2018年4月21日

非効率

宗教離れがかなり進んでいるようです。お寺においても、かろうじて葬儀や法事などでつながってはいるけど、お経を読むロボットとか、法事の手配をネット注文できるとか、ドライブスルー葬儀とか、他の分野と違わず変化の波が押し寄せています。

いかに手間を省くか、いかに時間を短縮するかといったことが重視される世の中なので当然の流れかもしれませんが、どうなんだろう?とは思いますよね。

宗教は非効率なものです。長く触れてきて、つくづくそう思います。それを改善して効率的にとか、そうやって扱うものではなく、非効率なままつき合うことで成立するものだと思っています。時間にしてもそう。いかに時間を短縮するかではなく、三十三回忌とか五十回忌とか、ビックリするくらい長い時間を扱っています。日常とは真逆のかなり長いスパンの物の見方をするようです。そんな場に身を置くのは辛いことかもしれません。でも日常とは違う視点、価値観に触れる場に強引にでも身を置く時間を作ることで、つまり非日常を体験することで、日常に対してより新鮮に向き合うことができるとも言えるんじゃないでしょうか。ハレとケというやつです。その役割を担っているのが宗教で、そのための場がお寺であったりするのかなあと。

お寺に足を運ぶ人が少なくなっているようですが、どんな形でもいいのであの場に触れてみることをオススメしたいです。何かを感じると思いますよ。その「何か」は人それぞれだと思いますが。



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