2008年12月25日

No.76 今年の終わりに

先週の金曜日にキャンドルナイトの行事がありました。保護者の皆さんにも見ていただき、「こういう雰囲気は素敵ですね」「なんだか癒されました」といった声もたくさん聞かせていただきました。皆さんにもこの取り組みを感じてもらえたことを嬉しく思います。私自身は今回のキャンドルナイトの様子を見ていて、暗さを感じることの大切さを特に考えさせられました。古来より闇の部分を重んじ、とても大切にしてきた日本人ですが、現代では、本来闇であるはずの時間や空間にまで一日中光を当て続けています。その結果、見なくても良いものまで見えて、休むものも休まらず、個人にも社会にも強いストレスがかかっている状態と言えるかもしれません。技術の発達によって便利になったはずなのに、それが果たして人々の幸せにつながっているか、疑問に感じることもあります。

世の中は確実に便利になってきています。でも・・・、と思うことはいろいろあります。例えば交通機関の進歩によって、昔は大阪から東京まで6時間かかっていたのに、新幹線を利用すると今は3時間もかかりません(飛行機だともっと早く着きます)。そのことによって3時間の余裕ができたはずなのに、今の人達は(私も含めて)昔の人達よりも時間が足りないと言っているのが現状です。昔は6時間の間に物事を考えたり、駅弁を食べながら風景を楽しんだりと、じっくり時間が流れることで人生の豊かさを得ていた気がします。便利になることがゆとりを生むのではなく、ゆとりを失くしてしまっているのかもしれません。

私たちは「何のために生きていますか?」と問われると、多くの人は「幸せになるために生きている」と答えると思います。では、どうなることが幸せといえるのでしょうか。大人だけでなく子どもたちも幸せを感じにくくなったと言われるこんな時代だからこそ、私たちは"人と物"や"人と人"とのつながりを見直してみる必要があると思っています。そのことは自分自身の「幸せ観」を見直すことにつながります。そしてそれは子どもにも伝わり、子ども自身が「幸せ観」を築き上げていく際のモデルにもなると思っています。

子どもたちのために、こんなことも皆さんと一緒に考えていけたらという思いを込めて、書かせてもらいました。皆さんの思いもぜひ聞かせてください。

1年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

2008年12月18日

No.75 なかよし会とキャンドルナイト

明日19日(金)になかよし会を行います。今年のなかよし会はK保育士が中心になって計画が進められてきました。今回のテーマは"五感"で、その五感をそれぞれに刺激するコーナーを用意します。以前「五感を使った遊び」をぞう組さんが体験してきたことを書きましたが、そのときにもらったヒントが今回のなかよし会に生かされることになりました。

普段私たちは五感を特別に意識することはあまりないと思いますが、何気なく行っている日常の動作に五感はフルに使われています。この五感を1つずつ取り上げて子どもたちに体験させることにはいろんな意味があります。1つは以前も書いたように脳が刺激されるということがあります。「聞く」「触る」「臭いをかぐ」という動作をする度に、脳の働きが強化されることが分かってきています。またそれ以外に記憶にも関係してきます。目で見たり耳で聞いたりするだけなく、実際に触ってみたり、臭いをかいでみたり、味わってみたりすることで、その行動がより脳に意識され記憶にも残りやすくなります。そこから関心が深まり、さらに次の興味・関心へと広がっていくことにもなる、とても大切なことだと思っています。

そして夕方には今年で2回目のキャンドルナイトです。今回のキャンドルナイトの内容はぞう組さんが考えてくれました。どのような内容をどのように行うかを、自分たちで意見を出し合いみんなでまとめ、準備までやってくれました。しかも「積極的に」です。このように子どもたちが自らやろうとする意欲は、行事の意味を大きなものにしてくれます。『自分で考え、自分で決めて、それに取り組む』体験を繰り返すことで、子どもたちは自分のしたことに責任を持つことも学んでいきます。本で学ぶのでも、大人が言って聞かせることで学ぶのでもなく、やはり大切なのはこうした主体的に取り組む体験の積み重ねです。ぞう組さんの取り組みを見ていて、行事の大切さをあらためて感じました。また、ぞう組さんの姿勢は、他の子にもしっかり伝わるだろうと思っています。

明日のなかよし会とキャンドルナイト。この2つの行事を通して子どもたちがどんなことを体験し感じたか、いろいろと聞いてみてください。

2008年12月5日

No.73 赤ちゃんも子ども同士で関わる力を持っている

21年度の保育所入所申し込みが終わりました。毎年のことですが、入所申込期間中は問い合わせも多く、そのためいろいろな方とお話する機会があります。問い合わせ内容は手続きや入所条件のことが多いのですが、話をしているうちに、その方の子どもに対しての思いが伝わってきたりします。また、0歳児や1歳児の入所を検討しておられる方の中には、「子どもが小さいうちは親が面倒を見たほうがいいのでは・・・」と周りの人に言われて悩んでいる人もおられました。同じ悩みを抱えている方は一時保育を利用される方の中にもおられます。今回はこのことについて書いてみます。

子どもが小さいうちは大人との関わりが重要で、子ども同士の関わりの必要性は成長していくにつれて高くなっていくという考えが、まだまだ多いのではないかと思います。しかし最近の研究で、赤ちゃんも子ども同士で関わる力をもっているということが分かってきています。例えば、集団保育の場面で乳児がどのように他児と関わるかを観察して分かってきたことはこんなことです。

3ヶ月児では他児への、見る・発声する・さわるといった行動が見られ、4~5ヶ月児では保育者に抱かれたまま、他児に手をのばしたり、服をつかんだりという行動が見られるようになります。6ヶ月を過ぎると互いに見つめあって何らかの関わりをもとうとするしぐさを示すようになり、9ヶ月児になると、這って接近をしていったり、相手の発声に微笑んだり、物を介したやりとりをするようになるといいます。そして1歳前後になると物を介した関わりが多く出現し、「物の取りあい」も生じてきます。こうした行動は、多くの保護者も目にしてこられたのではないかと思います。

OECD(経済協力開発機構)が乳幼児教育の指針として出した基本のひとつに「ひとは、生まれた瞬間から教育される権利がある。」というものがあり、親との関わり以外の体験も重要視されるようになっています。すでに世界はこうした考えで動き出しています。ここでいう「教育」とは、子ども同士の関わりや大人の導きによって、持っている力を引き出すという意味です。生まれたときから持っている「子ども同士で関わる力」をしっかり発揮できる環境での体験は、どんな子どもにも必要だと私は考えています。親との関わりと同時に、子ども集団での経験の重要性も、もっともっと語られるようになければいけないのかもしれません。11月はこんなことをいろいろと考えさせられました。

2008年11月28日

No.72 発表会の予行練習を終えて

26日(水)に発表会の予行練習を行いました。それぞれの子どもたちがダンスや言葉のやり取りなどの表現活動に対して、楽しんで取り組んでいることが伝わってきました。保護者の熱い視線のある当日とは状況が違いましたが、この取り組みが発表会当日の経験を豊かにしてくれるはずです。

この予行練習の話ですが、この日は初めてお客さんとして地域の方を招待しました。声のかけ方が十分でなかったこともあり、来ていただいたのは3名だけでしたが、来年以降も続けていきたいと考えています。発表会当日の遊戯室は保護者の皆さんだけでいっぱいになってしまい、地域の方にも見に来ていただくのは難しいのが現状です。保護者優先という姿勢は変わりませんが、保育所の子どもたちのことをより多く地域の人たちに知っていただく、その為の働きかけが安全・安心を含めた子育て環境の充実には欠かせません。"近所のちょっとした知人"をより多くつくる実践がなくてはいけないと思っています。

話は変わりますが、予行練習のお手伝いとして役員のNさんとOさんが来てくださり、舞台転換を手伝ってもらいながら出し物を見ていただきました。そのときにある出来事が起こりました。踊っている子ども同士の間隔が狭かったために、ある子の手が隣の子に当たってしまったことから自分の場所を主張するための小さな押し合いがあり、それが何度か続いた後、押された子は泣きだしました。泣いた子に対しては職員がフォローに当たりましたが、押してしまった子も「主張したかっただけのに泣かせてしまった」という"気まずさ"のようなものを感じ続けてか、別の場面で泣き出してしまいました。

それを見ていたNさんとOさんは、「この後どうするんだろう?」「このまま2人の出来事を何事もなく終わらせてしまったら、なんかもったいないな」といった意味(だと思う)の会話をされていました。2人の行動を見て、2人の気持ちに思いをやり、その行動や経験をお互いの育ちにつなげてあげたいという思いだと思います。子どもの世界はとても多様で繊細で、そんな子どもたちの関わりの中には、育ちに影響するものが常にたくさん生まれています。この2人の子にも、ここには書ききれないくらい多くの心の動きがあったと思います。予行練習の1つの場面で生まれた「子どもたちの心の動き」にしっかり気を配っておられたNさんとOさんの温かい心に触れて、なんだか嬉しくなってしまいました。

2008年11月21日

No.71 役員さんから子どもたちへのメッセージ

あと1週間で発表会です。今年の発表会のテーマは『のびのび発表会』。子どもたちが表現活動をのびのびと主体的に取り組んで楽しめる、そんな発表会の活動になるようにと、職員は工夫をしながら子どもたちと向き合っています。発表の内容や見どころは後日お知らせしますので、ここでは役員さんの出し物の紹介をさせてもらいます。

今年も役員さんによる出し物(寸劇とダンス)があります。選んだ曲は『ぼよよん行進曲』。じっくりと聞いてみるとなかなかいい歌詞なので、その一部を紹介しながら、この出し物の私なりの解釈を書いてみます。

『どんな大変なことが起きたって 君の足のその下には
とてもとても丈夫な「ばね」がついてるんだぜ
押しつぶされそうな そんな時だって
ぐっ!とひざ小僧に勇気をため 「いまだ!スタンバイ!オーケー!」
その時を待つのさ』


子どもの世界も大人の世界と同じで、日々の生活や周りの人との関係の中で、常にいろんなことが起こります。それは決して嬉しいことだけでなく、悲しいことやしんどいことも当然あります。そのときに子どもたちが感じる"葛藤"や"何とも言えないもやもやした気持ち"を体験することは、子どもの育ちには大切なことだと考えています。そして、その大変な思いを乗り越える力を、子どもたちは本来備えているのではないかと思っています。

その力を最大限に発揮するためには、私たち大人の「しんどかったらいつでも言っておいで。しっかり受け止めてあげるから。」という思いを子どもに感じさせることがポイントだと思います。子どもに葛藤が起きないように困難な状況を取り除くのではなく、子どもの力を信じ、困ったときにはいつでも受け止めてあげられるように後ろでそっと支えている、そんなイメージです。

今回の役員さんの出し物は、「安心していろんな体験をしておいで」というメッセージを子どもたちに伝えようとしているんだろうと思っています。役員さんが「のびのび」楽しんで取り組んでいる姿を通して、子どもたちに温かいメッセージが少しでも伝わって欲しいと思います。皆さんも楽しみにしておいてください。

2008年11月14日

No.70 子どもが迫る究極の選択

子どもと付き合っていると、子どもというのは不思議な存在だと思うことがよくあります。大人の考える通りにいかないのは当然ですが、とにかく振り回されてしまうことがよくあります。しかも、そのほとんどは子ども自身が意識していない場合です。どこかに出かけるとき、朝あわただしく支度をしてさあ出かけようと思ったとたんにオムツにウンチをしてしまうとか、車に乗り込もうとすると「トイレ!」と言い出す始末です。また、長い間楽しみに計画していた旅行の前日や仕事が忙しいときに子どもが熱を出したり、感染症にかかったりしてしまいます。皆さんもこんなことを頻繁に経験しているのではないでしょうか。

子育て支援センターで貸し出しをしている本の中に「やってあげる育児から見守る育児へ」という本があります。その本の中にある子どもと関わる親の心得について、以前も紹介しました。今回はその中の2つを取り上げてみます。

「子どもは、何かものを与えれば喜ぶのではなく、気持ちをわかってもらうことを望んでいます。」

「子どもは、自分のために親が犠牲になることを望むのではなく、子どもから望んだときに、自分が優先順位の高いことを望みます。」


子どもたちの行動を見ていると、子どもはこのようなことを親に望み、定期的にそれを試そうとしているのではないかという気がしてきます。「自分の気持ちをわかってくれているだろうか、自分が親の意識の中で優先順位が高いだろうか」ということを、保護者の行動や選択から感じようとします。保護者に対して究極の選択を迫っているのかもしれません。

これからますます寒くなり、子どもは体調を崩すことが多くなります。年末にかけて忙しくなってきたときに、究極の選択を迫られることも出てくるかもしれません。そんなときにどんな選択をしたか、どのようにふるまったか、振り返ってみてほしいと思います。例え自分で合格点のつけられる行動でなかったとしても、「子どもの気持ちはわかってあげられたか」「優先順位はどうだったか」などを1つ1つ振り返って見直すことが、子育てで大切なことではないかと思っています。

2008年11月7日

No.69 当番活動も大切です

保育所での生活は子どもたちにとって大切な経験です。子どもたちは保育所での経験を通して、集団の中でどう行動するかを毎日学んでいます。その中で、自分の役割を持ち責任を持って行動するために、当番活動も行っています。子どもたちが毎日の様子を家で話すときに当番活動についても話しているかもしれませんが、ぞう・きりん組の当番活動についてここで書いてみようと思います。

まずは当番の主な役割には、「昼食時、時のランチルームの準備、片付け」「ごはんのときにみんなにおかずの希望おやつの量を聞き、その量を盛り付けること」などがあります。また、ぞう組のみの役割として、昼寝のための布団敷き、ぱんだ組担当としてぱんだ組さんと食事を食べ、歯磨きの見本を見せてあげること、うさぎ・りす組担当として昼寝後にうさぎ・りす組さんと過ごすこと、わくわく当番として一時保育の子どもと一緒におやつを食べることなど、様々な役割があります。

子どもたちはこうした当番活動を通して、自分の役割をきちんと責任を持って終えることが期待されるようになります。また、こうした役割を子どもたち同士でお互いに調整しながら進めていくことによって、ほかの子どもと協力すること、我慢すること、やりたくなくても時にはやらなくてはならないことなどを、経験を通して学びます。例えば昼食の準備などは、他の子よりも遊びを早く切り上げて用意をしなければいけません。でもそのときのお当番さんの表情は生き生きとしているように見えます。自分の役割に対して、主体的に向き合えているんだろうと感じています。

当番活動は、予定していたことを時間通りに間違いなく子どもにやらせることを一番の目的にすると、活動の意義は薄れてしまうと思っています。子どもたちが自発的に取り組むこと、自分で考え感じる体験をすること、そしてその様子を見ながら子どもたちの育ちをモニターすることに意味があります。そして、それぞれの子どもの得意・不得意を見極めることで、次の課題に向けて刺激を与え、支援をしていくことは、私たちの大切な役目だと考えています。まだまだ課題の多い当番活動ですが、もっともっと意義を高めたいというのが私たちの思いです。

2008年10月31日

No.68 保育を言葉にすること

こんな話を聞きました。厚生労働省が制度を変えようと思ったとき現場や教授たちにヒアリングをすることがあり、そのときにこんなやりとりがあったそうです。保育問題について保育関係者から意見を聞くことになり、各地の主任保育士さんたちに話してもらったときのことです。「このように制度を変えることに対してどう思いますか?」「子どもは国の宝ではないですか!」「?」「宝ですから大切にしないと!」「どうすればいいのですか?」「だって、子どもってかわいいですよね!」「えっ…」「情けないですよ、こんなことでは」「ではこの制度はどうすればいいと思いますか?」「もっと子どもを大切にするような制度にしないといけないのではないでしょうか。」こんなやり取りだったようです。

このやりとりに出てくる「大切」「かわいい」ということはとても大切なことですが、それは感じ方であって、そのような言葉は誰にでも伝わるわけではありません。おそらくこの言葉を使った説明で納得するのは同じ業種の人ぐらいでしょう。保育だけでなく子育ても、このような言葉で語られることはよくあるのではないでしょうか。でもそうではなく、多くの人たちに理解してもらえるように、誰でも納得できるような言葉で説明することが、実は大切だと思っています。私たちが行っている保育のこと、何故その保育が必要なのかということを、もっと言葉にしていくことの必要性を感じています。

なぜこのようなことを書いているかというと、保育を言葉にすることが「保育の質」を高めていくためには欠かせないと考えるからです。私たちは、保育の質を高めるために「今の時代に子どもたちに必要な経験とは何か」を日々考えています。保育を言葉にしなければ、自分たちの実践を振り返り、その実践が子どもにとってどのような意味をもったかを考え、さらに次の実践につなげていくことは難しいと思っています。そうした思いもあって「園長のひとりごと」を書き始めました。誰にでも分かる言葉であさり保育所の考えや実践を表現できるようになることが、ここでの目的の一つです。まだまだ十分に言葉にすることはできていませんが、『保育の質』『子どもたちの経験の質』を高めるために、子どもたちの姿を見て、それを言葉にすることを、もっと磨いていきたいと思っています。

2008年10月24日

No.67 子どもの欲求とおもちゃ作りの話

今回は「子どもの欲求」に関して少しだけ書いてみます。子どもは常に何らかの欲求をもちます。そして結果は、単純に考えるとそれが満たされるか、満たされないかという2つに分かれます。たとえば不快を取り除き、欲求が満たされれば情緒や気持ちも満たされて安定し、さらに次の欲求へとつながります。反対に欲求が満たされないときは、不満が募り情緒は不安定になります。

赤ちゃんを世話する場面を思い起こしてもらえばわかりやすいでしょう。お腹がすいた、眠いのに眠れないときなど、赤ちゃんは泣いてその欲求を訴えます。すると大人が授乳したり、抱っこしたりして、欲求を満たしてあげます。そうすれば子どもは満足して泣きやみ、ごくごくとお乳をのんだり、すやすやと眠りについたりします。そして情緒は安定します。乳児にとって、親は不快を快適な状態にしてくれる、ありがたい存在です。

それが次第に自発的な行動が増えていき、周りに影響を及ぼすほど大きくなってくると、いつも満たしてくれていた自分の欲求が禁止されることがでてきます。子どもにとっては新しい経験です。それまで認めてもらっていた欲求が、望みとは反対に否定される経験に直面します。行ってはダメ、つかんではダメ、動かしてはダメ、ひっぱってはダメ、口に入れてはダメなど、なぜそうしてはいけないのかが分からないけど、禁止されます。「あれ、どうして?」と、欲求が一時的に制限されることに戸惑いを覚えます。

このように子ども自身に理由がまだ分からないほど小さいうちは、子どもにとって禁止ばかりにならないように、大人が「やってもよい」環境を用意しないといけません。行ってもいい場所をつくる、つかんでもいい物やおもちゃを置く、動かしたりひっぱったりできるものを用意する、のどを詰まらせてしまうような小さいものは置かず、なめても安全なものにかえておく・・などの配慮が欠かせません。欲求を禁止だけして満たさないのではなくて、適切な行動ができるような環境に代えてあげることも必要です。

ということを踏まえて、K保育士とA保育士が中心になり、うさぎ組とりす組で使うおもちゃを作る計画を立てています。出来上がるのはもう少し先ですが、今から楽しみにしています。

2008年10月17日

No.66 五感を使う楽しさを体験しました

15日(水)にぞう組さんが少年自然の家で1日かけて自然体験をし、私は午後の部のみ参加してきました。午前中は冒険の森に挑戦し、午後は今年度新設された「どんぐりの森」でのネイチャーゲームです。このネイチャーゲームには以前から興味があったのですが、実際に体験してみると想像以上に奥の深いものでした。その一部だけですが、ここで紹介します。

最初に右図のようなカードが配られ、その説明があります。マスの中にあるものを、○の中の絵で示された感覚を使って探してみよう(「きのこ」は目=視覚、「ちくちくするもの」は手=触覚、「とりのこえ」は耳=聴覚、など)、というものです。ただ単に自然に触れるのではなく、しっかり五感を子どもたちに意識させた上で自然に触れ、そのことでより豊かな体験をしようというねらいです。もちろんそのねらい通り、子どもたちはしっかり五感を研ぎ澄まして動き回り、対象を見つけては歓声を上げていました。

よく子どもの五感を刺激することがよいと言われますが、それは「聞く」「触る」「臭いをかぐ」という動作をする度に、脳のシナプスといわれている連結箇所が強化されていくと言われているからです。そしてその五感を刺激していくものが子どもにとっては遊びであり、その遊びに興味を持ち、遊びの中から新しい発見をし、さらに興味が深まっていきます。今回のネイチャーゲームにはそうした要素がたくさん詰まっていたと思います。

以前も書きましたが、私たちは自然と共生していくことをもう一度考え、それを子どもたちにも伝えていかなければいけません。そのためには、子どもたちが自然に対して愛着を持つことや、自然と楽しく過ごした経験が大切です。自然とより楽しく過ごし、より興味が深まっていくようにするための工夫は、まだまだたくさんありそうです。今回のネイチャーゲームからヒントをたくさんもらいました。

2008年10月10日

No.65 養育力の低下?

10月16日(木)は「ととろの日」です。さくら保育所の裏山に「ととろのもり」と名づけた遊びのスペースを作り、そこで子どもたちに夢を与えることができないかと職員が考えて生まれた行事です。平成15年にスタートして今回が6回目になります。この行事の鍵はもちろんトトロの着ぐるみです。この行事で大活躍するトトロの着ぐるみは浅利のボランティアの方々が作ってくださいました。トトロがどんなものかを全く知らなかったボランティアの方たちが絵本を買って話を知るところから始め、確か3ヶ月くらいかけて完成したと思います。それぞれお仕事でお忙しい中、保育所の子どもたちのためにと時間を割いてくださり、でもとても楽しそうに作っておられたのが印象的でした。

話は変わりますが、保育所で行う保育内容について定めた「保育所保育指針」というものが厚生労働省より出されています。それが今年の3月に改定されました。子どもたちが育つ環境が変化し、それに伴って課題や問題点が生じているからです。その課題や問題点の1つに「保護者の養育力の低下」ということが挙げられています。昔に比べて今の保護者の養育力は低下しているからそれを踏まえた上で保育を行うこと、というわけです。このことに関して、私は少し違うと思っています。昔の人は養育力が満点に近くて今の保護者は60点くらいとか、そんなことはないはずです。昔の人も決して満点だったわけではなく、足りないところをおじいちゃんやおばあちゃんといった家族や地域、そして社会が支えてくれていたと思います。保護者の養育力が低下したのではなく、地域や社会のそれが低下し、つながりも薄くなってしまったことに、もっと注目しなければいけないのではないかと思っています。

今月末には「いも煮会」があり、一緒に調理をして食事をします。その他にも地域の人に支えられている行事はいろいろあります。「ととろの日」の行事もそうですが、地域の方の「子どもたちに対する思い」に支えられた行事の大切さを強く感じます。親だけに子育ての負担がかかるのではなく、子育ての知恵を伝えてくれる人、親とは違う距離で子どもと関わってくれる人、そしてぶつかり合いから関わる力を学べる子ども同士など、子どもが育つために様々な関わりが当たり前に行われる社会でなければいけないんだろうと思います。保育所や子どもたちを中心とした地域のつながりをもっと深いものにしていきたい、そんなことを考えています。

2008年9月26日

No.64 自然との共生

先日、7月に設置した落ち葉を入れるコンポスト(畑の横に置いてあります)を子どもたちと一緒にのぞき込んでみました。こちらの思惑通りに葉っぱは分解が進み黒っぽくなっていて、中にはミミズやカブトムシ?の幼虫、その他様々な虫がいて、それらを見た子どもたちは大喜びです。すぐに幼虫を捕まえる子、ミミズを見て気持ち悪がる子、手は出さないけどじっと観察している子など、いろんな姿を見ることができました。

自然環境には、子どもが思わず興味を持ち思わず遊びたくなる要素が豊かにあります。自然環境が子どもに与える意味が大きいと言われるのは、このことがあるからだろうと思っています。そして、どのような自然を通した体験や遊びが子どもたちの育ちをより促すかということについては、まだまだ時間をかけて考えなければいけませんが、子どもが興味を持ち楽しみながら体験することには、それだけでも大きな意味があると考えています。

少し違った角度から自然を考えてみると、私たち人間は生き延びていくためには、人間だけが生き延びる道を選ぶのではなく、他の生き物と共に生きていく道を探していかなければいけません。そのために最近は、盛んに環境保存の必要性が言われています。でもそれは、例えば「環境を守ろう!」といったスローガンとか「ごみを捨てるな!」という対策ではどこかで限界がきてしまうような気がします。環境を守るとか、ごみを捨てないといった道徳や倫理観は、決して言われたり罰せられたりするからやるものでもなく、覚えこまされるものでもなく、そのものへの愛着とか、そのものが自分にとってどういう意味があるかという認識とか、それらと楽しく過ごした経験などから生まれてくるものだと思います。だからこそ、子どもたちにとってこの時期に自然と関わる体験はとても重要だと考えています。

私たちは自然と共生していくことを目指さなければいけません。そしてそのために何をすればいいかを考え、そして子どもたちに伝えていかなければいけません。秋は自然の変化が多く見られる季節です。この季節の体験が子どもたちの将来にもつながっていくように、丁寧に考えていきたいと思っています。

2008年9月19日

No.63 子どもは何のために力を身につけるのか②

前回は、学校で習い身につける力が生活や社会で生かされていないのではないかということを、奈良女子大の浜田教授のお話を通して書きました。これは学校だけの問題ではなく、乳幼児期の子どもに関わる私たちも丁寧に考える必要のあることだと思っています。今回はそのことについて書いてみます。

学校だけでなく、家庭でも保育所でも、子どもたちは日々いろんな知識をつけ、いろんな力を身につけています。例えば言葉を話す力が身につけば、それを使ってコミュニケーションの世界が広がり多くの人と関わりを持てるようになります。そのように身につけた力を使い、世界が広がることをうれしいと思い、また次の力を身につける意欲につながっていきます。このように膨大な力を身につけていくわけですが、何のため?ということをあらためて考えてみると、やはり生活に使うため、社会に出たときに使うためです。

子どもが育っていく発達していくということは力を身につけていくことではありますが、そのこと自体が目的ではなく「社会で自分の力を発揮しながら生きること」が目的で、そのために力を使えることが大切だということを忘れてはいけないと思います。子どもたちが社会に出たときどんな力が必要になるかを十分に考え、将来どうあるべきかを見通して子どもたちに関わっていくことを、今の時代は特に求められていると思っています。

私たちは人と関わりながら生きています。決して1人では生きていけません。人との関係を作っていくためには会話が上手になるだけではなく、他人がうれしいと感じることで自分もうれしいと感じることも大切です。また社会ではいろんな問題がいつ起きるかわかりません。決して思い通りにいくことばかりではありません。そんな状況を乗り越えていくためには、今持っている力を工夫しながら使い、何とかやりくりすることも必要になります。そうした力をつけていく体験を用意していくことは、私たちの大切な役割です。私たちはつい先を見ないで目の前のものを見ようとします。今持っている力で子どもを評価してしまいがちです。しかし、見なければいけないのはその先にあるものです。今目の前にいる子どもに対して、将来のあるべき姿を見通して、現在をよりよく生きるために援助することを、私たちはいつも考えなければいけないと思っています。

2008年9月12日

No.62 子どもは何のために力を身につけるのか①

先日、奈良女子大で発達心理学を教えておられる浜田寿美男教授のお話を聞く機会がありました。浜田さんは「学校で学ぶことは結局学校でのみ試されるものになっていて、そこでつけた力を社会や実生活で発揮するための教育になっていない」と今の教育のあり方に危機感を感じておられます。浜田さんのお話の中で印象的なものがあったので書いてみます。

14、5年前の話ですが、浜田さんの娘さんが小学5年生のとき、家庭科で卵の黄身の盛り上がり方から新鮮度を見分ける授業があり、後日その内容についてのテストがあったそうです。家庭科のテストなので生活に即したストーリーのある内容で、「花子さんは卵料理を作ろうと卵を2つ割りました。(黄身がこんもりと盛り上がっているAと、黄身がほとんど盛り上がっていないBの図があって)あなたはAとBどちらの卵を使いますか」という問題です。ほとんどの生徒は「A」と答えましたが、浜田さんの娘さん1人だけ「B」と答えて不正解となりました。浜田さんご夫婦は仕事で遅くなることが多かったので、娘さんは夕食を自分で作ったりする機会が多い生活だったため、実体験に置き換えて「古いBから使う」と答えたようです。

皆さんの答えはどうでしょうか。実際の生活では当然「古いBから使う」でしょうし、「2つ割って1つだけ使うなんて有り得ないから両方使う」など、いろいろありそうです。実際の生活では新しいAは使って古いBは使わないということは恐らくないでしょう。もちろん卵の新鮮度の見分け方は知っている方がいいと思います。ただ考えなければいけないのは、「どちらを使いますか」という問題を「どちらが新鮮ですか」とほとんどの生徒が自分で読み替えてしまっているところです。どう生活に生かすかではなく、テストとして何が正解かと考えてしまっています。『学校で習うことは生活やその後の社会で使っていくものであるはずなのに、身につけた力や知識はテストでしか生かされない状態になってしまっているのではないか』と浜田さんは心配しておられました。

この話は小学校以降の話で、テストの無い保育所時代の子どもたちには関係ないようにも思えますが、私は無関係ではないと考えています。何のために子どもたちは力を身につけるのか?このことはきちんと押さえておかなければいけないと思っています。次回はこの続きを書かせてもらいます。

2008年9月5日

No.61 子どもに伝えたい『自由』の考え方について

前回は、運動会で選ぶことを取り入れていることに少し触れました。保育所では普段の生活の中でも自分の行動を選ぶことを、日に何度も経験するようにしています。これは、自分の意思で決め、自分の意思で行動することができる力を子どもたちにつけてもらいたいという考えです。そしてこの「選ぶ」活動を繰り返す中で、「自由」ということの考え方の基礎を伝えていきたいとも思っています。

「自由」をどう解釈するか、これはとても難しいことだと思っています。「自由」という意味を辞書で調べると「勝手気ままであること」と出てきます。確かにこれも「自由」の一面かもしれませんが、子どもたちに伝えたい「自由」の考え方は少し違います。そのことについて少し書いてみようと思います。

例えばバスに乗ることを考えてみてください。バスは「どこでも自由に乗り降りができる」ことになっていますが、停留所ではないところでも乗れるのか、お金を払わなくても乗れるのかというと、そうではありません。乗るときも降りるときも停留所でなければいけないし、きちんとお金も払わなければいけません。でもそれをきちんと守ることができれば、自分の行きたいところに行くことができます。「あなたはここで乗ってあそこで降りなさい」と決められて行動するのではなく、「ここで乗ろう。ここで降りよう。」と自分の意思で決めて行動することが『自由』だと考えています。自分で行きたい場所を考え自分で降りる場所を決められるように、自分の好き勝手にするのではなく、当然他の人に迷惑をかけないように、守るべきルールを守った上での「自由な選択」ができるようになってもらいたいと思っています。

最初にも書きましたが、私たちは子どもたちに自分の意思で行動する力をつけてもらいたいと思っています。「いいこと」「悪いこと」を自分で考えられるようになったり、やりたいことを自分で選択できたり、そんな力をつけてもらいたいという考えで、保育の内容を計画しています。ただし、そういう保育を行うためには、子どもたちにどこまで選択する力が備わっているかを把握していなければいけません。そのことについては機会をみて、そして自由について違う面からも書いてみたいと思います。

2008年8月29日

No.60 一人ひとりの違いを認め合うこと

今年の運動会も子どもたちが「選ぶ」ことを取り入れた種目を計画しています。得意なことやできるようになったことを子どもたちが選び、自分で選ぶことによって主体的に取り組む姿を保護者の皆さんに見てもらいたいと思っています。子どもは一人ひとり違います。それは大人も同じです。一人ひとりの成長に違いはありますし、当然得意なことやできることも違っていて、私たちは普段からその違いを大切にするように保育をしています。

このことを考えるとき、『チームワーク』という言葉が頭に浮かびます。複数の人と共に活動するときチームワークが必要になりますが、"いいチームワーク"というのは、「あなたがAをするなら私もAをする」というのではなく(もちろんそれも大切なときはありますが)「あなたがAをするなら私はBをする」といった、個々の特性を生かしながら全体として1つの目的に向かって進んでいけることだと考えています。

子どもが得意なことに主体的に挑戦している姿に刺激を受けて、別の子も自分の得意なことに積極的に挑戦することがあります。「個」を出すということは一人ひとりが違ってくるということですが決してバラバラになることではなく、それが集団や活動を豊かにすることにもつながります。一人ひとり違っていて、それを認め合うことは当たり前のことだと考えられる風土を作っていきたいと思っています。このことは子ども社会だけでなく、社会全体にも今特に求められていることのような気がしています。

互いに支えあう社会をつくろうということで、他と同じようにすることを目指した「共同体」という言葉がありますが、今は異なったものが共に認め合う集まりという意味で『共異体』の社会が必要だと思います(共異体とは「共に生きる(共)、違いを認め合う(異)、社会を形成する(体)」という意味の造語です)。生き生きと個を発揮し、そのことを誰もが認め合う関係を、保育所時代に実体験として感じてもらいたいと思っています。運動会の話から飛躍しすぎた感じはありますが、保育所の日々の活動や行事を通して子どもたちに伝えていきたい大切なことと捉えていますので、ここで書かせてもらいました。

2008年8月22日

No.59 運動会の目的について

猛暑はつらいですが、急に涼しくなると何だか寂しさを感じたりもします。まだ夏が終わったわけではないでしょうが、プール遊びも終わり、子どもたちの遊びも少しずつ"秋"に移っていきます。そして来月20日にある運動会に向けての活動も増えてきます。この運動会の目的について、昨年もこのひとりごとで書きましたが、大切なことなので今年も書くことにします。

あさり保育所では運動会を「子どもの運動能力の発達を保護者に伝える」「親子のふれあいを提案する」「普段の保育をより深める」という3つの目的に位置づけています。この中の「子どもの運動能力の発達を保護者に伝える」という目的について、特に職員の話し合いが深まってきています。連日熱戦が行われているオリンピックのように身体能力の高さや技の出来を競うのではなく、子どもが日々の生活の中でつけてきている力をどのように種目の中で見てもらうか、またそれを子どもたちが"やらされる"のではなく"主体的に取り組む"ものにするためにはどのような形がいいか、様々な議論は運動会の直前まで続くだろうと思っています。

また、この運動会の取り組みを通して「体を動かすことの楽しさ」を子どもたちに伝えたいと考えています。楽しさは、1人で感じるより共感できる相手がいた方がより強く感じられます。個々の子どもが集団のなかでお互いに関わりながら取り組み、そして楽しさを共感しあう、そんな運動会にしたいという思いがあります。そして親子の関わりも同様に考えています。「親子のふれあいを提案する」ということで、親子で取り組んでもらう種目も計画しています。ぜひ保護者の皆さんも子どもと一緒に体を動かすことを楽しんでもらいたいと思います。

そして「普段の保育をより深める」という目的。これは運動会当日を含めてそこに至るまでの活動で子どもたちがどんな経験を重ねていくかが大切であり、そのためにも保育者の「子ども理解」とそれに基づく「創意工夫」がポイントとなります。これについては、今後の子どもたちの活動を具体的に取り上げて、後日書いてみようと思います。

2008年8月13日

No.58 ロフトを設置します

お盆がやってきます。この期間には家族が集まったり、日本独特の文化を感じるイベントがあったりと、いつもとは違った雰囲気になります。仕事のことを考えると、こんなときでも休むわけにいかない業種もあるでしょうし、逆にこんなときだからこそ忙しい業種もあるでしょう。保育所もそのひとつです。家庭によって様々なお盆の過ごし方があると思いますが、それでも子どもたちには、その家庭なりのお盆を感じてもらいたいと思っています。

この期間に保育所には変化があります。15日(金)に保育室内にロフトを設置する工事をします。ロフトは屋根裏部屋という意味ですが、イメージとしては部屋の中に大きな二段ベッドがあるという感じです。このロフトを設置することで、2階に新たな遊び場(そんなに広くはありませんが)できること、1階も天井が低くなり明るさが変わること、そうした変化は子どもたちにとって意味のあることと考えています。

私は特に、2階の部屋ができることを楽しみにしています。というのも、子どもがいつも視線を水平に見ている生活の中で、上から覗き込むということをさせるのは脳のシナプスが増えるという研究データがあるからです。そんなことからドイツの幼稚園・保育園の多くは、保育室にロフトが設置されているようです。また、そこに上るために階段を上ることも、脳のシナプスを増やすということがわかっているそうです。平屋作りの園舎内にロフトを設置することによって、階段を上り、上から覗き込むということを、遊びの中で子どもたちに体験させたいと思っています。

また、この上から覗き込むことを考えたとき、私はいつも木に登ったときに見える風景が頭に浮かびます。高いところに上ると下を覗き込むことができるだけでなく、いつもは見えない景色が見え、視界が広がったように感じます。その爽快感は保護者の皆さんも体験してこられたのではないでしょうか。高さが変わっただけでも、子どもの好奇心は刺激され、遊びが広がり、そして想像力もふくらみます。こんな体験のできる環境としてまずはロフトを、そして今後は園庭にも作りたいとひそかに計画中です。

2008年8月8日

No.57 子どもが『選ぶ』プール遊び

暑さをものともせず、子どもたちの元気な声が園庭中に響き渡っています。水遊びや泥んこ遊びも充実してきて、遊びを終えて帰ってくる子どもたちの表情を見ていると、夏の遊びを満喫しているのが伝わってきます。プール遊びも回数を重ねるごとに充実してきているのを感じます。あさり保育所のぞう・きりん・くま組のプール遊びについてはお便りで内容をお伝えしていますが、ここでも取り上げてみます。

ぞう・きりん・くま組のプール遊びは、まず『選ぶ』ことから始まります。「水遊びは大好きだけど、顔に水がかかるのはちょっと…」という"かにグループ"、「顔に水がかかってもいいけど、でも潜ったりするのは苦手」という"さかなグループ"、「しっかり泳いで遊びたい」という"いるかグループ"の3つのグループから、今日はどのグループでプールに入るかを選びます。子どもは、自分のできることや自分が挑戦したいことを選んでいくわけですが、面白いのは子どもがいつもいつもステップアップしていくことを目指しているわけではない点です。

さかなグループをクリアすれば次はいるかグループに挑戦する、という順番を私なんかは想像しますが、そうではなく、さかなグループの次にかにグループを選ぶ子もいます。保育者は子どもにここまでできるようになってもらいたいというねらいを持っているのでステップアップを促したりすることもありますが、子どもたちは自分なりにどう水遊びに取り組むかを、自分自身に問いかけながら丁寧に選んでいるようです。プールを使う順番も日によって違うため、一番にプールに入ることの出来るグループを選ぶという選び方もあるようです。子どもたちの『選ぶ』基準は本当にいろいろです。

子どもたちは自分で選ぶことによって、とても意欲的に活動に取り組みます。そして意欲的に取り組むことが、自分自身の課題をクリアしていく一番の力になっていくと考えています。そのために、私たちは子どもたちの選択を大切にします。子どもは本来自ら育つ力を持っており、それが育つためにどんな環境を用意するか。私たちはここに一番力を注がなければいけないと思っています。子どもを主体的に捉えること、子どもの選択を大切にすること。子どもたちのプール遊びを見ながら、そんな思いを強くしました。

2008年8月1日

No.56 何が『子どものため』?

夏祭りが無事に終わりました。今年の参加者は約500人。たくさんの参加者と楽しいひとときを過ごすことができたと思っています。今回の夏祭りの目玉のひとつ、カキ氷はいかがでしたか?「食の大切さを伝える」ことを目的とし、今回はほとんどを保護者の皆さんに作っていただきました。「子どもたちのため」に素晴らしい味を体験する場を用意してくれたことを、本当に感謝しています。

話は変わって上に書いた「子どものため」について。私たちは「子どものため」とはどういうことかを常に考え保育をしています。これは保護者の皆さんも同じだと思います。「子どものため」に何をすべきかをいつも考えておられると思います。でも難しいのが、いろんな「子どものため」があることです。例えば、着替えを手伝ってあげるのも、自分で着替えができるようにと手伝わないのも、どちらも「子どものため」と言うことができます。同じ事に対して複数の「子どものため」が存在しています。ではどちらが正解かをはっきりさせるのかというと、人と人の関わり方に1つの答えを出すことは、少し違うような気もします。ややこしいですね。

こんなことを考えるヒントが、子育て支援室に貸出し用として置いてある「やってあげる育児から見守る育児へ」という本の中に、子どもに関わる大人の心得として書かれていました。何かの参考になればと思ったので載せておきます。何が「子どものため」か、皆さんと一緒に考えていければと思っています。

『子どもが何か問題を抱えているときに、それを除いてあげようとするのではなく、自分でそれを解決できるように援助してあげます』『子どもが何を考えているかを、いつも先回りして考えるのではなく、子どもの考えを聞いてあげます』『子どもは、何かものを与えれば喜ぶのではなく、気持ちをわかってもらうことを望んでいます』『子どもは、自分のために親が犠牲になることを望むのではなく、子どもから望んだときに、自分が優先順位の高いことを望みます』『子どもが自分でできることや、自分でやろうとすることを手伝うことは、子どもにとっては迷惑です』『子どもを甘やかすことと、子どもの甘えを受容することは違います』『子どもが次第に自立していき、親が必要でなくなってくることは、うれしいことであり、さびしいことではありません』

2008年7月25日

No.55 夏祭りまであとわずか

26日(土)はあさり保育所の夏祭りです。こういう行事はいつも天気が心配なのですが、暑さは避けられないものの、雨には見舞われないのではと思っています(それでも当日まで天気予報のチェックは欠かせません)。さて今年の夏祭りでは「物を大切にすること、食の大切さを子どもたちに伝える」という考えで、内容を検討してきました。役員会の議事録でもお伝えしていますが、ここでももう一度取り上げてみます。

まず「物を大切にする」ことですが、物を再利用・再活用することを楽しんで体験するために、子どもたちが牛乳パックで紙を作り、その紙で来賓の方への夏祭りの招待状を作りました。そこに書く言葉も子どもたちが考えて書きました。

そして割り箸の使用についても考えました。当初炊き込みピラフの箸は「マイ箸」の持参をお願いすることを計画していましたが、子どもたちが普段おやつで食べているおにぎりを用意することにすれば、割り箸を使わなくても済むことから、炊き込みピラフをおにぎりに変更しました。保育所で食べているものを、地域の方にも知ってもらいたいという思いもあります。

次に「食の大切さを伝える」ことについてです。今年のカキ氷のシロップは、この地域で採れたものから手作りで用意しました。と言っても、ほとんどは保護者会長の深町さんをはじめ保護者の皆さんに作っていただきました。子どもたちが作ったのは梅シロップです。使った果実のほとんどがこの地域でできたものです。保育所の食事の相談にのってもらっている「粗食のすすめ」の著者・管理栄養士の幕内さんから、その季節にその土地で採れたものを食べることは食の基本だと教わりました。食の問題が次々と起きている今の時代だからこそ、この基本を見直さなければいけないと思いますし、子どもたちにも体験を通して感じてもらいたいと思います。

いろいろ書きましたが、これらのことは保護者の皆さんをはじめ地域の方々の協力がなければできないことでした。子どもたちにとっても、多くの方々の思いが子どもたちに向けられていることが、実は一番大切であると思います。こうしたありがたい支えの中で夏祭りが行われることを、本当に感謝しています。当日はしっかり楽しんでください。

2008年7月18日

No.54 あいさつについて

私たちは「あいさつの大切さ」をいろんな機会で子どもたちに話しています。また、「子どもたちが心の通い合うあいさつを身につけていくためにはどうしたらいいか」ということを、たびたび話し合っています。今回は、人と関わっていくきっかけになるこの『あいさつ』について、私たちが考えていることを書いてみます。

『あいさつ』は、人と関わりながら生活していく上で大切なものです。朝出会ったら「おはよう」、帰るときには「さようなら」、その他にもたくさんのあいさつがあります。こうした言葉を交わすことはとても大切なことですが、ここに心が通い合うものでなければ、本当の意味で人と人とをつなげる『あいさつ』にはならないのではないかという思いがあります。実はこの部分が、子どもたちに伝えなければいけない最も大切なところではないかと思っています。

では、その大切さを伝えるにはどうすればいいのか。やはり、あいさつの心地良さを感じさせることがまずは大切だと思います。「おはよう」と明るく声をかけられるとなんだか温かい気持ちになる。「おはよう」と返すとその人が笑顔になり喜んでくれたのを見て、またなんだか心が温かくなる。こうした体験を積み重ねることが、心が通い合う『あいさつ』を身につけていくためには必要なのではないでしょうか。そのためには、まずは私たち大人が子どもたちの見本となっていくことは欠かせないと思います。大人同士が気持ちよくあいさつを交し合い、そして子どもたちに対しても周りのたくさんの大人があいさつをすること。あいさつにあふれた明るい雰囲気を子どもたちに感じさせること。こうした環境の中で人との関わりも深まっていくのではないかと思っています。

人との関わりを基盤にし、子どもは「自分」を作り上げていきます。人との関わりの中でみんなを大切にすることを学び、それが自分を大切にすることにつながっていきます。そして自分を大切にするから、みんなを大切にすることができるようになるとも言えると思います。人との関わりをさらに深めてくれる『あいさつ』を大切にしていきたいですね。

あいさつについてみなさんが考えていることや心がけていることなどがあれば、連絡帳などを通していろいろ聞かせてください。

2008年7月4日

No.52 聞く力、話す力

ぱんだ組では6月の終わりから朝の集まりで、保育士が一方的に話すのではなく「友達の前で話し、そして友達の話を聞く」ことを意識した時間をもち始めました。まだ今は「今日は何を食べてきた?」といったことを話して聞く程度ですが、何故このようなことをするのか、それがどのような活動につながっていくのか、少し詳しく書いてみます。

今、全国の保育所、そして小学校や幼稚園でも「言葉の力」をどのようにつけていくかが課題となっています。これは、子どもたちがこれから特につけていかなればいけないと言われている力に「コミュニケーション能力」があり、この力が下がってきていることが背景にあります。その中で「聞く力」「話す力」が例に挙げられ、よくこれらの力が落ちてきていると言われています。

私たちも「言葉の力」を課題としていますが、例えば「聞く力」でいうと、保育士が前に立って「私の話をきちんと聞きなさい」と言い、そのように出来る力を「聞く力」だとは考えていません。必要なのはコミュニケーション能力の向上につながる「聞く力」です。ではどういう力かというと、「私の話を聞きなさい」ではなく、例えば保育士の話を聞くとしたら、聞いた後にある子が「僕はそのことはこう思うよ」と隣の子に言い、隣の子が「へー、そうなんだ 僕はこう思うんだけど」といったように、友達の考えを聞くことが出来る力です。また「話す力」は、保育士に話せるかどうかではなく、友達に自分の考えを言えることが「話す力」です。友達同士、特に年下の子に何かを伝えるとき、何とか伝えようと工夫しますし、なかなか伝わらなくてもどかしい思いをすることもあります。こうした体験が、コミュニケーション能力の向上のためにはとても大切です。

少子化が進み、子ども同士で考えを共有したりお互いに認め合うといった機会が少なくなっています。子どもたちが経験したことを、それを共有した人に伝えること。体験したことや自分の気持ちを自分なりの表現で伝え合うこと。そしてそのことを楽しむこと。これらが言語力・コミュニケーション能力の育成には大切で、3,4,5歳児には特にこれらを多く体験させるよう意識しています。ぱんだ組の今の取り組みはこういったことにつながっていき、これらの体験をより有意義なものにしてくれると考えています。

2008年6月27日

No.51 『紫色のリンゴ』の話から絵を描くことを考えてみました

「子どもがリンゴの絵を描いていて、紫色に塗ったとします。あなたはどう対応しますか?」

今日27日にO保育士が「絵」をテーマにした研修会に参加しています。数日前、研修会に参加する準備をしていたO保育士と子どもの絵についてあれこれと話していたときに、この『紫色のリンゴ』の話を思い出しました。以前、奥出雲町にある島根デザイン専門学校の校長先生とお話しする機会があり、そのときに校長先生が話された内容です。少し書いてみようと思います。

『もし紫色のリンゴを描いたとすれば「リンゴは赤でしょ?」と言うより「どうして紫色のリンゴを描いたの?」「あのね、今日朝ブルーベリージャムを食べてきたから」といった会話を楽しむ事にも大きな意味があると思いますね。絵を描くことは表現であり、表現とは思いを伝えるということ。自分の感じたことを絵で表わし伝えているわけだから、「ブルーベリージャムが美味しかったんだね」「他にはどんなものが好き?」などと話を広げることが、子どもの伝える力を豊かにしていくことにつながると思います。色は子どもの思うように使わせた方がいいと思いますよ。子どもの選んだ色を大人が変えさせることは、子どもに与える影響が大きいですから(やたらと黒ばかり…は注意が必要かも知れません)。リンゴを紫色で描くのをやめさせるなら、紫色(に見える)のリンゴが存在しないことを調べてからの方がいいでしょうね。もしかしたら腐りかけのリンゴが、ある角度から見ると一瞬紫色に見えたのかもしれませんよ。』

校長先生が言われるように、絵を描くことは「表現」活動です。筆の使い方や手先の扱い方など大切な要素はいろいろありますが、感じたことや考えたことを自分なりにどう表現するかが最も重要な点だと考えています。絵は出来の良し悪しやどんな色を使うかといったことに力点を置いてしまうと、途端に活動が難しくなります。そのためには、リンゴがどんな色や形をしているかは見たり触れたりする実体験で学んでいくこととし、とにかく「絵を描くこと」を楽しい活動にしなければいけません。子どもの表現した絵をそのまま受け止めることも大切なことかもしれませんし、一人ひとりが表現した絵から子どもの心をどう読み取り、次の表現にどうつなげていくかといったことも、大事にしたいと考えています。

2008年6月20日

No.50 ちょっと変わった『イス取りゲーム』のねらい

先週の保育参加の日に、ぞう・きりん・くま組さんは園庭で遊ぶ前に遊戯室へ移動し、じゃれつき遊びをしました(当日配った、オススメのじゃれつき遊びをまとめたプリントがあります。プリントが必要な方は職員に声をかけてください。)。今回はそのときに行ったもう1つの遊び、ちょっと変わった「イス取りゲーム」について書いてみます。

ぞう・きりん・くま組の保護者の皆さんは見られたのでわかると思いますが、一般的な「イス取りゲーム」と違うところは、①イスの上に座るのではなくイス役の子どもの上に座る ②誰が勝ち残るかを決めるのではなく、イス役と座る役を交代しながら進めていく、という2点です。全員が最後まで参加できるこのイス取りゲームを、子どもたちは時々楽しんでいます。

このルールでは、座る方も座られる方もドキドキです。あの子の上に座りたい、あの子に座ってもらいたい、でも全員が思い通りにいくはずはなく座れない子も出てくるなど、戸惑いや葛藤が生まれます。実際に子どもたちは、座るところがなくて立ち尽くしたりもします。それを乗り越えてゲームを楽しむには、子ども同士で調整したり工夫したりすることが必要になります。気のきいた子は「おいでよ!」と呼んだりしますし、みんなが「空いてる!空いてる!」と教えてくれることもありますが、そうされてうれしいけれど、うれしいから余計に行けないといった心の動きも見られます。そんな風に思い通りにいったりいかなかったりをみんなが体験し、みんながいろんなことを感じるわけですが、それらは全てが大事で、そこがこのゲームのねらいでもあります。

このゲームは、子ども同士が様々に関わりあうことがポイントです。子どもは子ども同士で関わりながら成長していきます。関わる力は大事です。でも人と関わる中には問題が起きたり葛藤が生じたりすることもあります(大人も同じですよね)。その問題や葛藤をどうやって乗り越えていくか。葛藤を感じ、それを関わりの中で乗り越えていくことの繰り返しは、例え小さなことであっても大切で、そこからしか学べないこともあると思っています。そしてそれを「遊びの中で、ゲームとして」体験し、積み重ねていくことの意味も大きいと思います。そんなわけで、この活動を定期的に行っています。

2008年6月13日

No.49 子どもが『立つ』ために必要なこと

りす組のSくんが5月から歩き始めています。子どもたちの成長はどれもうれしいことばかりですが、中でも立ち上がって歩くという成長は、誰もが特別な思い出になっていると思います。赤ちゃんは身の回りの物に興味を持ち、それを取るためにハイハイをするようになります。しかもかなりのスピードで移動できるようになります。それなのに何故、わざわざ時間がかかって大変な『立つ』『歩く』という行為を身につけようとするのか、私は疑問に思っていました。そのことについて教わったことがあるので、少し書いてみます。

これは遺伝子の働きによるもので、人間の不思議なところだそうです。遺伝子はハイハイのスピードの限界を知っているため、今はハイハイの方がより速く進めるけど、わざわざ立ち上がり、歩くという大変なことを始めようとするわけです。そして物を速く取りに行くのと同時に、危険から逃げることも必要なります。小さいうちは親に抱いて逃げてもらえるので、すぐに歩かなくてもいいのですが、体が大きくなり重くなってきて「そろそろ親は抱っこして逃げてくれないだろう」と思うと、「そろそろ立たなきゃ」と思うようになるのも遺伝子の働きだそうです。下の子が生まれることも『立つ』きっかけになるようです。本当に不思議な働きですね。(それと違って馬などは、生まれたときから親は抱っこして逃げてくれないので、すぐに立たなければいけないのです。)

でも生物にとって、立ち上がりは一番敵に襲われやすく危険の多い時期です。そのときにあえて立ち上がるのは何故かというと、「でも、いざというときには抱っこしてくれるだろう」という安心感があるからです。安心感がなければ立とうとはしません。そう考えると、大人がすべきことは抱っこすることでもなく、立ち上がることを手伝うことでもなく、『いつでも危険だったら抱っこしてもらえる』という確信を子どもに持たせることです。新しいことや次の発達の課題に対して、子どもが自分から取り組むためには何が必要かというと、『困ったらいつでも助けてくれる』という確信です。この確信を持たせる関係が信頼関係、愛着関係なんです。私たちは、Sくんが更にしっかり歩いていけるように、また全ての子どもに対しても、「困ったらいつでも助けてあげるから、興味を持ったことに挑戦してごらん」というサインを送ってあげることを大切にします。皆さんもお子さんにこのサインをしっかり送ってあげてほしいと思います。

2008年6月6日

No.48 バイキングとぱんだ組の食事の取り組み

突然ですが、6月8日は「バイキングの日」だそうです。バイキングとは北欧出身の海賊の総称で、793年のこの日にバイキングの活動が初めて記録に現われましたことから「バイキングの日」と決まったということです。だからというわけではありませんが、今回はバイキング(海賊ではなく食事の方です)に関することを書いてみます。

ぞう・きりん・くま組さんの食事はバイキング方式で行っていて、それぞれが自分で食べきれる量を伝えて当番さんに盛り付けてもらいます。この目的は、好きなものを好きなだけ盛ることではなく、自分で食べられる量を見通すというところにあります。言葉にするとこれだけのことですが、自分が食べきれる量はどのくらいかを判断することと、それを正確に当番さんに伝えることのどちらもできなければいけません。これは当然1日2日でできることではなく、毎日の積み重ねが大切です。また次の年からこの方法での食事に変わるぱんだ組(2歳児)の子どもたちが、1年間かけてどのような体験を積み重ねていくかも重要なところです。ぱんだ組の食事について、少し説明したいと思います。

ぱんだ組の1年間を通した食事の考え方は次の通りです。まず最初の段階では全員同じ量を盛り付け、そこからどのくらい食べられるかを保育者が見て、個人の食べる量を把握します。次の段階では、それぞれの子どもが食べられる量を盛り付け、自分の食べられる量を知らせていきます。そして次は、全員同じ量を盛り付けてあるところから自分の食べられる量に調整します。子どもの目の前で増やしたり減らしたりして、自分にとっての適量を時間をかけてつかんでいくわけです。そして最後の段階では伝え方(言い方)です。例えば大きい魚と小さい魚を用意し、子どもが大きい方を選んだら「大きい方だね」と言葉を添えるといったことを繰り返し、伝えるための言葉を身につけていきます。

今はまだ自分の適量をつかんでいく段階ですが、担当保育士の丁寧な観察から始まったぱんだ組の食事は、秋以降にはずいぶん変わっているだろうと勝手に予想しています。このようなことを1年間かけてじっくりとやっていくことで、くま組以降の食事の時間はさらに有意義なものになっていくと思っています。見通しを立てて、ひとつひとつ、じっくりとやっていきます。

2008年5月30日

No.47 子どもは愛される権利をもっている

「子どもの権利条約」というものがあります。1989年11月20日に国連総会において採択され、日本では1994年にこの条約を承認されたのですが、大切なものであるのにも関わらず、私はこの仕事に就くまでこの条約を知りませんでした。なぜこんなことを書いているかというと、この「子どもの権利条約」の理念に大きな影響を与えたヤヌシュ・コルチャックという人の言葉を、ある業者さんから紹介されたからです。読んでハッとさせられるものもありましたし、子どもに関わる私たちはこの言葉を読んで自分を振り返ることも必要なのではないかと感じました。「子どもの権利条約」の内容はコルチャック氏の言葉とほとんど変わらない部分が多いので、今回はコルチャック氏の言葉を紹介します。

○子どもは愛される権利をもっている。自分の子だけでなく、他人の子どもも愛しなさい。「愛」は必ずや返ってくる。
○子どもを1人の人間として尊重しなさい。子どもは「所有物」ではない。
○子どもは未来ではなく、今現在を生きている人間である。十分に遊ばせなさい。
○子どもは宝くじではない。1人ひとりが彼自身であればよい。
○子どもも過ちを犯す。それは、子どもが大人より愚かだからではなく、人間だからだ。完全な子どもなどいない。
○子どもにも秘密を持つ権利がある。大切な、自分だけの世界を。
○子どもの持ち物や、お金を大切に。大人にとってつまらぬ物でも、持ち主にとっては大切な宝。
○子どもには、自分の教育を選ぶ権利がある。よく話を聞こう。
○子どもの悲しみを尊重しなさい。たとえそれが失ったオハジキ1つであっても、また死んだ小鳥のことであっても。
○子どもは不正に抗議する権利を持っている。圧制で苦しみ、戦争で苦しむのは子どもたちだから。
○子どもが自分たちの裁判所を持ち、お互いに裁き裁かれるべきである。大人もここで裁かれよう。
○子どもは幸福になる権利を持っている。子どもの幸福無しに、大人の幸福はあり得ない。

2008年5月23日

No.46 繰り返し繰り返し、根気よく繰り返し

子どもは保育所の生活の中でも社会のルールを学んでいきます。個人差はあるにしても、1歳後半から2歳前後になってくると自分でやりたがる自発性が顕著にみられるようになり、やっていいこととやってはいけないことを繰り返しの中で生活習慣として覚えていくようになります。3歳近くになってくると何がよくて何がよくないのか、善悪の判断をその都度覚えなくてはならない場面がたくさんでてきます。

しかし皆さんもよくご存知のように、そう簡単に社会のルールを守ることが身につくわけではありません。保育所でも「どうして友達同士でうまく譲り合いができないんだろう?」「この前まではこのルールを守れていたのに何故?」という場面にたびたび出くわします。その都度職員は頭を抱えながら対応を検討しあうのですが、あっさりと答えの出る課題ではないので、悩みはどんどん深くなります。このことは子どもが育っていく過程で必ず直面する課題であるため、毎年のように、そして毎日のように、私たちは向き合っていかなければいけません。だからこそこの大事な課題に対しては、常に議論しあって丁寧にぶつかっていきたいと考えています。

心がけることは「繰り返し繰り返し」です。一度や二度子どもに話したからといって、すぐにできるようにはなりません。根気よく繰り返し、適切な行動や方法を、こうすればいいんだよ、ということを伝えていくことです。やりたいという欲求と守らなければならないルールのバランスをとれるような体験の積み重ねが大切だと思っています。

そしてもう1つ、やはり大切なのは「子どもを信じること」だと思います。今は見えない子どもの力や可能性を信じて結果を焦らずに待つことが、子どもの内面で大きな意志が膨らむことにつながっていくと思います。子どもは大人ではありません。社会のルールについてまだ考えられないからこそ、子どもです。言われたことをすぐに理解して行動に表せないからこそ、子どもです。自分のことがやっとできるようになったばかりで他人の気持ちを思ってうまく関われないからこそ、子どもです。そんな子どもたちを焦らずに待つことができているか。自分自身に問いかけながら、こんなことを書いてみました。

2008年5月16日

No.45 今と昔の違い②

先週は今と昔の家庭を比べて「子育て支援」や「一時保育」が今必要とされている背景を考えてみました。今回は、家庭と保育所の違いから考えてみます

今の家庭になくて保育所にはあるものと言えば、たくさんの子どもです。子ども同士の関係が豊かであることです。家庭や地域には子ども集団が減りましたが、保育所にはそれがあります。これがとても貴重な時代になりました。子どもの成長には子ども同士の関わりが必要です。子ども同士の体験がほとんどできていなかったために社会性を身につけていないということが、今の若者の問題になってきています。幼児期に子ども同士でけんかしたり、交渉したり、協同して遊んだりする体験が少なくなってしまいました。そんな時代だからこそ、子どもにとって保育所での体験はますます貴重になってきていると思います。

先週書いたことも踏まえて考えていくと、そもそも子育ては親と子どもだけではうまくいくものではなく、親には大家族のようなサポートが必要だったのではないでしょうか。その大家族がなくなってきた今、地域の子育て支援の仕組みが必要であり、また子どもにとっては保育所のような集団の場所が必要だと思います。あさり保育所の「子育て支援」や「一時保育」を利用された方の人数を見ても、今の時代には必要な活動だと実感しています。親が安心して子育てができ、子どもにとっても好ましい子育てになっていく、そのためのサポートをあさり保育所では続けていきます。そんなわけなので、保護者のみなさんの周りに子育て支援(わくわく広場)や一時保育事業を知らない方がおられたら、ぜひ教えてあげてください。

2008年5月9日

No.44 今と昔の違い①

以前も紹介しましたが、あさり保育所では「子育て支援事業(わくわく広場)」と「一時保育事業」を行っています。今は県内でも全国でも非常に数多く行われているこの事業ですが、昔はほとんどなかったのではないかと思います。なぜこれらの事業が現在あちこちで行われているのか、その背景を考えてみたいと思います。

まず今の家族と昔の大家族を比べてみます。わかりやすいように大家族として「サザエさん」の一家を例にしてみます。ご存じのように、サザエさん(永遠の24歳)は専業主婦で働いていません。またサザエさんの子どものタラオちゃん(タラちゃん)は、いつまでたっても就園年齢にならないので幼稚園も登場しませんが、サザエさんは専業主婦なので保育園はこれからも登場しないでしょう。そのかわり、サザエさんが子育て不安に陥り、育児ノイローゼになったり子育てに自信をなくしたりするような場面は想像できません。

そうした話と無縁に思えるのは、タラちゃんの相手をする周りの子どもや大人がたくさんいるからです。父親のフグ田マスオさん(姓は磯野ではないので、養子ではなく二世帯同居家族)をはじめ、本当はおじさんとおばさんにあたるカツオとワカメ、それから祖父の波平と祖母のフネ、それにサザエさんのいとこにあたる波野ノリスケの子どもイクラちゃんなど、世話をする大人や遊び相手がたくさんいることが大きいと思います。公園で迷子になったら三河屋のサブちゃん(酒屋)が勝手口から連れてきてくれます。こんな大家族や地域社会が、サザエさんというアニメに「子育て支援」や「一時保育」などを必要としないのです。サザエさんの子育てを支えるもの、それは大家族です。タラちゃんという一人っ子を多様な社会関係(疑似兄弟関係や地域社会)が取りまき、間接的にサザエさんの子育てサポートをしていることがわかります。

これが全てではありませんが、昔はこのように「子育て支援事業」や「一時保育事業」がなくても家庭や地域社会が親の子育て(当然子どもの育ちも)を支えてくれていました。今はどうでしょうか。ずいぶんと社会は変わってしまいました。来週は家庭と保育所の違いにも触れながら、この続きを考えたいと思います。

2008年5月2日

No.43 子どもにも癒しは必要

今回は「癒し」について書いて見ます。「癒し」という言葉はストレスなどの多い大人の言葉のように思われますが、私は子どもにとっても必要なものだと思っています。子どもにとって集団での生活は発達の上で欠かせないものですが、その半面、集団での生活にストレス(大人のそれとは少し種類は違うでしょうが)を感じることもあるのではないでしょうか。

癒しの方法はいろいろありますが、保育所内のあちこちに置かれた「観葉植物」はその1つと考えています。二酸化炭素を吸収して酸素を排出するだけでなくマイナスイオンも発生してくれているようですが、そんな難しいことよりも、色の効果・成長を見る効果を期待しています。「緑」は目を休める色で、視覚的にもリラックスできます。温かみがあって落ち着くと感じる人が多いことも調査で分かっていますし、攻撃的な気持ちも抑えてくれるようです。また、新芽が出た、丈が伸びたなどといった植物が成長していく姿は、見ていて元気付けられます。いろいろ理由を書きましたが、一番シンプルな理由は、植物が元気よく育つ環境は子どもにとっても優しい環境であるはずだから、そんな環境にしたいという思いです。

「音」や「動き」の癒しも、もう少し取り入れたいと思っています。「音」については、玄関横の窓に「ウインドチャイム」というものを吊り下げていて、風に揺られては素敵なハーモニーを奏でてくれます。「動き」については、乳児室などに吊るしてあるモビールが風に揺られてゆっくりと動いています。こうした音が出るものや動きを楽しむものは、人の力、人の息、自然の風、自然の光の動きによって動くものが癒しを与えてくれます。人の気持ちに沿ってくれる音や動きがいいようです。

ストレスを感じている子どもに対しての保育者の関わりは当然重要ですが、上に書いたような環境による癒しも大切だと考えています。長い時間保育所で過ごす子どもたちにとって、十分に子ども同士で関わりながら遊びを楽しむためにも、大人と同じように「ほっと一息つける」様な空間は必要だと思っています。

2008年4月25日

No.42 子どもが遊びに飽きる理由

以前、積み木についてこのひとりごとでも書きましたが、今でも積み木は子どもたちには人気のあるおもちゃです。いろんな部屋にいろんな種類の積み木が置いてあり、子どもたちはそれぞれがそれぞれに合った遊び方を楽しんでいます。ホームページでも、子どもたちが積み木で作った作品を紹介したりもしています。子どもたちが積み木で遊んでいるのを見るたびに、子どもの想像力や積み木の奥深さに感心させられます。

以前ある保護者から、子どもが同じ遊びしかしない場合、いつまでも同じおもちゃで遊んでいるような場合、「いろいろなことを経験させたいのだけど、今のままで大丈夫だろうか。たまには違う遊びもしてほしいのに。」という心配の声を聞いたことがあります。このことについては少し角度を変えて考えてみたいと思います。

子どもが遊びに飽きるときの大きな理由は、そのおもちゃで遊ぶときに、それが簡単すぎるときや難しすぎるときです。子どもはおもちゃで遊んでいると、次第に慣れてきて簡単になってきます。そうなるとそのおもちゃに飽きてしまいます。遊ぶ回数や時間ではありません。しかし、子どもが簡単にできるようになると、そのおもちゃがもっと難しいものも作れるようなものであれば、子どもは飽きません。つまり、子どもの習熟にあわせてそのおもちゃもそれに対応できるようであれば、長くそのおもちゃで遊ぶことができるというわけです。

その代表的な物が「積み木」だと思います。積み木は遊び方が決まっていませんし、簡単な物から、大人でもやっと作れる難しいものまで様々な物が作れます。1人の子の習熟に合わせるだけでなく、子どもの成長によっても対応できます。赤ちゃんは握ったりしゃぶったり、1歳近くになるとカチカチとぶつけて音が出るのを楽しんだり積んでは崩したり、さらに大きくなると想像を膨らませていろんなものを作ったり、人と関わって遊んだり。そうやって考えると、子どもが同じおもちゃで遊んでいるように見えても、その遊びに取り組む課題は常に変化しています。いろんなことを経験することが大切なように、1つの遊びにのめり込むことも大切にしたいと考えていますが、皆さんはどう思われるでしょうか。

2008年4月18日

No.41 絵を描いてから遊ぶか、遊んでから絵を描くか

先週の話ですが、ぞう・きりん・くま組である取り組みをしました。その内容は「今日はいろんな模様を絵の具で描きます。絵を描いてから外に遊びに行くか、それとも先に外で遊んで10時30分になったら絵を描くか。どちらかを選んでください。」(順序性の選択)というものです。子どもたちはそれぞれに考えどちらにするかを選び、12人が先に絵を描くということで活動がスタートしました。

先に絵を描くことを選んだ子は順調に絵を描きあげ、満足して外に遊びに行きました。担当保育士は「後で絵を描くことを選んだ25人は10時30分に集まってくれるだろうか」と不安もありましたが、辛抱強く待つことにしました。結果は、10時30分に10人は外での遊びを終えて絵を描き始め、その後もぽつぽつと子どもたちが絵を描きに集まってきました。

しかし、絵を描きに来ることなく片付けの時間を迎える子が8人いました。その8人の子どもたちからは絵を描きに来なかった理由を聞く時間を設けました。理由は様々ありましたが、多くは「忘れていた」というものでした。その子たちとは話し合いをした結果、後日その絵を描くということでまとまり、今週の月曜日に全ての子どもが絵を描きあげました。

この活動には、絵を描くことを一斉に強制するのではなく、先か後かを選んで自主的に取り組むということと、自分で決めたことに責任を持って取り組むという意味があります。自分で考え行動することは、それ自体がとても大きな意味のあることですが、同じくらい「忘れていてできなかった」という体験も意味があると思っています。「ああしとけばよかった」「こうしとけばうまくいった」と感じることから次の活動の工夫が生まれ、そして行動が変わっていく、できるようになっていく。このような落差というか凹(へこみ)というか、そういったものを感じる体験を重ねることは、将来困難なことがあったときに乗り越える力につながっていくはずです。子どもの成長は一直線に右肩上がりというものではありません。成長とか発達の過程で沈むところも必要なはずです。凹を次の成長の大切なステップにつなげていくことができるよう、フォローもしながら、こうした活動(形は変わっていきますが)を大切にしていきます。

2008年4月11日

No.40 私たちのスタンス

新年度がスタートして2週間がたちました。昨年度から新しい生活に向けて移行を進めていたことで、子どもたちにとって大きな変化やあわただしさは比較的少なくすんでいると思います。環境の変化は少ないですが、子どもたちの成長(変化)は、新しい生活のスタートとともに進んできています。「立って歩いたり」「おしゃべりしだしたり」といった成長だけでなく、子ども同士の関わり方の成長など、これからどんどん見られるようになると思います。この成長をいかに促すかということは、今年度も変わらず私たちの課題です。

そのために、1人ひとりの特性や1人ひとりの発達をよく見よう、子ども優先で集団を決めよう、子ども同士が自ら育とうという力を持っていることを信じよう、というのが私たちのスタンスです。そのために、子どもたちの発達を援助していくことが私たちのすべきことです。そう考えると、私たちは子どもの後ろ側にいて、後ろから見守っている(見て守っている)と言えるかもしれません。

「後ろから見ているだけ」とは違います。後ろから見ているだけで子どもは先に行ってどんどんいろんなことをして成長していくかと言えば、そうではありません。小さい子ほど先に歩くけど、定期的に後ろを振り向きます。大人はついてきていてくれるだろうか、私たちを見てくれているだろうかということを確かめます。そのときには必ず答えなければいけません。「大丈夫、見ているから」「ここにいるよ」「いつでも困ったらすぐに行ってあげるよ」というサインを送らないと、子どもは先に歩いていきません。

不安になるとしがみついてきて抱っこを求めることもありますが、抱っこをしてもらい見てくれていると確信ができたら、また自分で歩いていきます。このように子どもがサインを送ってきたときに、すかさずそのサインに答えてあげることが『後ろから見て守る(子どもをよく見て必要な援助をする)』姿勢だと思っています。子どものサインを的確に感じ取れているか。子どものサインに答える方法は適切か。今は手を出すべきか、そのままにしておくべきか。そうした検証の繰り返しはどこまでも続きます。

2008年4月4日

No.39 新年度スタート

4月1日に新しく4名の園児を迎え、65名で新年度がスタートしました。5月以降には8名加わり、73名になる予定です。今年度も子どもたちは大きな集団の中で、有意義な体験を重ねていってくれると思います。

昨日保護者会の総会の後クラスごとに分かれてもらい、今年度の保育の説明をさせてもらいました。そのときに配布したプリントには、各クラスではどのような考えでどのような活動をしていくかを書かせてもらっています。その中で、うさぎ組・りす組のプリントにはこんなことを書いています。

『1歳児クラスの特徴として、だんだん自己主張が強くなってきますので、友だちと関わる場面のトラブルが増えていくということがあります。どういう自己表現なら認められるのかという適応行動をまだ身につけていませんから、生の欲求が阻止されるものなら、すぐさま、かみつき、ひっかきなどの即時的な行動になってしまいます。この行動に対して基本的には、欲求を把握し、それを満たしながら、「即時的な自己表現」を「認められる適応行動」に代替させていくプロセスを工夫していくしかありません。かみつき、ひっかきなどの行動は、友だちとの関係性のなかで育てるべき欲求コントロールの発達課題ですから、集団の機能をもっている保育所ならではの、また、保護者とともに「育ち」の課題を共有できる保育所の大切な役割だと思います。』

子どもが育っていく中で(発達の過程で)このようなことはたくさんあります。自分以外の人の気持ちを考えることが出来るようになってくると、今度は自分の思いと他人の思いが自分の中でひしめき合い、葛藤となり、友達とのトラブルにもなってしまうこともよくあることです。かみつきやひっかき、友だちとのトラブルなど、何とかしたいと職員全員がいつも考えています。だからこそ、「これも発達の過程で通り過ぎていくもの」ということを押さえつつ「子ども同士がもっと上手に関わるためにはどうすれば?」を、保護者の皆さんと共に考えながら、子どもたちと真剣に向き合っていきたいと思います。

2008年3月28日

No.38 19年度の終わりに

あと数日で今年度が終わります。先週無事卒園式を終えたぞう組さんも、本当に"卒園"になります。卒園式後のぞう組さん(31日までは在籍しています)は、卒園式の意味を深めるためにも、次の日からは夢いっぱいの「ゆめ組さん」という新しいクラスとして生活してもらうのもいいかもしれない、などと考えたりしています。そして、もうすっかり「移行」になれた進級の子どもたちは、晴れて1つ上のクラスに属します。そんな変化も移行期保育のおかげで、子どもたちにとってワクワク感はあっても、穏やかな変化くらいにしか感じないかもしれません。4月1日からも、今までと変わらずしっかり遊びこんでほしいと思います。

今日配布したおたよりで、皆さんが楽しみに(緊張?)していた4月からの職員体制の発表をしています。重複してしまいますが、ここでも紹介します。

20年度はこの体制で、あさり保育所が「チームとしていかに資質をあげていくか」ということに挑みます。もうすでに、保育者1人ひとりの気質の中に、自分の担当の枠を越えて全体を見渡しながら、お互いアドバイスを受けたり与えたりする風土が醸成されていると実感しています。昨年までの保育の再点検をしながら、この課題に取り組んでいきます。

そして子どもたちに対しては、今までと変わらず一人ひとりの発達段階をしっかり捉え必要な援助をする「見て、守ること」を、丁寧に行っていきます。一人ひとりの個性を認め、一人ひとりの存在があるからこその協働のうれしさを感じられる、そんな保育所生活にしていきたいと思います。来年度もよろしくお願いします。

2008年3月14日

No.36 自分の力でしっかりと歩いていけるように

先日ある方から子どもの成長に関する本を貸していただきました。そこに「子どもが育つということはこういうことだ」という、単純で当たり前だけど、とても大切なことが書かれているように感じたので、書いてみようと思います。

「人間は2足歩行の動物ですが、立って歩くようになるためには、その前にいろいろな準備が必要です。まず、首がしっかりすわらなければなりません。首がすわるということは、頭がぐらぐらゆれたりしないで、背骨の上にしっかりのることです。すると寝がえりができるようになり、おすわりができるようになります。お母さんにうつぶせにしてもらったり、自分の力で寝がえりをして、やがてはいはいをして、ほしいものを取りにいったりします。それからやっとささえてもらって立ったり、つかまり立ちをするようになります。」

「立って歩く」ということに向かって、子どもはこんなに多くの「準備」を積み重ねていきます。子どもが育つ、何かができるようになるのは、どこまでいっても「段階を踏んでひとつひとつ」です。全てのことが次に進むための「準備」であり、無意味なことは何ひとつありません。全ての瞬間が、子どもにとって大切な意味を持っています。

私たちは子どもたちの"今"に向き合いながら、同時に子どもたちが社会に出たときのことを考えます。子どもたちが社会に出たときに「自分の力で立ってしっかりと歩いていける」ように、ひとつひとつ確実に段階を踏んで育っていけるようにと常に考えています。今だけを見て無理をさせたりあれもこれも早期に成果を求めたりせず、将来の見通しをもって、発達に応じたふさわしいタイミングで、真剣に子どもたちと向き合っていきたいと思っています。

卒園式や修了式を控え、今年度を振り返ってみることが多くなりました。この1年、子どもたちの姿をどれだけまっすぐに見ることができたか、子どもたちの存在をどれだけ信じることができたか。このひとりごとを書きながら、そんなことばかり考えてしまいます。

2008年3月7日

No.35 3月になりました

3月になりました。早いもので、もう年度末です。今年になってから始まった新しいクラスに向けた生活(本当にゆるやかな移行)も終盤に差しかかり、子どもたちもずいぶん今の生活に慣れてきたように感じます。職員も、試行錯誤の連続ではありますが、少しずつこの移行の保育の手順を進化させてきています。残り1ヶ月、検証を重ねながら丁寧に移行を進めていこうと思っています。

2月の終わりに園舎内の模様替えを行いました。子育て支援の部屋を遊戯室に移動し、空いた部屋を3,4,5歳児(今は2歳児も一緒に生活しています)の保育室に変えました。それに伴い「積み木コーナー」「不思議コーナー」「ゲームコーナー」を移動し、「製作コーナー」「絵本コーナー」を広げました。今までは年度が変わる3月末頃に一斉に模様替えを行っていましたが、今年度はその時期にはほとんど変えない予定でいます。新年度になって集団が変わり生活環境まで変わることは子どもの不安が大きくなると考えるからです。4月になって新しい集団での生活が落ち着いてきた頃、その集団の形が見えてきた頃から、子どもたちに合わせて変化を検討していこうと考えています。

また、0,1歳児の保育室も模様替えの計画が出来上がり、少しずつ部屋の様子が変わってきています。3,4,5歳児の保育室に比べるとそんなに大きな変化ではありませんが、子どもたちにとっては意味のある変化になっているという実感があります。変わることで落ち着きがなくなるのではなく、逆に遊びなどに集中できている姿を見ることができるからです。子どもたちの成長があるのはもちろんですが、ここにたどり着くまでの職員の丁寧な観察・検証はしっかりと生かされています。

家具類や生活環境だけでなく、遊び・食事・生活の中でのルール・子ども同士の関わり方・保育者と子どもの関わり方などについても、連日のように振り返りが行われ課題があがってきています。まだまだ課題が多いのが現状ですが、頭を悩ませながらも課題解決には前向きに、意欲的に取り組んでいこうと思います。

2008年2月29日

No.34 やりがいのある課題をいただきました

今週の水曜日に今年度最後の役員会が行われました。毎年感じることですが、あさり保育所の様々な活動をいろんな角度から支えてもらっていることをありがたく思っています。最後の役員会でも多くの貴重な意見を出してもらったわけですが、その中で特に印象深かった意見がありました。ある役員さんの「参観日などで保育所に行っても、保護者の名前や子どもたちの名前が分からない。できれば分かるようにして欲しい。」というものです。

子どもたちが豊かに成長していくためには、子ども同士の関わりはもちろんですが、いろんな立場の多くの大人が愛情をもって関わることも大切だと考えます。家族の人、友だちのお父さんやお母さん、地域の人など、いろんな人と関わったり見守られたりしながら社会の仕組みを学んでいくという面があると思います。今回の役員さんの意見もこうした考えからのものだろうと受け止めました。そんな風に考えると、保育所として保護者同士、保護者と子どもの関係作り、更に広げて地域と子どもの関係作りのための取り組みがまだまだ足りないことを反省しています。

少し話は変わりますが、3年前に個人情報保護法が施行されたとき、当初は保育所としてもずいぶんその対応に悩みました。特に法律で定めなくてもプライバシーを守ることは基本的に大事なことです。しかし、保育所や子どもたちがたくさんの保護者や地域の人に支えられている現状を考えると、どうしてもこの法律はなじまないという思いがあります。もっと広く考えて、もしも世の中がこの法律をゲンカクに守らなければいけないとすれば、現代人の心(思いやりややさしさ)は、一体全体どうなっていくのか、不安が湧き上がったのを思い出します。

今の社会で最も求められているのは"支えあい"や"守りあい"の精神、そうした関わりだと思っています。個人を尊重しながら、その精神や関わりが大切にされるような豊かな関係性を作っていくことを、あさり保育所の課題として試行錯誤していかなければと思います。今年度最後の役員会で、とても大きな、そしてやりがいのある課題をいただきました。

2008年2月22日

No.33 保育参観が終わりました

先週から始まった保育参観も昨日で終わりました。今回は個人面談の時間を設けさせてもらいましたが、日程の都合もあり十分な時間は確保できませんでした。その点が来年度の課題ではありますが、その状況の中でも意義の深い話が行われたのでは、と思っています。

面談ではいろんな話が出たようで、その中の1つに「子どもたちの乱暴な言動」についての話がありました。これは私たちにとっても大きな課題です(以前も書きました)。あさり保育所の子どもたちは「子ども集団が自分たちでやりきる力を持っているすごさ」があり、ずいぶん自主自立した子ども集団になってきていると思いますが、ではなぜ乱暴な言動が制御できないのか(もちろん制御できる子どももたくさんいます)、私たちも戸惑うことがあります。

以前このことについて、「子どもにビシッと言って、しっかり叱責しないとだめ!という世間一般に存在する育児観では、一時的に見かけの落ちつきは獲得できても、決して『育ち』に至らないことだけは確か」ということを書きました。私が思うのは、大人が子どもに厳しく叱っても、寛大に接しても、それ自体は本質的な解決(子どもが自分で『学び』自分で『育つ』こと)の決め手にならないということです。ただ、そうだとしても私たち大人は、どちらの選択であっても子どもをしっかり見つめて本気(愛情表現)で真剣に関わることが大切だと思っています。乱暴な言動の1つひとつに対して子どもとしっかり向き合うことは、自分自身と向き合うことでもあります。もしかすれば、その過程で対応の中身が変わるかもしれません。大人の態度が変化する姿も、それもまた子どもが自分自身を鍛えるためのエネルギー源になる、と思います。

今保育所ではうれしいことに、乱暴な言動を子ども同士で制御するやりとりが、年長児を中心に少しずつではありますが見られるようになってきています。こうしたやりとりが子どもたちの中で受け継がれ、それがあさり保育所の風土となってくれればと期待しています。この風土がもっと広く深く根付くよう、私たちの本気を根気強く、子どもの心の根っこの部分に伝えていきたいと思います。

2008年2月15日

No.32 話し合いの中身に感心

水曜日(13日)、K保育士がキラキラした表情で前日の子どもたちの姿を報告してくれました。心に残った内容だったのでここで書いてみます。

火曜日の夕方の自由遊びの時間のことです。これから遊びに取り入れていく「買い物ごっこ」の導入編として、まずは果物屋さんでの買い物ごっこをしてみることになりました。K保育士は果物、F保育士はお金を作り、子どもたちはどのような順番で買い物をするか、話し合いを始めました。

感心したのはここからです。まず「ぱんだ組さんから行けばいいんじゃない?」という意見が出ました。これは"小さい子への思いやり・配慮"です。しかしここでぞう組さんが、「いつも自分たちは最後だから、たまには最初に行きたい!」という意見。これはぞう組さんにしてみれば、"正当な自己主張"です。内容から考えて、この2つの意見のどちらかで決まってもおかしくないのですが、これを聞いていたきりん組のMちゃんが「じゃあ3人グループを作ったら?」と提案しました。

Mちゃんの提案はおそらく「組はバラバラの3人グループ」という意味だと思われたので、K保育士が「組がバラバラの3人グループを作るにはどうしたらいい?」と投げかける(ヒントを示す)と、子どもたちは「それでいこう!」と納得した様子で、自分たちだけで「あーでもない、こーでもない」と悩みながらも手際よくグループ分けをしました。その後はとてもスムーズで、十分に買い物ごっこを楽しんだようです。

私は今回の話し合いは質が高いと思っています。"小さい子への配慮の意見"と"ぞう組さんの正当な自己主張"といったそれぞれの立場を受け止め、その上でみんなを納得させる"第三の意見"が子どもたちから出てくるところは、子どもたちに話し合う力がついてきていることを感じます。人と関わりながら生きていくことの基礎は、こうした有意義な話し合いを重ねていくことでも育っていくと考えます。このような子どもたちの関わりを、今後も支えていきたいと思った内容でした。

2008年2月8日

No.31 保育参観と個人面談が始まります

来週から「保育参観と個人面談」が始まります。この個人面談の目的については園便りに書きましたが、何だか難しく書いてしまった気がするので、もう一度その目的を書いてみます(余計分かりにくくなったらすみません)。

私たちは、子ども1人ひとりが確実に一歩ずつ成長していってほしいと願っています。少しでも早く!なんてことは望みません。一歩ずつが大事だと思っています。例えば食事などは、飲ませてもらう授乳から、手づかみ・スプーンやフォークの時期を経て、一人で食べられるようになっていきます。こうした発達のプロセスはほとんどの場合同じです。どこかを飛ばして先に進むことはできません。段階を踏むこと、段階の一つひとつをきちんと経験することを大切にしています。

そのために、1つ何かができるようになれば次の段階に移っていけるように導いてあげることも必要になりますが、発達の早い遅いは子どもによって様々です。「2歳になったら全員○○ができるようになる」ということは決してありません。だから子ども1人ひとりの段階を把握し(見る)、必要な援助をする(守る)ことが大切です。花の種などは「いつ蒔きなさい」「水はいつあげなさい」「いつ咲きますよ」と袋に書いてありますが、人間は生まれたときにはそんなことは何一つ書いてありません。オギャーと生まれた赤ちゃんの足の裏とかに「いつ○○をしてあげなさい」「いつ○○ができるようになります」とは書いてありません。だからこそ、1人ひとりがどのような成長段階にあるか、どんな個性を持っているかを丁寧に見ることが大切だと思っています。

子ども1人ひとりが持っている個性を知ることは、それを認めることにつながっていきます。そのためには、子どもの理解と予測がなければいけません。それが親としての愛情であり、私たち保育者としての専門性であると思っています。子どもがもっている力を引き出すために、まず、今こんなことができるようになったといった「子どもの今」を皆さんと一緒に確認したい、そんなことを個人面談の目的としています。面談の時間は充分にはとれないと思いますが、子どもたちのこれからのために、少しでも有意義な時間になればと思っています。

2008年2月1日

No.30 子どもの持っている力を引き出すということ

先週の話ですが、ぞう組さんと浜田でスケートをしてきました。スケートは初めての子が多く、みんな滑ることができるだろうかと正直心配でしたが、指導にあたってくれた人の話を聞き、そうした心配はなくなりました。

その指導者は次のようなことを言われました。「私は子どもたちに滑り方は教えません。子どもたちが持っている力を引き出すためにヒントを与えるだけです」「最初にスケート靴に慣れるために、スケート靴を履いた状態でしっかり歩きます。その後、転び方と起き上がり方の見本を示して、それを実際にやって体に覚えさせます。」「後はちょっとのことでもできるようになったことをしっかりほめてあげれば、それが自信になり挑戦する意欲につながり、そうしているうちに子どもたちは滑ることができるようになります。」子どもの持っている力を引き出すだけというこの指導法で、1時間後には子どもたちは全員氷の上に立ち、滑ることができるようになっていました。

素晴らしい力を持っていて、その力を見事に発揮した子どもたちの姿を見ていて感動しました。そしてこの指導法にも非常に共感できました。まず子どもたちが持っている力を信じること。これがなければ"引き出す"という考え方にはなりません。この指導者の考えを聞いたとき、「教育」という言葉の語源を思い出しました。教育=educationの語源は、ラテン語のeducoからきているといわれています。このeducoという語には、「育てる」という意味と同時に「引き出す」と言う意味も含まれています。つまり教育とは、「人間に本来備わっている能力や性質を、外部からの作用によって引き出し育て上げる」ということになるわけです。この指導者の関わりは、まさに教育だと思いました。

「何もできない、何も知らないのが子どもなのだと思うのではなく、子どもは自ら育とうとする力をたくさん秘めている存在だと考え、子どもを信じてあげること。そして、その持っている力を引き出すために、ちょっと手伝ってあげればいい。」子どもに対しての関わり方について共感できることが多くあった1日だったので、書かせてもらいました。

2008年1月25日

No.29 "見て""守る"ということ

突然ですが、子どもたちに対しての私たちの願いは「子どもたちが親から自立できるようになってほしい」「子どもたちがいろんなことを自分でできるようになってほしい」ということです(皆さんも同じ思いですよね)。ですから、そのためにはどうしたらいいかということが、保育を行う上でいつも議論の中心になります。子どもたちが自主的に行動できるような関わり方や環境を模索し続けるのも、子どもたちが自分でいろんなことができるようになるために、子どもたちの力を引き出したいと考えるからです。

子どもたちが自分でいろんなことができるようになって自立していくためには、大人の関わりや援助が必要です。ただ、この援助の考え方が難しいところだと思っています。援助は子ども一人ひとりの発達に合わせたものでなければいけないし、自分でできるようになることにつながっていかなければいけないからです。子どもの発達段階によっては、何もしないことがその子にとって必要な援助でもあるからです。

例えばトイレの後にズボンをはくという行為に関しての援助。まずはその子がどこまでできるかをきちんと把握しておくことがスタートです。自分からはまだ無理であれば、当然はかせてあげなければいけません。足を突っ込めないのであれば、大人が足を突っ込んであげて、その後のズボンを上げることだけは子どもにさせます。自分で足を入れられる子だったら、トイレから出てきたらすぐはけるようにズボンを広げて置いておきます。たたんだものを広げることからできるのであれば、たたんだままにしておきます。引き出しから出せるのなら、引き出しからも出さないようにしておきます。このように、援助といっても、子どものできることによって一人ずつ違います。

例の中の「どこまでできるかを把握する」ことが『見る』ということ、そして「どこまでできるかに合わせて必要な援助を行う」ことが『守る』ということです。この『見る』と『守る』を合わせた『見守る』ということを、子どもの自立のために、私たちの保育の軸としてもっと強いものにしていきたいと思っています。

2008年1月18日

No.28 できるだけゆるやかに移行

少しずつではありますが、保育所では来年度への移行が始まっています。今回はこの移行について書いてみようと思います。子どもの発達は言うまでもなく連続性の中にあります。しかし一般的には制度上、4月1日には年齢別のクラスを設けて一気に進級が行われます。月齢差があるのにも関わらず一気に進級です(ちょっと無理があると思いませんか?)。さらにこの4月には進級と同時に新入児も加わります。このため4月はバタバタが更にバタバタになってしまいます。

そのようなことから、4月を迎える前に次年度に向けて移行を行っているわけですが、まずはぱんだ組(2歳児)の話です。2歳児クラスから3歳児クラスに変わる時は大きな変化があります。子どもたちに対しての保育士の人数も変わりますし、4歳・5歳と一緒の空間で生活をするようにもなります。そのために必要になる基本的生活習慣や社会性の基礎をしっかりと身につけることを、ぱんだ組では特に意識して保育を行ってきました。そしてこの頃から少しずつ3~5歳の活動スペースへ遊びに行って過ごしたり、食事も3~5歳のランチルームで食べたり、お昼寝も遊戯室で眠れるようにしたりします。このように少しずつ移行していき4月を迎えます。

そして、ぱんだ組の生活が3~5歳の空間に移ってくると、今度はぱんだ組の部屋がぞう組(5歳児)の主な活動スペースになります。「小学校への移行」という課題をもったぞう組は、その課題に向けた活動にも取り組み始めます。といっても小学校の勉強を先取りするわけではありません。あくまでも、小学校での生活や勉強に対してスムーズに取り組むための実体験(遊び)が中心です。

簡単にしか説明できませんでしたが、新年度に向けて、他の年齢の子どもたちも同様に移行が行われていきます。年度が替わることに対してこのように対応するのも、子ども1人ひとりの成長・発達に丁寧に対応するためです。そのように、できる限りゆるやかに移行して4月を迎えることが、子どもたちにとっても、保育者にとっても、また、保護者のみなさんにとっても望ましいことだと考えています。

2008年1月11日

No.27 公開保育を行います

2008年最初の「園長のひとりごと」です。昨年は世の中でいろんな問題が起きました。おそらくそれは今年も続くと思われます。そして保育所を取り巻く状況にも大きな揺れがやってくる兆しがあります。その揺れが、将来の日本を支える子どものことを真剣に考える方向に進んでいくきっかけになればいいのですが、私の予想では???です。危機感をたっぷり感じています。

そんな状況でも、私たちのすべきことは変わりません。どこまでいっても「子どもを真ん中において」議論をし、実践し、検証することを繰り返していくことしかありません。そして今回その繰り返しの中に、公開保育という形で外部の方に保育を見ていただくことを取り入れます。来週の金曜日(18日)に行います。

今回の公開保育には県内県外合わせて20数名の保育関係者が来られる予定で、午前中の保育を見ていただきます。その方たちに隅から隅まで観察してもらうことは、私たちにたくさんの気づきを与えてくれるはずです。というよりも、私たちとは違う目での観察を、その後の実践や検証をより深いものにしていくという前向きな気持ちで臨むのが正解だと思っています。全ては「子どもたちの育ちを保障する」ため、そのために自分たちの保育はどうあるべきかを考えるため。手前味噌で申し訳ないのですが、あさり保育所の職員は保育者として問題意識や課題意識をしっかりと持ってくれていると思います。有意義な日になるはずです。

また当然ですが、子どもたちの姿をしっかり見ていただきます。春から確実に成長してきている子どもたちは、当日たくさんのお客さんの視線の中でどのような姿を見せてくれるでしょうか。とても楽しみです。もしかすると、私たちの前では見せないような姿を見せる子もいるかもしれません。いつもと変わらないかもしれません。どちらであっても、子どもたちにとっても十分に意味のある日になると思っています。