2018年6月30日

研修会

年に一度だけ行っている研修会が始まりました。



今日は益田市の園へ講師をお招きしての小さな勉強会。明日は270名が集まる大きな研修会。大きなつながりを目指しているけど、そのためには小さなつながりを丁寧に作っていくしかありません。

あと5年くらいかけて新しいつながり、新しい流れを作りたいと思います。

2018年6月29日

思わず…

今日のプレおたのしみ会で保育者が和太鼓演奏を披露している様子です。



ステージでは華麗な演奏が行われているんですが、ステージ下の最前列の子どもたちの行動が興味深かったので撮影したものです。

小さくて分からないかもしれませんが、最前列の数人の子が保育者の動きに合わせて手を挙げています。演奏を真似している様子です。最初は身体を揺らしながら聞いていたんですが、そのうち1人が保育者の動きを真似し始め、それにつられて横の子も、その横の子も同じように動き始めました。

こうやって「思わず身体が動いてしまう」表現というのはいいですね。誰かに強制されるのではなく、自分の意思で、時には無意識のうちにリズムに反応して身体が動いてしまう。こんなことが興味を持つきっかけとしてあちこちにあれば、子どもたちの学びは深くなっていくでしょうね。

いい姿を見させてもらいました。

2018年6月28日

「完璧以外」のやり方

折々のことばから。

あれこれ言う人が手伝ってくれるわけでなし、言う通りにしてもさらに上を求められるだけでお駄賃くれるわけでなし、きりもない
柴崎友香

鷲田さんのことば
「自分のやり方でいいやん」と続く。乾燥きざみ揚げを買ったらこれが「めちゃめちゃ便利」、ほんと助かると作家は言う。世の中、どれだけ手をかけたかで「愛情」を測りすぎ。暮らしを上手に回すにも「完璧以外」のやり方があると。手抜きできないものは人それぞれに異なる。本紙大阪本社版6月18日夕刊の随想「季節の地図」から。(鷲田清一)

「愛情」のものさしに限らず、自分が強く信じる何か特定のものさしを出してきて、そこから外れた人を強烈に非難する、もしくは矯正しようとする人もいますよね。その人にしてみれば良かれと思って、相手のためになると本気で思って言ってくるから、対応に困ってしまいます。「完璧以外」のやり方はあるし、そもそもその人にとって心地よいやり方があるはずで、最低限それを尊重した上で対応するのがいいんじゃないかと思うわけです。

2018年6月27日

VAR

英オックスフォード大学でAI(人工知能)などの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授が、論文『雇用の未来—コンピューター化によって仕事は失われるのか』の中で、702の職種すべてについてコンピューターに取って代わられる確率を試算されています。そして、その中にはスポーツの審判も入っています。

今サッカーのW杯が盛り上がっていますが、今大会で導入されているVAR(ビデオ・アシスタント・レフリー)がたびたび話題になっています。それがどれだけの効果を上げているかは置いといて、この先この流れは止まらないだろう、ということは審判がAIに取って代わられる流れは確実に来ているんだろう、そう思います。

今こども園に通っている子どもたちが社会に就職をする頃は、現在はあるけど消えてしまった職業がたくさん出てきているはずです。どんな世の中になるんでしょうか。その社会で必要なのはどんな力なんでしょうか。考えても答えは出ないけど、頭を柔らかくして考え続けないといけないことだと思っています。

2018年6月26日

上原さんの干し柿ハンガー

日本農業新聞を取っている人が定期的にその新聞を持ってきてくれます。一度読ませてもらったとき、あまりにもおもしろかったのでそのことを伝えたところ、その次の日から持ってきてくれるようになりました。

何がおもしろいかというと、農業をやっている方々が読む新聞なので、何から何まで農業目線であるところです。当然ですが。

こんな品種を開発した、こんな機械が導入された、こんなキャンペーンを張っているといった農業ど真ん中の話題や、政治や経済も農業の視点からの取り上げ方だったりします。

そうやって軸が明確に定まっているからなのか、どの記事も迷いがないというか、立場が明確なので筋が通っています。こういった記事を他の新聞ではなかなか読むことができないのが最近の新聞の傾向のようにおもっていて、だからこそ新鮮な気持ちにさせられます。

今日は干し柿ハンガーを紹介する記事がありました。一度に80個干すことができ、仕上がりもきれいだそうで、「場所をとらず美人な干し柿ができる」と開発者の上原さんは話しておられます。



いいですよね、こういう記事。決して花形の職業ではないけど、私たちには欠かすことのできない大事な仕事をしておられる方の取り組みを、こうして丁寧に取り上げています。こうやっていろいろなところにスポットが当たるような仕組みが継続していってほしいです。

2018年6月25日

フィンランド理科教科書

「フィンランド理科教科書 生物編」を読み始めました。

これは読み物としておもしろいです。何かを覚えるのではなく、考えることを重視しているのがわかります。

運動の章では筋肉も取り上げられており、非常に精密な図が掲載されていて驚きます。



ヒトの一生の章では老いについても取り上げられており、どの世代に対しても敬意を払っていることも伝わってきます。



この学習が行われるまでの流れもおもしろく、余裕があればフィンランドの教育全体のことを勉強してみたいと思うのですが、その一端に触れることができるだけでも価値のある本だと思います。

この教科書の最後には次のような文が載っていました。ある教科の知識を得ることが目的なのではなく、その教科を学ぶことを通して人生を豊かにすることを考えることが目的だと、明確に示していると思います。もう”教科書”を超えていますね。

幸福な人生とは

幸福な人生とは何か。その答えは、人それぞれだろう。人生に起伏を求める人もいれば、穏やかな人生を望む人もいる。完ぺきな人生というのはほとんどありえないが、困難や危機は、私たちが精神的に成長できる機会でもある。

どの人の一生も、その人自身のものである。私たちは生きているあいだに、自分ではどうしようもないことがらにたくさん出会う。人生は選択に満ちている。ときに、とても難しい選択もある。より正しい解決方法を見つけるには、選択の助けになるような多くの知識と、己の選択の影響を見通す力、想像力をもちあわせている必要がある。

健康的な生活習慣、何ごとにも積極的な姿勢、何ごとにも積極的な姿勢、親密な人間関係、そして良い友人たちが、人生の苦悩に耐え、人生を意味のあるものにする最良の助けとなる。

自分を大事にしなさい。なぜなら、あなたは、あなた自身の人生にとって、かけがえのない主役なのだから!


2018年6月24日

2冊

「森ではたらく! 27人の27の仕事」と「人口減少社会の未来学」を読んでます。どちらも島根県、特に江津市の抱えている課題に大きく関係する内容です。特別に意識しているわけではないですが、いつも何となく頭にそのことがあるんでしょう。何となく選んだのがこの2冊でした。

森というものにどんな魅力を見出すか、そこに関わることの意味をどう定義するか、人口減少の課題に対してどんな対策を立てていくか。常に手探りではありますが、考えなければいけないことだと思っています。


2018年6月23日

身近な生きもの

園庭の樹木にケムシがつくと、連絡が入ります。私は樹木を見て同定します。イラガ、シロヒトリ、オビカレハなどの幼虫が多数で、ツバキ サザンカを食草として集団発生することがあります。新芽を探すと、ついていることがあります。子どもにとって危ないものはこのチャドクガの幼虫です。ツバキ科の植物がない限りやって来ませんが、ツバキ、サザンカ、チャなどはそれほど背丈が高くならず、子どもの手の届くところにあるので、かかわることが多い植物です。チャドクガの幼虫は、脱皮後も注意が必要です。葉の裏に何回かに分けて脱皮します。その抜け殻が風で飛んで皮膚に触れると炎症が始まり、全身に広がることがあります。もちろん、幼虫に触っても炎症が生じます。

それ以外のケムシ(イラガ以外)は刺しても炎症が生じることはほとんどないので、私は駆除しません。身近な生きものは子どもたちがかかわる大事な要素だと考えているからです。アレルギー体質や敏感症の子どもは別として、ケムシは刺すという概念を再考してみてほしいと思います。園庭では、オビカレハやマイマイガの幼虫を見つけることがよくあります。触って子どもたちに見せると、逃げるのは決まって先生方です。子どもは興味を持って「刺さへんのか」「大丈夫なの」と聞いてきます。勇気がある子は指でつつき始め、そして大丈夫だとわかると大胆に触り始めます。

小泉造園代表で京都女子大非常勤講師の小泉昭男氏がこのような文を書かれていました。

また、この文は次の言葉で締められています。

少し知識を広げて身近な生きものに近づくことは、子どもにとって大事なことだと思います。

よく考えたいことですよね。

2018年6月22日

力を合わせられる

折々のことばより。

考えてみると、私1人で最初から作れる物など、身の回りに1つもないのだ。
更科功

鷲田さんのことば
みなで「力を合わせられる」ことが人類の特徴だと、分子古生物学者は言う。ネアンデルタール人はじめ人類は20種以上いたが、生き残ったのは私たちホモ・サピエンスだけ。保育を助けあうことでより多くの子を産んできた。言語を使い、食物を分配し、モノを製作するという相互協力の生活を高度に発展させることで、苛酷(かこく)な環境に対処してきた。『絶滅の人類史』から。(鷲田清一)

この立場に立って「保育者は何をすべきか」考えることは絶対に必要。人類はどうやって生き延びてきたのか。なぜ社会を作ることを必要としたのか。そこから見えてくるものに目を向け、子どもたちはどんな力をつけるべきかを考えることが、今は特に求められていると思います。

2018年6月21日

穴とか欠損とか

社会にはあらゆるところに穴があって、その穴を埋めるために生まれてくるのが仕事。そんな風に教えてもらったことがあります。誰に教えてもらったか忘れましたが。

自分で穴を掘って、それを自分で埋めて…。そんな仕事(それを仕事と呼んでいいのかとは思うけど)があったりもするし、もちろん例外もあったりしますが、基本は社会の中にある困りごとを解決する、より快適に生活できるようにするのが仕事といっていいと思います。

人間関係にも似た機能があるなあと思わされることがあります。「万引き家族」の是枝監督が、「家族にも欠損がある場合があって、そんなときには誰かが欠けている役割をするようになる。父親がいなかったら誰かが父親の役割を果たすようになったり。」と、そんな意味のことを話しておられました。

映画の内容とは関係ないけど。
社会全体でいろんな役割を果たし合うことで人間関係がうまく保たれていく、人間関係の中で学んでいくことも補完し合えると考えると、保育園の役割が割とシンプルに見えてきますね。地域社会の中で行われていた学び、ある程度の規模の子ども集団の学び、特に異年齢での様々な体験からの学びは、保育園が担わなければ補完できる場は他には思いつきません。社会の欠損を積極的に補完していく役割を持っているのが保育園である。欠損をマイナスなものと捉えるのではなく、むしろあるのが当然と考え堂々と埋める役割を果たしていく、そんな姿勢も大事なんじゃないと思いました。





2018年6月20日

保育園の課題

都会において保育園がどのような状況に置かれているか。この点についてはメディアが盛んに取り上げているため待機児問題などは多くの人が知っているはずです。

では人口減少地域の実態についてはどうか。

保育園が足りていないわけではないし、課題があったとしても声を上げる人の絶対数が少ないこともあってか、ほとんどメディアに取り上げられることはありません。でもですね、少子化によって園運営を継続していくことが難しくなっているケースや、廃園になるケースは少なくありません。

そうしたことと都会地の課題を比較し。どっちがより大変か?なんてことを言うつもりはありません。でも、都会においても待機児の課題が収まったら次は定員を大きく割ってくる問題、廃園の問題が出てくるはずです。しかも急激に。

そうなったときにようやく大きくその課題が取り上げられることになるんでしょう。なんだかなあ…とは思うけど、それが現実です。

でもそれが分かっているんであれば、今からその課題に対して目を向ける割合を増やしていった方がいいんじゃないかと思うわけです。今それができるのは人口減少地域で、なかなかしんどい作業ではあるけどやっていかなければいけないことだと思っています。

島根県もがんばらなければ。結構いろんな課題を抱えていますので。

2018年6月19日

テーブルに花を置いておくと…

「テーブルに花を置いておくと観察がはじまります!」



飾るために置いといたら観察が始まったわけではなく、観察する子が出てくることを想定して花を置いたんだと思います。

子どものことが分かっているからそこに置く、さあみんなで花の観察をしよう!と直接促すのではなく「置く」という間接的な行為で子どもの行動を促す。何気ないことだけど、こうしたことが園内のあちこちで行われていることが大切だと思っています。

2018年6月18日

海へ

夜は時間があるとちょこちょこっと走りに行きます。山の方へ行って虫の鳴き声を聞いたり、路地裏のくねくねを楽しんだり、川沿いを走って水の音を聞いたり。走るルートによって見たり聞いたり感じたりするものが全く違ってくるのがおもしろいです。

今夜は海へ行ってきました。日が沈んだ直後の海は特にキレイです。イカが食べたくなりました。



2018年6月17日

来年こそ

隠岐の島ウルトラマラソンのゴール地点の中継を見ていました。今回は走っていないけど、ゴールシーンを見ているだけで過去の記憶が浮かんできます。足の痛み、身体の重たさ、これでもう走らなくてもいいという安堵感、でもこれで終わってしまうというちょっと寂しい気持ち、いろんな感覚が鮮明に蘇ってきます。経験したことは身体にも頭の中にもちゃんと残るんですね。来年こそはあの場所へ帰ってきたいという思いが強くなっています。



2018年6月16日

DNS

今年の隠岐の島ウルトラマラソンは走らないことになりました。エントリーはしていたのでDNS(Did Not Start)というやつです。5年連続でなんとか完走しており、今年が6回目の挑戦でした。どれだけ身体の準備を整えていても日程調整が出来なければどうしようもありません。5年間走れたことに感謝して、隠岐に渡った人たちの走りを応援させてもらいます。そして来年はまた隠岐へ行きたいと思います。

今日は海の向こうのことを思いながら、のんびりと走ってきました。



2018年6月15日

自信のある人

久しぶりに宋文洲氏のメルマガを読み返しました。やはり素晴らしいことを書かれています。今日思わず手が止まってしまったのはこんな文章でした。1,2,3,4のどれもできていません。がんばります。

私が思う自信のある人とは次のような人です。

1. 過去の立場や知名度を知られていなくても、過去の業績や功績を知られていなくても、一人の人間として他の人間とその場で打ち解け、人々に愉快な思いを与える人

2. 人に理解されなくても、敵視されても、依然として自分の意見や価値観を失わずその場の空気に流されない人

3. いくらお金があっても、いくら成功しても、それを知らない人たちと普通に人生を送り、普通に些細なことを楽しめる人

4. そして自信がない時に、自信がないことを受け入れた上、恰好をつけず全力で状況対応に当たることができる人

2018年6月

【コーディネーター】
「生活支援コーディネーター」という仕事があります。5月の事業方針発表会でケアマネージャーのKさんが触れたことで覚えている人もいると思いますが、在宅介護支援センターのNさんが江津市の東部地区担当としてその仕事を行っています。生活支援コーディネーターの役割について、Nさんの名刺の裏にはこんな分かりやすい説明が書かれています。

「困っている人」と「お手伝いできる人」をつなぎ、暮らしやすい地域づくりに取り組みます

困っている人がいないか?お手伝いできる人がいないか?どんなお手伝いができるのか?と情報を集めること。そうした情報を掴み、つながりのなかった両者をどうつないでいくかを考えること。さらに、最終的には生活支援コーディネーター抜きで地域が主体的に活動していく形に持っていくこと。それがNさんの役割です。

【ユニークな提案】
そんな視点を持って仕事をしているからか、Nさんはユニークな提案をよく持ってきてくれます。「ある外出イベントに、本来対象ではない◯◯の人たちが参加できるようにしたい」とか「△△を作るのが上手な人がいるので、その人が制作活動に打ち込める場を用意して、△△を必要としている人に届けられるようにしたい」といった、AとBにちょっとずつ変化をつけて結びつけたらおもしろい活動ができるんじゃないかといった提案です。実際に形にするには多くの人の協力が必要ですが、まずこうした発想がなければ何も始まりません。あちこちからアイデアが出てきて、「じゃあこんな風にしてみるのはどう?」とみんなで練り合って、そんなことがもっと盛んに行われるとおもしろいですよね。そのためにも「困っている人」と「お手伝いできる人」を探すアンテナを張り巡らせておくことが欠かせません。

【アンテナ】
カラーバス効果というものがあります。何気なく目の前の風景を見ているときと、特定の色に注目しようと意識したときとでは、見えるものが違ってくる現象です。例えば赤に注目しようと強く思うと、ポストとか赤い看板とか身の周りにある赤いものが目に飛び込んで来るようになります。私たちはいろんなものを見ているようで、実はあまり見えていません。見たいものを見たいように見ているだけなのが、私たちの普通の見方です。情報もそれと同じで、ある情報を集めようと思ったら、その情報を集めようと意識しなければ気づくことができません。アンテナを張り巡らせるとは「意識する」ことです。1人ひとりの多様な関心から多様なアンテナを張り巡らせ、掴んだ情報からアイデアを得て、それを練りあげて実践につなげていく、この循環を大事にしていきましょう。

2018年6月14日

畑の目的

こども園の畑と一般の畑とでは目的が違います。

より品質のいいものをより多くといったことは、こども園では求めていません。もちろん美味しいものがたくさん収穫できるに越したことはないですが、そこが目的はではありません。生長の過程に触れることや、収穫を楽しみに待つ機会を作ることが目的です。

思ったように育ってくれなかったり、収穫間近の段階でカラスに荒らされてしまうこともありますが、そんなことがあると知ることも意味があるし、一緒に残念がるのも貴重な体験です。修繕や土作りに励んでいる保育者の姿、それに協力してくれる保護者や地域の方の姿を見ることにも意味があります。



そうした目的が明確になった、楽しい畑になっていると思っています。



2018年6月13日

見学研修

施設見学に出かけていた職員が戻ってきました。見学では刺激をたくさんもらえ、それが表情から伝わってくるので、見学後の報告を聞かせてもらうのはいつも楽しみにしています。今回もそれが表情から伝わってきました。

施設見学後は「得たものから何でもいいので1つ実践してほしい」と、以前から職員にお願いしてました。何となく学んだ気になって終わるのではなく、あれもこれもやろうとして結局どれも中途半端で終わるのでもなく、1つでいいから形になるまでやってほしいという意味です。この習慣がついてくると実践に移す方法が身についていきます。1つできたら次の1つと、学んだことが消えずに実践につながっていきます。見学する際も「どれを持ち帰ってやろうか」と、積極的な見方に変わっていきます。

見学にしても研修にしても、それをどう自分たちの実践に生かすかが大事です。今回の見学から新たな取り組みも生まれてきそうなので、そのことも、そこからの発展も楽しみにしています。

2018年6月12日

横に長い島根県

県組織の総会のため松江市へ行っていました。

松江って遠いです。車で2時間ちょっと。総会出席のために往復4時間の運転はなかなかキツいものがあります。これが続くときは更に大変。徐々に体力が削られる参勤交代のようです。

県庁所在地とその周辺ではこうした条件がずいぶん違います。高速道路が徐々に延びているので時間は短縮されるんでしょうが、それでも時間がかかる移動が必要なことに変わりはありません。

横に長く、県庁所在地が東の端にある島根県。移動のことについて、ちょっと考えないといけないですよね。

2018年6月11日

遠回り

お風呂に入ることができない人の髪をキレイに洗ってあげたい。そのためのいい方法はないか?

介護の仕事にあたっているスタッフが、その課題に対してあれこれ考えを巡らせているようです。介護や医療の業界にはそのための方法が既にあるようですが、どうしても機械的というか、自分がぜひやってもらいたいと思えるようなものではないとのこと。どうしても制限があるためお風呂に入ってキレイにするほどの心地よさを求めるのは難しいのですが、それでも何か方法があるんじゃないかと考え、美容師さんの力を借りることにしたそうです。

美容師さんは髪を洗うことに関してもプロです。ただキレイになればいいと考えているだけではなく、心地よさとか髪のためにいいこととか、様々なことを考え実践されているはずです。そんな美容師さんが考えていることや実践されていることを学ばせてもらい、そこからじゃあ介護の現場ではどのような髪のケアができるかを考えることで、利用者のみなさんに満足してもらえる洗髪方法を見つけたいという考えです。

こうした発想はおもしろいですよね。少しでもいいものを見つけるために普通は近道を探そうとするものですが、これはどう考えても遠回りです。でも、もしかすると遠回りすることでしか新しい方法は見つけられないのかもしれません。こうした発想はワクワクします。

2018年6月10日

水と川

イシコさんがこんな文章を書いておられました。

【思考をキレイにする旅の仕方(121)】その土地の水を感じると見えてくる物があります

現在、国内の一つの町や村に一週間滞在する旅のプロジェクトをしています。「もし、この場所に生まれていたら、どんな人生を送り、どんな生活を送っていたんだろう」と想像しながら。
そんな旅を続けているうちに自然と「水」に目が向いていきます。
海外で同じプロジェクトをしていた頃は、
蛇口をひねるだけで水道水を飲むことができる日本の豊かさを感じていました。
今回のように国内の町に滞在していると
水道水の味が自治体によって違うことに気づかされます。
私はソムリエのような舌の感性はなく、
どちらかといえば鈍い方なので、なかなか水の味を語るまでには至りません。
それでも味を意識して水を飲むようにしています。
そうすると、たとえ歳を経ていても舌の感性が少し育つように感じます。
そして、その水で淹れるお茶、その土地の水から生まれたジュースや酒、
そこに流れる水で育った肉や野菜、米などに関心を持つようになり、
しいてはその土地に流れる川にまで意識が向いてくるのです。


水は人の生活に欠かすことのできないものです。当然昔の人も水を求めていたでしょうし、そうなると川を基点に町が作られ発展していったと考えるのが自然だと思います。川を中心にその町を眺めてみると、その町の特性が見えてくるかもしれません。例えそれが気のせいであったとしても、何も考えずに川沿いをブラブラ歩いてみることは大事なことのように思えてきます。

そういえば最近は江の川沿いに遊びに行っていません。時々ぶらぶらしに行かなければ。

2018年6月9日

予定通り?

予定通りに進まないことが続いています。こうするつもりだったのに…、こんなことにはならないはずだったのに…、そんなことばかりです。ここ数日はずーっとそのことを考えていて、じゃあ他の時は予定通りだったのか?とふと思いました。よく考えると、比較的対処しやすい程度の予定外の連続だっただけで、予定外が続いていることに変わりはありませんでした。予定通りに進んでいる、予定通りに進まない、こうしたことは全部受け止め方の話だったようです。

一人で生き、一人で活動しているわけではないので、なんでも自分の思うとおり、予定通りに進むわけはないですよね。当たり前のことです。だったらそのことを悩むのではなく、どう対応していくかを考えればいいだけです。そう、たったそれだけのこと、簡単な話です。

2018年6月8日

傍らの人

「傍若無人」と、それを読み下した「傍らに人無きが若し」とでは、読み下した方が圧倒的に意味が分かりやすいです。そのまんまですが、まるで近くに人がいないかのような失礼な振る舞いという意味です。友達しかいない空間で楽しく話すときの声の大きさと、他人もいる空間で楽しく話すときの声の大きさは、自然と変えていると思います。声の大きさだけでなく、話す内容や使う言葉も変わっていると思います。自分と関係のある人だけでなく関係のない人も含めて「傍らの人」と捉えることができるかどうかが、公共を考えるときのポイントだと思います。「傍らの人」をどこまで広げることができるか、人だけでなく物や場もどこまで「傍ら」と捉えることができるかが、特に今は問われているように思います。

2018年6月7日

イシコさん

ものの見方、考え方を学ばせてもらっている人がたくさんいます。もちろん勝手にですが。その中の1人がイシコさん。朝マイスターとして活動されていた2006年くらいからずっとこの方が書かれたものを読んできました。うまく表現できないんですが、立っている場所がそもそも違うというか、そんなスタンスがあるのか!と自分の考えをひっくり返されるというか、とにかく他の方とは少し違っているんです。うん、全く説明できていないですね。

とにかくイシコさんの書かれるものはおもしろいです。同じようなことを書いている人はいるけど、ちょっと立ち位置が違っている感じがします。

最近読み続けているのは【思考をキレイにする旅の仕方】。何気ない言葉だったりするけどすごく勉強になっています。

2018年6月6日

インクルーシビティ

外見とか職業とか性別とか人種とか年齢とか、障害のありなしとか特殊能力のありなしとか、そんなことを全部超えてみんな仲間、インクルーシビティが大事。映画「デッドプール2」の底にはそうした考え方が流れています。

inclusivity インクルーシビティ = 包括性、すべての人をありのままに包み込む

インクルージョン(Inclusion:包括)とソーシャルコーヒージョン(Social Cohesion:社会的結合)。こうした考え方が当たり前になって、それが心地いいと感じられるようでないといけませんね。R指定で過激でぶっ飛んでるけど、考えさせられる映画です。

2018年6月5日

1.43

2017年の合計特殊出生率が1.43と発表されました。

出生数が94万人、死亡数は134万人。人口減少が明らかに進んでいます。

出生率については社会のあり方の結果で、出生率を上げよう!のかけ声やそこからのアプローチではどうにもならないと思っています。出生数と死亡数からわかる人口減は、社会全体が縮んでいるということです。2/3くらいまでは減っていくと思うので、じゃあ2/3の人口になったときにどんな社会であるべきか、それを考えないといけないんでしょう。

おもしろいのは地域差です。出生率や人口減は地域によってかなり違っています。日本全体の数字だけを見ていたら分からない地域による違いの意味は、もっと注目されるべきでしょうね。何か特徴を掴んでいるわけでは全くないですが、感覚的にそう思っています。

さてさて、どうなっていくんでしょうか。

2018年6月4日

言いっぱなしにしない

折々のことばを読んでいると全く知らない本の言葉に触れることができます。決して自分では選ばないような本の言葉が紹介され、その言葉に惹かれて本を手に取ってみることが何度もありました。例えば少し前の折々のことばより。
「ツッコミ」は「拾う」であり、その後のコミュニケーションに接続すること。ぴしゃりと一言で「これが正解だ」と示すのではない。
江弘毅

鷲田さんのことば
大阪語の作法の妙はそこにあると、編集者・ライターは言う。相手が答えに窮するような発言で話を途切れさせるのではなく、つまらん話もうまく拾ってやって、話が回ってゆくよう発言を終えること。「言いっぱなし」にしないこの作法は「最高に民主的やぞ」と。昨日と同じ、作家・津村記久子との共著『大阪的』から。その一例を明日。(鷲田清一)

これ、すごく大事なことですね。大阪の文化の奥深さを感じます。とっても興味が湧いたので「大阪的」を読んでます。


2018年6月3日

ヤギと

ランニングコースの途中にヤギがいます。



そこに行くと必ずすることがあって、まずヤギに呼びかけて近くまで来てもらう、ヨモギを食べさせる、頭と角をなでてまた来ることを伝える、という流れです。たったこれだけの関わり、しかも1ヶ月に1回行くかどうかくらいのことですが、ヤギとの交流の間は他のことを忘れることができるので貴重な時間です。

言葉は通じない、もちろん意思も通じない。そんな関係だけどなんとか通じ合えないものかといろいろ試してみる。時々「あれ、通じ合ってるかも?」と勘違いする。そんなことも大事な体験ではないかと思っています。人と向き合ったときのコミュニケーションとはまたひと味違った体験です。別にヤギでなくてもいいけど、完全には通じ合わない微妙な関係を体験することも、時々あった方がいいのかもしれません。

2018年6月2日

そろそろ出てくるはずと、先週から夜走るたびに探していました。それを今日ついに発見!



桜が咲いたとか、カエルがうるさくなってきたとか、蛍が飛び始めたとか、セミが鳴き出したとか、自然の変化を感じながらのんびりと走るのは気持ちいいです。マラソンの大会に出ることが年々難しくなっていて、走る目的をどこに設定すればいいか悩んでいましたが、大会とか距離とか速さとかではなく、走りながら周囲の様々なものを見たり聞いたり、その変化を探したり変化の意味を考えたり、そんなランニングも楽しむことができます。自分なりの走る楽しみを持っておけばそれで十分です。

明日からしばらくは蛍を楽しませてもらいます。

2018年6月1日

岡山県からの見学

岡山県の保育園から20名の方々が見学に来られました。まずさくらこども園を見学してもらい、その後あさりこども園へ移動してもらって職員同士で意見交換&見学を行いました。



今回嬉しかったのは、初対面にも関わらず、意見交換が最初から最後までかなりの盛り上がったことです。普通はスロースタートで終盤になってようやく話が弾み出すものですが、最初からお互いに全開です。お互い同じような保育の悩みを抱えていることもあるでしょうが、その悩みを乗り越えて自園の保育を前に進めていくためには何でもオープンにして話し合うことが必要だと、みんなが感じていることもあると思います。今回のようにオープンに話し合える関係があちこちに出来てくることを私たちも求めていて、そのことで日々の保育の悩みに対しても前向きに向き合えるでしょうし、保育に対する考え方にも変化が出てくるはずです。島根と岡山は離れていますが、今回の縁を大切にしていきたいと思います。いい機会をいただきありがとうございました。