらないのであれば、4つに絞ってそれらを確実に届けるのが今回のテーマです。そのカタチを作るために、いいタイミングで軌道修正をしてくれる外部の方の存在がとてもありがたいです。
さて、9月にはどのような広報誌になっているでしょうか。
「AI vs. 教科書が読めない子どもたち 」の中でRST(リーディングスキルテスト)が紹介されていました。
例えばこんな問題。
仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
オセアニアに広がっているのは( )である。
①ヒンドゥー教 ②キリスト教 ③イスラム教 ④仏教
正解は②のキリスト教なんですが、こうしたテストを実施して子どもたちの基礎的読解力を調査しているようです。
そしてこうした調査の結果から…。とても考えさせられる本でした。
夏祭りがありました。とても暑い中でしたが、保護者会の役員さんが積極的にお手伝いをしてくださり、園児、保護者、子育て支援センターの利用者、地域の方と、たくさんの方に来ていただいた楽しい夏祭りでした。
先日とあるイベントで「フェアで且つシェアのできるコミュニティーをたくさん立ち上げ、その上で複数のコミュニティーに重所属することの重要性」を教わりました。どんな中身のコミュニティーでもいいとのことでしたが、重所属をしようと思えばあちこちでコミュニティーが作られている必要があります。しかもフェア&シェアなコミュニティーでなければ意味がないそうなので、なかなか難易度は高いです。
でもこども園ならできますよね。どんな子どもでも入園できる施設だし、入園していなくても子育て支援センターがあるため関わりはいくらでも作れます。そして自分たちの得意なことを子どもたちに見せてあげたい、一緒に何かをやりたいと言ってくれる保護者や地域の方を受け入れることができます。こども園には常に子どもがたくさんいます。施設も持っています。それを保護者や地域にも開放し、持ち味を発揮してもらうことで子どもたちとつながってもらうわけです。これはフェアでシェアな関係といってもいいですよね。
それをコミュニティーと考えると、今回フラダンスで子どもたちと関わってくれた方々、盆踊りを後世に残していくために立ち上がった盆踊り保存会の方々との交流は、コミュニティーの1つの活動と言えると思います。今回の夏祭りはコミュニティーが育ってきているのが表現された1つのカタチと考えたいと思います。
こども園は子どもがこれからの社会で必要な力の基礎を確実につけていく場です。そして同時に子どもを中心としたコミュニティーを作る場でもあります。そんなことを今後はもっと前面に出していけるよう、コミュニティーの様々なカタチやその重要性について、考えを整理したいと思います。
先日取り上げたのはgreenzの記事ですが、このgreenzという団体はタグラインを変えることにしたそうです。
greenz.jpのタグラインは「ほしい未来は、つくろう」という言葉から「いかしあうつながり」に変わります。
タグラインについて、こんな風に説明しているサイトがありました。
タグライン(tag line)とは顧客と潜在顧客、つまり世の中に対して、その企業やブランドが持つ感情面と機能面のベネフィット(優れた点)をわかりやすく伝えるための表現である。 またタグラインは具体的で、誰にでもわかる言葉で簡潔に書かれている必要がある。目安としては15文字程度が望ましい。
これ、とてもおもしろいです。理念をより具体的に、そしてより分かりやすくした短いメッセージがあれば、外部に対してだけでなく、内部の人にとってもとても分かりやすい行動の指針になり得るはずです。タグラインのようなものを考え出すことも求められているんでしょうね。複数のメンバーに趣旨を伝え、タグラインを考えていくのもいいかもしれません。
『幸せのドーナツ化現象』について書かれた記事を読みました。このことは私たちの仕事においても無視することのできない話です。
私たちの事業は「仕事を通じて地域を創造し活性化する」を理念としています。当然私たちも「地域」の一員であるため、この理念を達成するために私たちが疲弊して倒れてしまっては意味がありません。地域が活性化するのは同時に私たちも生き生きと生活していけることで、そこにきちんと目を向けていく必要があります。
現在、食を通して地域を活性化するために何ができるかを話し合う会議を重ねていて、私たちの持っている資源を何とか活かせないものかといろんな意見を出し合っているところです。その中で少しずつ方向性が見えてきたんですが、まずは私たちの生活が仕事をしていることでより生き生きとしていく、そのためにできることはまだまだたくさんあることに気づかされています。具体的なことは書きませんが、例えばネットワークを強化することで仕事以外の生活の部分にも私たちの持っているものを生かすことができる、しかも持続可能なものも見つかってきています。
仕事はうまくいっているけど働く人の生活は…というドーナツ化現象は長続きしません。私たちは息の長い仕事をしていくべきで、だとすればドーナツの穴から目を逸らすわけにはいきません。そのために、小さな取り組みであってもできることは何でもやっていくつもりです。
第三者評価を受審しました。評価期間は以前お願いしたところと同じ。ここの評価者は私たちの思いを適切に汲み取ってくれ、同時に課題についてもきちんと指摘をしてくれます。あさりこども園、さくらこども園の2園の違いを踏まえ、それぞれの課題を見つけ、違いをうまく生かして互いに刺激し合うにはこんな方法があるのでは?といった、私たちにとって非常にありがたい見方をしてくれます。
今回の第三者評価は、評価結果が出たし、その説明を職員に対して行ってもらったのでこれで終了となります。ですが、これを今後に生かしていくことで初めて意味のある評価となります。次回の受審までに少しでも前に進めておきたいと思います。
今読み進めている本の1つが「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」。AIの進歩について、ずいぶん誤解していたことを教わっているところです。ただ誤解していたとはいえ、進歩を無視することが出来ない状況であることは間違いありません。
頑張って勉強します。
西村佳哲さんが書かれた文章を読みました。
「違和感を手放さない」
すごくいい文章を書かれているだけでなく、内容がまたすごい。「違和感を手放さないこと」と言われたのは宮田識さんだけど、それを文章にして伝えてくれている西村さんもすごいと思いました。
この文章に惹かれて著書にも手を伸ばしてみることにしました。まずは「かかわり方のまなび方」。そして今から「自分の仕事をつくる」です。こういう文章や本に出会うと嬉しくなりますね。
今日は安来市加納美術館の神英雄館長のお話を聞かせてもらいました。お話を聞かせてもらう中で、ある一人の人を調べ上げ、その人物の生き様を明らかにしていくことが、こんなにもおもしろいことなんだと教えてもらいました。
石見の人のお話で、特に杉浦非水、森脇忠、初代佐々木準三郎の話はかなりエキサイティングでした。
杉浦非水
https://zingakugei.exblog.jp/22176258/
カルピスのあの絵も→https://matome.naver.jp/odai/2141181075389872201
森脇忠
https://zingakugei.exblog.jp/22145839/
初代佐々木準三郎
朝倉文夫作初代佐々木準三郎胸像→https://www.city.gotsu.lg.jp/soshiki/29/4429.html
この方々の話は本が出ればじっくりと読みたいです。
個を大切にした保育を行っていると、集団が基本の小学校へ行った時に困ることになる。そんな意見を耳にしました。保育園が個を基礎した集団であれば、小学校は集団を基礎とした個だと、そんな内容だったと思います。
集団というのはみんなが同じことを一斉に行うもの、そう考えているんだとしたら相当な訓練が必要だと思います。小学校がそのような集団を求めているのであれば、早くから準備をしておく必要があるでしょう。でも違いますよね。個の知識や技能を基にした思考力や表現力をもって、それを他者のそれとネットワーク化することを目指しているはずなので、目指す集団のカタチは違っていると思います。
個が尊重され、その中で自分や自分の強みを知り、他者にもそれぞれに強みがあることを知り、自分も他人も尊重され、互いに協力し合うことでより豊かで複雑な集団(社会)を形成していくことを目指すべきです。だからこそ集団のカタチを強要するのではなく、個を尊重し、他者も尊重されていることを十分に見ながら生活することが欠かせないと思っています。
このことについてはもっと丁寧に整理をしなければいけないと思うのですが、暑さでバテてしまっているので今日はやめておきます。
今日も暑い一日でした。
写真の奥の方に山があり、その下の方の木は白くなっていますが、先週の大雨の際にその高さまで川から水がきて泥がついているそうです。自然から様々なことを学んでいますし、これからも積極的に関わっていきたい対象ではありますが、こうした怖い面もあることを忘れてはいけないと思います。
その時の様子を想像することが難しいくらいのいい天気でした。
【災害】
このたびの大雨によって江津市でも大きな被害がありました。多くの方が怖い思いをされたでしょうし、今でも多くの方が大変な状況にあります。地震、台風、大雨といった災害は、いつどこで起こるか分かりません。もちろん災害は起きない方がいいですが、起きたときには動ける人が支援し助け合うことで乗り越えていくしかありません。これは花の村の中のことですが、今回の災害で出勤することができない人がいると分かったとき、急遽代わりに勤務してくださった方がいました。職員の家の片付けを手伝いに行く動きもありました。当然その間施設の職員は少なくなるわけですが、そこは残った人がしっかりとカバーしてくれました。その他にも、直接だったり間接だったり様々な支援の動きを起こしてくれています。職員のみなさんのそうした行動に感謝しています。
【着眼大局・着手小局】
困っている人がいたら、困っている状況があったら、その状況を解消するために何かしたい。これはみなさんが持っている思いでしょう。今回の災害に対してやらなければいけないことはまだたくさんあります。でも私たちのできることには限りがあります。私たちにできるのは、今回の災害で困っている状況を解消したいと大きな思いを持ちつつ、まずは目の前のことに対して動く、手の届くところから動き出す「着眼大局・着手小局(大きく描いて小さく始める)」です。できることをやっていきましょう。継続していけるペースで、相手や状況の求めるペースと相談しながら活動していきましょう。おそらく今後も同じようなことは起こると思います。今回みなさんがとってくれた様々な行動は、花の村の行動の貴重な基準になっていくはずです。
【3分間走ってみる】
「できることからやる」のはどんなことにも当てはまります。「フルマラソンを完走したい!」と思っても、その思いだけでは完走という目標の達成には近づいていきません。すべきことは「まず歩くことを習慣にしよう」とか「3分間走ってみよう」といった小さなことから始め、継続していくことです。同じように、「人生を全うするお手伝い」「人生の基礎づくりのお手伝い」「人生の一歩を踏み出すお手伝い」と大きなビジョンを持ち、それを実現するためには、目の前の利用者さんや子どもに対して、その人の人生を豊かにしていくために必要なことを、1つ1つ丁寧に行っていくことしか前に進めていく方法はありません。大きく描いて大きく動こうとすると、一歩目を踏み出すのが遅くなります。足元だけを見て小さく動くと、前には進むけど目指す方向が分からなくなります。広い視野を持って小さく確実に行動し、それを継続していきましょう。定期的に目指す方向(理念)を確認しましょう。そうすると、方向を間違うことなく確実に前に進んでいけます。それを花の村の基本スタンスとして定着させていきましょう。
乳児保育における音環境の研修会が無事終わりました。所用があり全部を聞くことはできませんでしたが、参加者の方の表情を見ていると楽しんでもらえたんじゃないかと思っています。
個人的には、前日に聞いた研究者の苦悩の話も興味深かったんですが、今日聞いた「オラリティー教育」の話も印象的でした。
オラリティ(orality) 声の文化、口語
リテラシー(literacy) 文字の文化、文章
リテラシーばかりが重視され、オラリティが無くなってしまうのは怖い。オラリティでなければ表現できない文化があるので、保育でもそれを大事にしてほしいという話でした。神楽とかを文章で表現すると全く別物になってしまうでしょう。あれなんかはオラリティの文化でしょう。で、子どもたちが夢中になるのはこちらで、大人が与えたくなりがちなのがリテラシーの方だったりします。これはじっくりと考えた方がいいテーマですね。奥も深そうですし。
市内の研究会で新しい研修会を企画し、それが明後日スタートします。国が作った研修制度に沿ったもので、せっかく時間もお金も労力もかけるなら中身は自分たちが受けたいものを作り上げたいと考え、自分たちで実施することにしたものです。
内容を考え、講師に依頼をし、会場等も手配し、県に許可を得なければならず、そこがなかなか大変ではありましたが、あとは実施するだけとなったので安心しています。当然細かな準備や当日の運営などで多くの人が動いてくれるわけなので、その方たちには感謝をしています。
今日は島根入りされた講師との打ち合わせを兼ねた食事でした。研修では聞くことのできない話も聞けたので、ちょっと得した気分です。ユーモアたっぷりの先生なので明日が楽しみです。
スケジュール管理が苦手です。ダブルブッキングをしてしまうとかではないんですが、気がつくと余裕のないスケジュールになってしまっています。しょっちゅう後悔しています。
半年前は「この周辺はまだ何も予定がないから」と簡単に予定を決めていきます。3ヶ月前くらいになると徐々に予定が埋まってきているんですが、まだ余裕があります。「これとこれの間ならそんなにキツくないだろう」とすき間を埋め始めます。2ヶ月前、1ヶ月前になると余裕がかなり無くなっている箇所が増えてきていますが、それでもすき間を見つけて用事を詰め込んでいきます。これでだいたいアウトになります。
予定というものは予定通りはいってくれないもので、急な変更があったりします。そんなことは十分に分かっているつもりですが、ついあれこれ受けてしまうんですよね。で、調整がつかずにバタバタして終わってしまうわけです。そう、断らないのがよくないんです。
ほどほどのところで止めておいて調整ができるようにしておくのが、スケジュール管理なのかもしれません。欲張りすぎず、ここまでで終わり!と断るルールを決めておいたほうが良さそうです。
というわけで、バッタバタな7月を過ごしています。
保育指針の保育に関わるねらい及び内容の中に「表現」のねらいがこう書かれています。
『感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする。』
その中で音楽に関する部分については、例えば3歳以上児のものとして
『音楽に親しみ、歌を歌ったり、簡単なリズム楽器を使ったりなどする楽しさを味わう。』
これを読むと、子どもたちが歌を歌うときの伴奏はギターやウクレレなんかもありですよね。簡単に持ち運ぶことができるので散歩に出かけて先で音楽を楽しむことができます。子どもと向き合いながら演奏できます。家庭でも気軽に子どもと一緒に楽しめますし。
県の保育協議会で広報誌を作っています。夏に発行する広報誌では、新任の保育者に対して保育協議会が行っている取り組みを取り上げます。新任保育者にアンケートを取り、抱えている課題等を調査している委員会からは、その調査を受けてどんな取り組みを行っているか。新任保育者に向けた研修の講師からは、新任保育者に期待することを改めて。まだ新任ではないけど、これから保育者を目指す学生に保育現場のことや保育の楽しさを伝える取り組みなんかも。そうしたことを取り上げることを通して、若い人を育てて次につなげていくことに対しての自分自身の意識も高めていきたいと思っています。
原稿を書かないといけないのでちょっと追い込まれていますが、今週は学生さんと直接話をする機会があるので楽しみです。
赤ちゃん学会のラウンドテーブル1日目が終わりました。
研究者の方、養成校の方、保育実践者が集まってワールドカフ、
話し合うテーマは『わたしたちは「こどものために」一緒になにができるのか?』です。
一緒の場でざっくばらんに話をすること自体がほとんどなく、お互いのことをほぼ知りません。
でもお互いにもっと距離を近くすること、協力し合うことを求めていて(想像ですが)、
なのでとっても盛り上がったラウンドテーブルになりました。
でも関係づくりは始まったばかりで、例えば保育現場としては自分たちの実践から出てきた疑問を解決してもらいたいですし、
実践が子どもにとって意味があることだと裏付けるデータがほしいです。
研究者は研究者としてメリットがあった方がいいし、そのために具体的にどうすればいいかはまだ見えていません。
個人的には実践と研究に広報の力が加わってきたらおもしろくなると思っています。
赤ちゃん学会第18回学術集会に参加するため東京大学へ。
研究者の方、養成校の方と保育実践者が楽しく話し合うラウンドテーブルの運営が主な役割です。互いの思いが完全に一致して…とはいかないでしょうが、もっと理解し合う取り組みがあっても悪いことはないはずです。そのための第一歩というか、うまくいかないかもしれないけどその場を作ること自体に意味があると思います。明日の打ち合わせをしながらそんなことを考えていました。
そして打ち合わせ終了後はプレコングレスへ初めて参加。「保育施設の音環境を考える」をテーマに4人の方からの話題提供、2名の指定討論者からのお話と、かなり贅沢な内容です。研究者と保育現場の関係についていろんな意見があるのは知っていますが、関係を作っていくことに力を注ぐ立場に立ちます。
『W杯を見て感じたこと!? 「教える」ことは本当に子どものためになるのか』を読みました。
実際にオランダの育成を体験している方からの発信は非常に興味深いです。
オランダのクラブの練習は全く教えません。本当に教えません。
自分で楽しむために「考える」こと。これをもっとも大事にしているような気がします。
このように書かれています。
これを読んで思ったのは、「教えない」と書いてあるけど「何もしない」わけではないじゃないかということです。子どもが相談をしてきたら、おそらく全力で相談に乗ってあげていると思います。当たり前すぎるし、それは「教える」ではないから書いていないだけで、子どもが求めていない時には何も教えない、子どもが求めてきたら全力で相談にのる。そういうことじゃないかと思うわけです。
大人は一方的に教えてくる存在ではなく、いつでも相談に乗ってくれる存在。自分を尊重してくれる存在。子どもは大人をそんな存在と受け止めているでしょうし、大人もそれが役割だと認識していると思います。求めてきたら一緒に考えてあげる、求められていないときはしっかり見てあげているだけ。そんな感じじゃないかなあと思っています。
これはサッカーだけのことではなく、子育て全般においても大事なことですよね。
「プレーするのは子どもたち!デンマークサッカー協会から学ぶ、親のための10カ条」を読みました。ワールドカップの真っ最中ということもあってか、この10ヶ条が話題になっているようです。
https://www.sakaiku.jp/column/mental/2013/004231.html
この10ヶ条は保育を考える上でも非常に参考になります。サッカーを遊びや生活、コーチを保育者と置き換えて考えることもできます。いい言葉に出会いました。こういう言葉が紹介されているサイトの存在はありがたいです。
デンマークサッカー協会 少年指導10ヵ条
①子どもたちはあなたのモノではない。
②子どもたちはサッカーに夢中だ。
③子どもたちはあなたとともにサッカー人生を歩んでいる。
④子どもたちから求められることはあってもあなたから求めてはいけない。
⑤あなたの欲望を子どもたちを介して満たしてはならない。
⑥アドバイスはしてもあなたの考えを押し付けてはいけない。
⑦子どもの体を守ること。しかし子どもたちの魂まで踏み込んではいけない。
⑧コーチは子どもの心になること。しかし子どもたちに大人のサッカーをさせてはいけない。
⑨コーチが子どもたちのサッカー人生をサポートすることは大切だ。しかし、自分で考えさせることが必要だ。
⑩コーチは子どもを教え導くことはできる。しかし、勝つことが大切か否かを決めるのは子どもたち自身だ。
それと親のための10ヶ条もいい言葉ばかりです。保育者も親も、同じ思いで子どもに接することができる、そんなあり方を目指していきたいですね。
サッカーをする子どもを持つ親のための10ヶ条
①子どもたちが自ら望んだときに試合やトレーニングに参加させてあげましょう。
②試合中はすべてのプレーヤーに励ましの言葉を送りましょう。あなたの息子さんや娘さんにだけではなく。
③成功にも失敗も同じように声援を送りましょう。批判ではなく、ポジティブな声をかけてあげてください。
④コーチの選手起用を尊重しましょう。試合中に選手起用について影響を与えようとするのはやめましょう。
⑤レフェリーの判定を批判するのはやめましょう。
⑥プレッシャーを与えることなくプレーに参加させてあげましょう。
⑦試合の後は結果の話だけでなく、覚えているプレー、楽しかったシーンなどについても話し合いましょう。
⑧節度を守り、分別のある行動をとりましょう。何事も度を越してはいけません。
⑨所属クラブの運営には尊敬の念を持って接しましょう。保護者と指導者間のミーティングでは、明確な指針を持ち、どのような態度で子どもに接するのかを話し合いましょう。
⑩サッカーをプレーしているのは子どもたちです。決してあなた自身ではありません!
隠岐の島の梅事情という記事を読みました。
「自然」と「季節」がぴったりと寄り添い合っていることを感じながら生活をしていることは、そこに暮らしていると当たり前になって特別意識はしないものですが、なかなかにすごいことなんだと気づかされるきっかけになりました。
今近づいて来ている台風も「自然」なので、いいことばかりではもちろんありません。でも、これも自然だと再確認して謙虚になり、その上でまた自然と季節が寄り添い合っているのを感じながら、そこから恩恵を受けながら生活できるとすると、やっぱりすごくありがたいことだと思うわけです。この記事のように、その良さを発信してくれる人がいるのはうれしいことです。勉強させてもらいました。
あと、「みんなのもの」的感覚というのもいいですよね。隠岐の島に教わることはたくさんあります。
ミツバチ会議という会議の手法があると聞き、どのようなものかを学ぶために本を探していたところ、「ミツバチの会議 なぜ常に最良の意思決定ができるのか」(トーマス・シーリー著)という本を見つけました。ぴったりのものが見つかった!と喜んでいたら、何と9割はミツバチの生態や特徴で、会議の方法は残りの1割でした。でもなかなか興味深い内容でした。
ミツバチは春になると半分が新しい巣を探す行動を始めるようで、それを分蜂といいます。探索蜂が新しい巣の候補を探しに行き、いい物件が見つかると群れに戻って尻振りダンスをして仲間に報告します。その報告を受け、候補物件に招集された蜂はその物件が素晴らしいと思えばまたそれを群れに戻って尻振りダンスで報告し、たくさんの探索蜂を集めるという流れになります。いい物件であれば探索蜂が爆発的に増えていくミツバチの合意形成の形は、人間の会議の参考になるんじゃないかというのが著者の考えです。
著者は蜂から学んだことを生かして、例えばこんな提言をしています。
集団全体にとってよい選択をするため、いかに集団のメンバーの知識と意見をまとめるか、ハチが示してきたことを人間はどのように利用できるだろう?私は3つの提案をしたい。第1に、集団のメンバー間に散在する情報を統合するために、開かれた公平なアイディアの競争の力を、率直な議論という形で利用すること。第2に、討論する集団の中に良好なコミュニケーションを育成し、それが、あるメンバーが発見した貴重な情報をすみやかに他のメンバーに届ける方法をであることを認識すること。第3に、集団のメンバーは他人の発言を聞くことも大切であるが、批判的に聞き、議論されている選択肢について自分自身の意見を形成し、独自に視点を定めることが大切であると認識することだ。
これだけの説明では蜂の生態と会議のあり方のつながりが見えないでしょうが、そこは何となくでも想像してもらうとして、このミツバチ会議の考え方はなかなかおもしろいと思いました。相手の意見を尊重しつつ、批判的な聞き方もしつつ、自分の視点もちゃんと持ちつつ会議を進めていく。こういう会議を増やしていきたいと思います。当分の間はミツバチを見かける度にこの話を思い出しそうです。
研修会が終わりました。多くの方に参加していただき、参加してよかったといろんな方から声をかけていただいたことが嬉しかったです。
これは毎回反省していることですが、参加してくれた方と少しでも直接話をしたい、それをつながりを作るためのきっかけにしたい、そう思いながらあまり話ができずに研修が終わってしまいます。バタバタ動き回るのではなく、いつでも話ができるようにじっとしていればいいんでしょうけどね。次がいつになるか分かりませんが、次こそは!
さて、今年度はあと1回、10月に研修会を実施します。予定にはなかったけど、もう1回くらい小さな研修会を実施してもいいかなあとも思っています。今までやったことのない内容、形のものが思いつけば試してみることにします。