どうして、属性も知られず、能力をうしなったいまのほうが、はるかに敬意をもってあつかってもらえるのだろう。
與那覇(よなは)潤
鷲田さんのことば
うつで入院した歴史学者はカーテンを閉めてひきこもる。それでも話しかけてくる人がいる。つまらない話も楽しそうに聞く。属性や能力を失っても残る人との関係。そこに軸を移して、《不慣れな人がまじっても「その人のチョンボをいかに防ぐか」までが込み》のゲームをモデルに社会を構想しようと身を起こす。『知性は死なない』から。
《不慣れな人がまじっても「その人のチョンボをいかに防ぐか」までが込み》ってすごい言葉です。だいたいがその手前、不慣れな人を混ぜるところまで。いや、不慣れな人を排除する傾向まであるか。残念だけど。
この言葉に対してこんあツイートもありました。
《不慣れな人がまじっても「その人のチョンボをいかに防ぐか」までが込み》のゲーム。これってスポーツの本質だと思うなぁ。特に集団競技の。経験が浅い人のミスを推測して、熟練者がプレーすることで勝利はもたらされる。 https://t.co/fmfHdZi7ct— 平尾 剛 (@rao_rug) 2018年5月12日
こういう言葉に触れているのって心地いいですよね。
0 件のコメント:
コメントを投稿