2010年12月24日

No.174 2010年の終わりに

このひとりごとでは保育を行っていく上で大切にしている思いを書き続けています。その内容をぼんやりと振り返ってみたのですが、子どもたちを中心に考えよう、子どもたちに何が必要かを考えようという根本の思いは変わっていませんが、今は何を重視しようといった優先順位や細かな取り組みは少しずつ変化してきていることを感じます。変化の理由には私たちがまだまだ発展途上の段階だということもありますが、それ以外にも理由があります。今の時代は、短期間でも社会や価値観が大きく変化します。当然それに合わせて家庭環境や地域環境といった、子どもにとって大きな意味をもつ部分も変化していきます。でも、子どもの発達に必要なことには変化はありません。変わらない子どもの発達を保障するためには、その周りが変化すれば保育も変化していかなければいけないと思うからです。

例えば、家庭や地域での子ども集団はどんどん少なくなってきています。でも、子どもの発達には子ども同士の様々な関わりが必要です。ですから保育所では、子ども同士の関わりを生み出す場をどう作るかを常に考え工夫しています。また、地域の大人との日常的な関わりや、社会を構成している様々な職業に触れることが少なくなってきています。でも、子どもが社会を学んでいくためにはそうした体験は重要です。ですから地域に出かけて様々な人や職業に触れる体験を増やすように意識しています。いつの時代も変わらない“子どもの育ち”を支えるために今私たちがすべきことは何なのかということについて、これからも厳しく考え続けていかなければいけないと思っています。

子どもの育ちということで、来年あらためて詳細はお知らせしますが、成長展のPRを少しだけ。3月5日(土)に予定している「成長展」ですが、これは1年間で子どもがどんな風に成長してきたかを親子で楽しみながら見ていただくものです。例えば1年間でどれだけ大きくなったか、全員同じテーマで描いた絵の中でわが子のものはどれか、1年でどのように変化していった絵がわが子のものか、そんなクイズを親子で楽しんでいただこうと準備を進めています。まあこんな説明では想像がつかないと思いますが、楽しみにしていてください。

子どもの成長を守っていくことと、子どもの成長を保護者のみなさんと一緒になって喜ぶことは、私たちの変わることのない思いです。これからも、どちらの思いも大切にしていきます。来年もよろしくお願いします。

2010年12月17日

No.173 たき火 はじめました

10月のことになりますが、保護者のOさんに協力をしてもらい、薪にするための木をたくさん用意しました。かなり太い木もあったので子どもたちの前で薪割りもして、かなりの量の薪が用意できました。その薪は、枕木のベンチのある場所で、たき火として大活躍しています。雨の日や風の強い日はできないので、頻繁にというわけにはいかないのが現状ですが、できるだけ子どもたちがたき火を楽しむ機会を多くつくりたいと思っています。

寒い時期になってくると、どうしても園舎内で遊ぶ子が増えてきます。外で遊んでいた子も途中で中に入ってくる、ということも増えてきます。それは仕方のないことではありますが、やはり寒さも十分に感じてもらいたいと思います。園便りにも書きましたが、寒さに強い身体を作ってくれるのは寒さです。暑い・寒いといった自然の中に身を置いてこそ身につくものがあって、しかもそれを子ども時代に体験しておくことが重要だと考えているからです。だからといって、無理やり外に追い出すようなことはしません。自分から「外で遊びたい」と思うことがまずは大事なので、そのための仕掛け(園庭環境の充実)をあれこれと行っているというわけです。たき火もその仕掛けの1つです。

子どもたちは様々なものに強い関心を持つ時期です。 だからこそこの時期に、火を扱う上での注意点や、暖かさ・素晴らしさといったことも丁寧に伝えていきたいと思っています。また、ちょっと寒くなった子がたき火にあたりに来て、暖まったらまた遊びに戻っていく、そんな場にもなればと思っています。そしてたき火といえば何といっても“焼き芋”。焼き芋は何度も作りましたし、畑でとれたブロッコリーをすぐにゆでて食べる、ということもやってみました。たき火があることで活動の幅がずいぶん広がることを発見したところです。

というわけで、もっとたき火をしていきたいのですが、 園庭に吹く海からの強い風のせいであきらめることがたびたびあります。「木をたくさん植えることで風を少しはおさえることができる」と教わったので、高さを利用し遊びを立体的に展開できるメリットも考え、いろんな木をあちこちに植えることを検討中です。そんな感じで園庭の仕掛け作りはまだまだ続いていきます。 今、お集まりではたき火の歌が歌われています。歌に描かれている風景と、自分の体験を重ねることができるのも、実は大切なことなんですよね。

2010年12月3日

No.171 お花は赤い

ちっちゃな坊やが初めて学校へ行った。
坊やは一枚の紙とクレヨンをもらった。
坊やはどんどん色を塗った。
だっていろんな色がとてもきれいだったから。
でも先生は言いました「キミキミ、そこで何をしているの」
「ちっちゃな花の絵を描いているんです、先生」
先生は言いました。
「花は赤くて空は青い。
そのことを考えておかなくっちゃ。
あなたはここでたった一人じゃないのよ。
みんながあなたのようにしたら、
どういうことになるかしら。
だからあなたに言います。
お花は赤いのよ、坊や。
葉っぱは緑。
他の色に見えても意味がないわ。
だから、どうしてほかの色にしてしまうの。」
それでも坊やは言いました。
「でもね先生、こんなにたくさんの色の花があるんだよ。
こんなにたくさんの色の葉っぱも、ほらいっぱい。
あまりにもたくさんで名前がつけられないくらい。
僕にはそれがみんな見えるのにな。」
でも先生は言いました。
「キミはあまのじゃくな子ね。
私が言うのを繰り返しなさい。
お花は赤よ、葉っぱは緑。
ほかの色に見えても何の意味もないの。
だからどうしてほかの事を考えたりするの?」
(この後廊下に立たされることになった坊やは、
怖くなったため先生に謝って教室に入り、
花は赤、葉っぱは緑に塗りました。
でもつまらなくてつまらなくて仕方がなかったのです。)
そうして2年生になりました。
すると先生は前と変わりました。
彼女は新しくていい先生。
そうして彼女は優しく言いました。
「あなたの好きに絵を描きなさい。
紙もクレヨンもいくらでも使って好きなだけお絵描きしなさい。」と。
でも坊やは花は赤、葉っぱは緑で描いて、
一列に並べて。
そして先生が「どうして」と尋ねると、
坊やはまたクレヨンを取ってこういいました。
「お花は赤で葉っぱは緑。
他の色にする意味はまるでありません。
どうして他のことをする意味があるというのでしょう・・・。」

この文章は、オランダの「お花は赤い」という歌の歌詞です。子ども一人ひとりの個性を認めず、一斉に画一的に一つの価値観を子どもたちに押しつけることの怖さを、この文章を読んだときに強く感じました。「たった一つの存在であることを無視する」「人権を蔑ろにする」という行為があるとしたら、そのことに対して、私たち大人は厳しい態度をとらなければいけないと思っています。この歌を紹介しようと思ったのは、発表会での役員さんの出し物で描かれた「いろんな色で描かれた子どもの笑顔」を見ていて、ふとこの歌が頭に浮かんできたからです。「一人ひとりがかけがえのない存在」であることを決して忘れてはいけないと、再確認させてもらえた発表会でもありました。

2010年11月26日

No.170 いきいき発表会が終了、そしていよいよ発表会

昨日、いきいき発表会(地域の方に向けた発表会)を行いました。今までは予行練習として行っていたのですが、当日は保護者の皆さんで会場はいっぱいになり地域の方にゆっくり見てもらうことが難しいということもあって、こういう形で行うことにしたわけです。アピール不足ではあったのですが、地域の方、同じ法人のグループホームの方、園児のひいおじいさんやひいおばあさんなども来てくださり、合わせて20名くらいのお客さんだったと思います。そのお客さんたちの前で、子どもたちは様々な姿を見せてくれました。詳細については土曜日のお楽しみということで書くのは控えておきますが、感じたことを少しだけ書かせてもらいます。

体調が悪く欠席をした子がいました。その子と一緒にある役をすることになっていた子は、急遽一人でしなければいけなくなったことで不安を感じたりして、十分に力を出せないといったことが起こっても仕方がない状況でした。でもその子は「一人でも大丈夫。」と言って、見事にやり切りました。これは簡単なことのように見えて、実はすごいことだと思っています。一人ひとりが自らやろうという気持ちを持って、しかも楽しんで取り組んでいなければできないことだろうと思います。そして、みんなで作り上げようという子ども同士の人間関係もずいぶん育ってきているように感じます。発表会の取り組みが子どもたちにとって有意義なものになっていることが想像できます。でも、もちろん、全員が当日それぞれの場面で元気な姿をみせてくれるのが一番ではありますが。

そして、昨日もそうでしたが、いつもと違う雰囲気、多くの方に見られていることで、普段の様子を見てもらうことができない子もいるかもしれません。保護者のみなさんも私たちも、思う存分持っているものを発揮してほしいという思いは一緒だと思います。でも、十分に発揮できなかった子がそこで感じる気持ちも、その子自身の大事な感情です。「うまくできた」「楽しかった」という感情も大事ですが、「恥ずかしかった」「思ったようにできなくて残念だった」といった気持ちも間違いなくその子の感情で、自分を作り上げていくためには欠かせない大事なものだと考えます。発表会は、子どもの表現の成長を見てもらう場であると同時に、子どもの様々な感情を親と共有する場でもあると思っています。明日は子どもたちの姿をしっかりと見ていただき、そのとき子どもたちが感じたものを一緒に大切にしてもらいたい、そんな思いでいます。

2010年11月19日

No.169 社会を共に見る

最近、「おんぶ」という行為が子どもにとって大きな意味がある、という話を何度も聞く機会がありました。この「おんぶ」は、実は日本の特徴的な行動だったようで、江戸時代に日本にやってきたアメリカやヨーロッパの知識人は、おんぶする母親や父親、年長の兄弟を見て、おんぶの優れた効用に気づいて感激し、高く評価しています。スキンシップという面は当然ありますが、それ以外の効用について次のように記録を残しています。「日本の赤ん坊はおんぶされながら、あらゆる事柄を目にし、ともにし、農作業、凧あげ、買い物、料理、井戸端会議、洗濯など、身の回りで起こるあらゆることに参加する。彼らが4つか5つまで成長するや否や、歓びと混じりあった格別の重々しさと世間知を身につけるのは、たぶんそのせいなのだ。」

おんぶと抱っこの大きな違いに、両手が自由に使えるかどうかということがあります。そのため、抱っこをしている人はできることが制限されてしまいますが、おんぶだと制限はあまりありません。ですからおんぶされた子は、おんぶしている人と同じ視点でいろんな社会を見たり触れたりすることができるというわけです。このように子どもたちが他の人がするのを見ることは、社会性の発達の中で重要な役割をしていたのではないかということが、最近発達心理学の中で重要視されてきているそうです。ちなみにこの行動を「共同注視」と言うそうですが、おんぶにそのような効果があったのであろうという江戸時代の外国人からの指摘は、とても面白いと思います。

最近は、赤ちゃんをおんぶしながら何かをするということはずいぶん減ってきているようですが、社会に触れる大事な機会と考えると、見直してみる価値はあると思います。そして、おんぶをされながら日常生活を共に見ること以外にも、社会は様々な人や役割によって成り立っていることを見る機会を多く持つことも重要なことで、見直す必要があると思っています。例えば私が子どもの頃は、畳屋さんが畳を替えに来たり、大工さんが修理をしに来たりと、家にいながらにして様々な職業の人を見ることができていました。こうしたことが今はずいぶん減ってしまったように思います。子どもたちが社会に出たときに、それぞれの持つ役割を発揮することで社会に貢献していけるようになるためにも、「わかる」「できる」は別として、私たちが見ている社会を共に見る機会をどう用意していくかということについて、もっと考えていこうと思っています。

2010年11月12日

No.168 証城寺のたぬきばやしから考えること

「証 証 証城寺 証城寺の庭は つ つ 月夜だ みんな出て 来い来い来い おいらの友だちゃ ぽんぽこ ぽんの ぽん ・・・」
これは、みなさんもよくご存じの『証城寺のたぬきばやし』です。この歌は、次の話がもとになって作られています。

「ある秋の晩の事、何者かが寺の庭で大騒ぎしている。寝ていた和尚は目を覚まし外の様子に耳を凝らしてみると、それはお囃子のようであった。不思議に思いこっそり庭を覗くと庭の真ん中では大狸が腹を叩いてポンポコと調子を取り、それを囲むように何十匹もの狸が楽しそうに唄い踊っていた。その様子を見ていた和尚もつい楽しくなってしまい、自慢の三味線を持って思わず庭に出てしまう。そんな和尚を見て狸たちは「まだ驚かないのか!?」とばかりに、さらに大きく腹鼓を鳴らす。和尚も負けじと三味線で対抗し、まるで和尚と狸の音楽合戦である。それから毎晩、和尚と狸たちは唄い踊っていたのだが4日目の晩、狸たちが一向に現れないので和尚が不思議に思っていると翌朝、庭には調子を取っていた大狸が腹を破って死んでいた。不憫に思った和尚はその大狸を懇ろに弔ってやった。」という話です。

発表会まであと2週間となりました。発表会の取り組みを見ていて、ふとこの話を思い出すことがあります。楽器演奏でも、歌でも、踊りでも、とても楽しいものです。でも、楽しいものでも競争となると違ってきます。確かに競争することで、がんばる気持ちとかよいものにする意欲が湧くことがあります。それを否定はしません。でも競争は、結果的に周りが見えなくなってしまいます。この狸のように、体の調子が悪くなっていたり、心が壊れ始めていたりしていることに気づきにくくなります。そのことを楽しんだり、向上することの喜びから、ただ勝つことに心を奪われてしまうからです。

私は「発表会を通して何を子どもたちに伝えたいのか」と聞かれたら、「協力することの大切さ」とか「個々の違いを認めて強みを生かすことの大切さ」などと答えると思います。そして、「それが後回しになってしまうと、勝つこと、つまり、周りからの見た目を優先してしまうと、大切なものを失ってしまうと思う」とつけ加えるでしょうね。27日の発表会は、子どもが主体的に楽しんで取り組む行事です。どんな姿を見せてくれるか、楽しみにしていてください。

2010年11月5日

No.167 三瓶での自然観察会

4日(木)は、ぞう組さんとさくら保育所の年長児との交流があり、三瓶山へ行ってきました。とてもいい天気で、サヒメル周辺の北の原の自然と十分に触れ合ってきました。その内容は、まず始めにサヒメルのスタッフに連れられての自然観察、その後は「ススキの迷路」を楽しむというコースです。いろいろと楽しい体験ができたわけですが、自然観察が終わった後にサヒメルのスタッフとの会話もとても楽しかったので、ここで書いてみます。

私「この自然観察の進め方にはマニュアルのようなものがあるんですか?」

スタッフ「マニュアルやプログラムは特にありません。あるとしたら『自然に触れることを楽しむ』ということくらいで、子どもたちが興味をもつものがあれば、それを積極的に取り上げていくだけです。よく自然観察会というと、植物の名前を一つ一つ教えたりするものがありますが、あれをやっても終わったら忘れてしまっているということがほとんどなんです。知識を与えようとするのではなく、子どもたちが自然に対して興味を持てるように、まずは子どもの好奇心を引き出すことを大事にしています。」

私「今日は3チームに分かれて、それぞれのチームにスタッフの方がついてくれました。様子を見ていて『おや?』と思ったんですが、どのチームもコースは違うし、やっていることも違っていました。それには何か意味があるんですか?」

スタッフ「スタッフにはそれぞれ得意分野があって、それを生かした自然観察を行おうと思ったら、やることはバラバラになってしまう。ただそれだけのことです。その方が自分たちも楽しく自然を伝えられますから。」

まずは子どもの好奇心を引き出そうとしていること。みんなが同じことをするのではなく、それぞれの得意分野を生かそうとしていること。どれもあさり保育所で大切にしていることですし、そのやり方で行われた自然観察の時間は、子どもたちが本当に生き生きと活動していました。もしこれが、単に知識を教えようとしたり、スタッフの個性が生かされない画一的なプログラムで行われていたとしたら、子どもたちにとって楽しい体験とはならなかったのではと思います。今回は素敵なスタッフのおかげもあって、子どもたちは目や鼻や耳、体全体を通して、三瓶の自然から多くのことを感じてくれたと思います。

2010年10月29日

No.166 自転車の免許証

あさり保育所ではこの春から外遊びの遊具として自転車を取り入れています。今回はこのことを取り上げることにします。既に知っている方も多いと思いますが、あさり保育所で自転車に乗るためには免許証が必要です。免許証を手に入れるためには、ある条件をクリアしなければなりません。その条件は「自転車に乗るときの約束を園長先生に宣言する」というものです。

約束とは「乗りっぱなしにせず、きちんと片付ける」「人がたくさんいるところでは乗らない」「人にぶつからないようにする」の3つです。これらのことを伝えた上で「免許証が欲しくなったらいつでも言ってきて」と話してあり、今現在免許証を持っている子は23人です。(ちなみに、「約束が守れなかった場合は、1週間の免停」になるというルールもあります。)

自転車に乗ることについて、私は2つのことを考えています。まず1つ目は、自転車に乗れることがすごいのではないということです。みんなに自転車に乗ることを楽しんでもらいたいという思いはあります。自分の足で走るのとは違うスピード感は爽快ですし、何より、乗れるようになったときに達成感はできるだけ多くの子に体験してもらいたいと思っています。でも、それ以上に体験してもらいたいことは、ルールを守るということです。当然のことですが、道路を走る場合、守らなければいけないルールがあります。ルールに従って乗らなければ他人に迷惑をかけてしまうことになります。これは保育所という社会の中でも同じで、好き勝手に乗っていては、みんなで楽しむことはできませんし、怪我をする子も出てきてしまいます。ルールを守って乗るから自転車は楽しめるんだということを、体験を通して感じてもらいたいと思っています。

そして2つ目は、選ぶことで責任を学んでほしいということです。免許証を手に入れるかどうかは本人の自由になっています。これを無条件で全員に渡すとなると、自分の責任で約束を守ることは難しくなると思います。自由というのは好きなようにさせるということではありません。人は自分で決めたことをやらない限り、責任をとることができません。様々な活動で、自分の意志で選択する場面を多く取り入れているのは、責任を教えるためでもあります。「ボクはぞう組になったら免許証をもらいにくる」と宣言しに来てくれた子もいましたが、これもその子なりに責任を学んでいる最中だなあと、嬉しくなりました。

2010年10月22日

No.165 お昼寝前の出来事

今週火曜日の、お昼寝前の出来事です。ぞう・きりん・くま組さんはお昼寝前に紙芝居をみんなで見る時間があります。何を読むかを決めるのはぞう組さんの役目で、決まったら保育者が子どもたちに読んであげるという内容です。ところがその日は少し違っていました。紙芝居を選んでいたぞう組のYくんが、「今日はボクがみんなに読んであげたい」と言ってきたそうです。その申し出をうれしく思ったK保育士はYくんに任せることにしました。Yくんはみんなに紙芝居を読んであげながら、周りで紙芝居と関係なく騒いでいる子がいると注意したりと、見事にその役目を果たしてくれました。大人の出番は全くありませんでしたし、周りの子もYくんのその日の役割をきちんと受け入れて、集中して聞いていたのも印象的でした。

私たちが大事にしていることの1つに、子ども同士の関わりをどう生み出すか、ということがあります。子ども同士の関わりといっても、みんなが一緒に遊ぶということだけでなく、役割をもって関わり合うということが重要だと考えています。例えば今回のYくんのように、紙芝居を読める子がみんなに読んであげる役にまわることがあります。紙芝居を読んで聞かせる目的が、日本語の正しい発音を伝えることにあるような場合は大人が読むべきでしょうが、そうではない場合は、子どもたちの関わり合いの時間なることにも意味があると考えています。

これからの世界の保育の課題に、先生から子どもへのトップダウン式に教えることではなく、水平方向、つまり子ども同士の関係をどう作り出していくかということがあります。子ども同士の関係の中で、「自分のすべきことと他人にやってもらうことがわかる」「集団の中での自分の役割がわかる」といったことが大事になってきます。つまりこれは“社会”を知っていくことでもあります。子ども同士の関係の中で自分の役割を見つけていく体験を通して、「社会はいろんな人がいろんな役割をもって成り立っている」ことを感じてもらいたいと思っています。


2010年10月15日

No.164 デンマークってどんな国だろう?

昨年初めて取り組んだ年長児が対象の「科学遊び」の活動が、今年も9月からスタートしました。第1回目は、水を入れたコップの中に油を入れるとどうなるか?そこにインクを垂らすとどう変化していくか?といった内容です。別に「油には水になじみやすい親水基がなく、水のように分極もしていないため・・・」なんてことを教えるつもりはありません。ただ、その現象を見ていて、「うわー、おもしろい!」とか「不思議だなぁ」とか「どうなってるんだろう?」などと感じてもらえればそれで十分です。私たちが大切にしたいのは、知識ではなく、「知りたい」と思う気持ち、好奇心・探求心だからです。

探求心について、こんな風に考えます。例えば、今年行われたサッカーのワールドカップで、日本はグループリーグの最終戦であるデンマークとの試合に勝利し、決勝トーナメントに進出しました。このときデンマークがどこにあるのか、どんな特徴を持った国なのか、知らない日本人が多かったようです。で、国際化社会のこの時代にそれではよくないだろうということで、「デンマークについて教える機会があってもいいのでは」という話になるのがよくあるパターンです。でも、これってちょっと違いますよね。というのも、たとえデンマークについて教えてもらう機会があって覚えたとしても、今度は決勝トーナメントで対戦したパラグアイのことがわかりません。じゃあ今度はパラグアイのことも教えなければいけない、最後には全ての国のことを教えなければいけないといった風に教えることばかり増えていき、子どもも覚えることばかり増えていきます。

教えることにも限界はありますし、覚えられる量にも限界はあります。そうではなくて、「日本が対戦するデンマークってどんな国だろう?」と興味を持ち、「ちょっと調べてみよう」と思えるようにしていかなければいけないんだと思います。そのように考えること、調べようとする行動力こそ、探求心です。8歳くらいまでは、知識を覚え込ませるのではなく、「不思議だな」「どうなってるんだろう」と感じる体験をできるだけ多くしておくことが、探求心を高めるためには重要なことで、それが後に知識をどん欲に吸収する基礎となります。世界の教育は、そのような方向にどんどん変化してきています。不思議だなと感じる心、どうなってるんだろうと知りたくなる気持ち、調べてみようとする行動力。それらの高まりを丁寧に支えていくのも、私たちの大事な役目です。

2010年10月5日

No.163 親子遠足で感じたこと

昨日はぱんだ・うさぎ・りす組の親子遠足があり、一緒に参加してきました。アクアスまでのバスの中では、恒例になってきた感もありますが、みなさんに子どもの名前の由来を発表してもらいました。誰が、どのような思いで、どんな状況でといった話を、そのときのみなさんの気持ちを想像しながら聞くことができました。『もうすぐ生まれるというときに助産師さんから「名前を呼んであげて!」と言われた主人が、とっさに口にした名前がこの子の名前になりました。その時初めて聞いた名前だったのでびっくりしましたが・・・。』というこちらもびっくりする話があったり、本当にみなさんの話は様々でした。どの方の話にも共通していたのは、子どもの誕生を喜ぶみなさんの様子、家族の暖かい気持ちがあふれている様子が思い描ける話だったことです。そして、アクアスで楽しそうに子どもと接しておられるみなさんの姿を見ていて、親子の愛着関係はやっぱり大事だとあらためて感じることができました。

せっかくなので愛着関係について考えてみると、こんな興味深い資料もあります。愛着関係というと乳幼児期の親子の関係をイメージする方も多いかもしれませんが、小学生になっても大事にされなければいけないということが示されている資料です。それは、戦後の昭和22年に文部省が学習指導要領の試案をつくるときのもので、1年生及び2年生における心理的特性が挙げられています。そこには「児童は非常に活動的で、自分たちでいろいろなことをするのに興味を持っている。」「さわって見たり、味わったり、においをかいだり、五感に訴えることが多い。」など、子どもの姿を的確に表していることが書かれていて、その中の1つに「両親の愛情と教師の親切がないと、感情が著しく不安定になる。」とあります。小学生でも自発的に活動して学んでいくためには親との愛着関係がまずは大切だということです。

最近の世界の教育は8歳までは乳幼児期と捉えるべきという考えが主流になってきているので、2年生くらいまでは親子の愛着関係についての重要性の意識がもっと高まってもいいようにも思います。「両親の愛情と教師の親切が・・・」ということは、子どもが主体的に活動し学びを深めていくためには、親子は愛着関係が、そして私たち保育者は「子どもの存在を丸ごと信じる」という信頼関係の形成が大切だというわけです。お互いの立場から、愛着関係と信頼関係で子どもの育ちを支えていくことを大事にしたいと感じた親子遠足でした。

2010年10月1日

No.162 リレーの様子を見て

子どもたちの様子を見ていると、大事なことを気づかされたり、再確認させてもらったりということがよくあります。木曜日には、「おおっ、さすが!」と思う場面にいろいろと出くわしました。例えば、散歩から帰ってきた3,4,5歳児が昼食前にしていた遊びです。誰が言い出したのかは分かりませんが、棒切れを2本用意し、2チームに分かれてリレーを始めていました。どうも最近流行っているようで、夢中になって次々に交代しながら走り続け、それを見ている子もとても楽しそうな表情でした。

当たり前のことですが、リレーは人数を揃えたり、チームを決めたり、走る順番を決めたりと、調整しなければいけないことがたくさんあります。大人がやってしまえば簡単なことですが、これを子どもたちが自分ですることには大きな意味があります。みんなと遊ぶ中で様々な工夫をすることは、問題解決能力をつけていくためにはとても大事なことです。また、そこで考えたことを他の子に伝えて調整するために必要なのは、コミュニケーション能力です。今子どもたちに求められている「問題解決能力」と「コミュニケーション能力」が、リレーという遊びを通して鍛えられていることを感じました。また、その遊びを見ている子がいるということも重要です。今はその遊びに加わらないとしても、楽しさを感じあこがれをもって見ることで「やってみたい!」という気持ちが生まれ、その遊びは子どもたちの間で伝承されていきます。様々な遊びに取り組むことも大事ですが、「見る→あこがれる→やってみる→また見る→…」というサイクルを体験することもとても大事なことです。

こうしたことは子ども集団ならではの体験です。問題解決能力もコミュニケーション能力も、様々な役割があるという社会の一員としての意識も、全て様々な人とのかかわりの中で生まれてきます。少子社会だからこそ子ども同士の関わりを大事にしなければいけないと、子どもたちの姿を見ながら再確認することができました。

23年度の保育所の入所申し込みが11月から始まります。10月18日(月)と26日(火)には、新しくあさり保育所に入所を希望される方を対象に説明会を行ないます。どれだけの方が来ていただけるか分かりませんが、あさり保育所で子どもたちが体験していること、子ども集団で体験することが子どもたちにとってどれだけ重要かといったことを、しっかりとお話しようと思っています。

2010年9月24日

No.161 緑の話

目に入る景色の中でどのくらい緑があるかということを表す「緑視率」という言葉があります。その緑視率がだいたい25%あると人は緑が豊かだと感じ、精神的にもよい影響を与えることがわかってきています。これは屋外空間について使われることが多かったのですが、最近は室内空間でも同じような捉え方がされるようになってきています。

例えば、コクヨと愛媛大学の共同実証実験結果にこんなものがあります。『オフィスに植物を置くと時間の経過とともに親しみを感じる人が多くなり、緑視率が高いほど「あたたかみがある」「親しみやすい」「落ち着く」「自然だ(潤いがある)」と感じる人の割合が高く、「アメニティ(快適さ)効果」「疲労感をやわらげる効果」「癒し効果」など、心理的な快適性を高める効果が期待できる。ただし、室内の場合は、逆に緑視率が高すぎても、緑が多すぎる、うっとうしいと感じる人の割合が高くなる。』ということです。このような結果から考えると、保育室にもある程度緑のものを置くことで、子どもたちの精神的な効果がありそうです。

そんなこともあって、あさり保育所の室内にはあちこちに観葉植物が置いてあります。緑視率20%を目指しているのですが、管理のことや配置方法などいろいろ課題もあって、すぐに20%とはいきません。でも、日照の関係もありますが、植物が元気よく育つ環境は子どもにとっても優しい環境であるはずなので、少しずつ目指すところへ近づけていこうと思っています。

話は変わって、先日、樹木に詳しい方と一緒に菰沢公園へ出かけ、きれいな花をつける木、どんぐりがたくさんとれる木、背丈が高くなる木、風除けに適した木など、様々なことを教わってきました。そこで教わったことをもとに、これから少しずつ園庭の木を増やす計画を進めていこうと思います。夏は茂った葉が日陰を作り、冬は葉を落として日光を届けてくれる、そんな木がある園庭。大きく育った木を活用してツリーハウスを設置したりすることで、平面だけでなく立体的に遊べる園庭。そんな園庭をイメージしています。当然、今の泥んこ遊びや砂場での遊び、乗り物を使っての遊びも、もっともっと充実させて…。大きく膨らんだイメージを整理しながら、1つずつ形にしていこうと思います。当分の間、緑をテーマにあれこれと考えることになりそうです。

2010年9月17日

No.160 心をひとつに

運動会の開会式の中で、ぞう組さんの代表が誓いの言葉を言う場面があります。その言葉は「ぼくたちわたしたちは 心をひとつに 最後まで協力してがんばります」というものです。この言葉の意味を子どもたちがどこまで理解しているか分かりませんが、運動会の取り組みの様子を見ていて、こういうことなんだろうなぁと思わされることがたくさんあります。

例えば、本番では見られませんが親子競技の保護者役を手伝ってくれたり、競技中の道具の出し入れやゴール地点の管理役をしてくれたりするぞう組さんの姿。例えば、リレーをしているぞう・きりん組の様子に熱い視線を向けているくま組さんの姿。例えば、ぞう・きりん・くま組が玉入れをしているとき、参加したいのか、すでに参加している気持ちになっているのか、今にもみんなの輪の中に飛び込んで行ってしまいそうなぱんだ組さんの姿。例えば、うさぎ・りす組が登場すると、優しく包みこむような表情や雰囲気に変化する子ども立ちの姿。

「心をひとつに」という言葉はいろんな捉え方があると思うんです。みんなが同じことをするといったイメージがあるかもしれませんが、自分の違いを発揮し他人の違いを認めることも、「心をひとつに」することじゃないかと思っています。協力とかチームワークには当然それが必要ですよね。違っている一人ひとりが、それぞれの立場から、それぞれが出来ることをすることで、運動会という場を作り上げていく、そんなことが当たり前のように出来ている子どもたちの様子を見ていて、あらためて「すごいなぁ」と思ったわけです。そんな「心をひとつに」っていいなぁとつくづく思いました。みんなで違いを認め合って、一人ひとりの個性を十分に発揮することができて、だからこそ全体がよりよいものになる。そんな関係性を、運動会でも普段の保育でも大事にしたいと思っています。その思いを絵で表現すると、こんな感じになりました。


2010年9月10日

No.159 運動会まであと1週間

暑い日が続くので、無理はせずにボチボチと…といった感じですが、運動会に向けての取り組みが毎日いろんなクラスで行われています。子どもたちの楽しそうな表情を見ていると、行事によるメリハリはやはり大事だと感じます。運動会というと動きの活発な3,4,5歳児の種目がどうしても多くなりますが、0,1,2歳児の取り組みもぜひ注目してもらいたいと思っています。ハイハイをしたり、よちよち歩いたり、ジャンプをしたり、鉄棒にぶら下がったりと、時間をかけて獲得してきた様々な動きを披露してくれる予定です。こうした動きを獲得するに至った過程を想像しながら見ていただきたいと思います。

体を自在に動かせるようになるためにはいろんな要素が必要になりますが、例えば自分の体に対しての理解というのも運動の始まりには重要なことの1つだと思っています。生まれたばかりの赤ちゃんはどこまでが自分の体なのかという理解がまだ出来ていません。赤ちゃんはいろんな物に触ったり他人に触ったりしますが、その時に感じるのは「触った感触」だけです。でも自分に触ったときは「触った感触」と「触られた感触」が同時に起こります。ダブルタッチとも言ったりするようですが、これを繰り返すことで「どこまでが自分なのか」という範囲を探検していきます。こうして自分の体の範囲を知った上で、さらに広い外の世界へ向かう挑戦をしていくわけです。

こうした挑戦を通して子どもたちは成長していきますが、その挑戦に欠かせないのが、親や保育者による見守りや応援といった「安全基地を提供する」ことです。大人もそうですが、自分の中に確固たるもの(安全基地)がなければ新しいものに次々挑戦していくことは難しくなります。新しいことに挑戦することで成長していく私たちにとって、安全基地があることはとても重要だというわけです。運動会当日はいつもと雰囲気が違うというだけで、子どもたちにとっては十分に新しい世界です。そこでの挑戦に生き生きと向かって行くためにも、みなさんの見守りや応援が欠かせません。子どもたちの挑戦をみなさんが喜んでいる、そして応援している、その姿を見せることが子どもたちの安全基地になりますし、大きな力を生み出すことにもつながります。運動会はまだ1週間先ですが、子どもたちがどんな姿を見せてくれるか考えるとワクワクしてきます。運動会の取り組みを通して喜びや楽しさを感じてほしい、成長してほしい。そんな思いで子どもたちの挑戦を応援したいと思います。

2010年9月3日

No.158 食事の話

今週の火曜日、「いろいろな調理方法で野菜を食べてみよう」という取り組みが行われました。使用した食材は保育所の畑で収穫した大葉、かぼちゃ、ナスです。大葉は天ぷらだけでしたが、かぼちゃは焼いたり天ぷらにしたり、ナスは塩もみしたり焼きナスにしたり天ぷらにしたりと、様々な調理方法で食材の味を楽しみました。クッキングなどもそうですが、こうした取り組みは「調理室側からの保育」とも言えます。

今回の取り組みは、いつもと違った形で野菜と出会い、そのものだけを集中して味わってみるというものです。ポイントは「食べる」ではなく「味わう」というところです。「味わう」ことで子どもたちが何を感じ、どのような言葉で表現するかが大事なところです。そのことについては子どもたちからも話があったのではないでしょうか。食べるという行為は、「味覚、触覚、嗅覚、聴覚、視覚」と五感全てを活用する活動です。子どもの育ちを支える上で、この活動を充実させない手はありません。味噌汁クッキングで繊細な出汁の味を味わうことや、先で行われる予定になっている魚をさばく様子を目の前で見ることなども、子どもたちの五感を刺激するためにとても大事な活動です。

また、先週も少し取り上げた「食育」という言葉を考えてみると、最近取り上げられる「食育」は栄養指導や料理活動、栽培活動での事例が多く、どれも食材に焦点が当たっていますが、誰と食べるかということに触れられることはあまり多くありません。最近、食事をみんなで一緒に食べることによる社会的認知的発達や、自己と他者理解に効果があるのではないかということが発表されています。みんなで一緒に食べることで食欲が増すということは以前から知られています。それだけでなく、他の人と食べることで味覚が変わることも最近の研究でわかってきています。もっと言えば、たくさん食べようとする意欲が生まれたり、好き嫌いがなくなったりするのは、みんなで食べることによるということが分かってきているのです。そういう意味では、少子社会の今、保育所のように子ども集団による食事は大事にしなければいけません。

繰り返しになりますが、子ども成長にとって食事はとても大切です。栄養・調理・栽培以外にも、五感を使うことやみんなで食事をすることの意味を、もっと深く検証して具体的な活動につなげていかなければと思っています。

2010年8月27日

No.157 食事ガイドが完成しました

あさり保育所では食事についても様々なこだわりを持っています。まず、噛むことが自然と増え、油や砂糖の使用量を自然と減らすことのできる「ごはんと味噌汁」を中心としたメニューがそうです。また、子どもの小さな胃袋では成長や運動に見合うだけの食事を3回でとることができないため、「おやつは第4の食事」と考えて、おにぎりなどの穀類を主としています。食材についても、味噌・醤油・酢などはできるだけ添加物の入っていないものを使用していますし、お米は毎朝保育所で精米したものを使用しています。

それ以外にも、味付けなどの調理方法の改善などを試みて工夫することを目的とした「2週間サイクルメニュー」や、自分の食べる適量を理解することを目的とした「バイキング方式」などがあります。実際に食材を扱うことで食に対しての関心を深めることを目的とした、味噌汁クッキングやカレークッキングなどもあります。

細かく言えばまだまだあります。0,1歳児については、ある程度自分で食べられるようになると、もっと上手に食べることができる子の姿を見ながら真似することができるように、座る場所にも配慮しています。食器に関しても、スプーンで食べる段階ではすくいやすいように深い皿を、箸を使うようになると持ちやすい皿をといったように、段階に応じて変えています。これは全体にいえることですが、友達と楽しい雰囲気で食べることを大事にしたいので、雰囲気作りのためにテーブルクロスを敷いたり花を飾ったりもしています。

平成17年に食育基本法という法律が成立しました。行政からも「食育に取り組みなさい」といった話を頻繁に聞かされます。でも、人間にとってごくごく自然な行為である「食べること」を、法律や行政の指導のもとに動くというあり方はどうなんだろう?と、今でも思ってしまいます。睡眠基本法なんてなくても、睡眠の大切さについて考えるのが普通のあり方ですよね?
何か屁理屈みたいですが、私は子どもの食がどうあるべきかを、(食育という言葉抜きで)ごく当然のこととして深く考えていきたいという思いでいます。

で、何が言いたいかというと、このたび調理担当者による「食事ガイド」という冊子ができましたというお知らせがしたかったわけです。あさり保育所の食に対しての取り組みをまとめているので、またみなさんにお配りします。

2010年8月20日

No.156 今年のぞう組ときりん組のリレーは

夏祭りが終わり、プールの活動も終わり、今度は9月18日(土)に運動会があります。あさり保育所では運動会を「子どもの運動能力の発達を保護者に伝える」「親子のふれあいを提案する」「保育を厚くする」という3つの目的で行います。まず前半は「運動能力の発達」を伝える内容のもの、後半は「親子のふれあい」を楽しんでもらう内容のものを予定しています。

当然、今年のテーマ「自分たちの住んでいるところを知る」も、種目の様々な部分に取り入れていくことを計画しています。例えばぞう組ときりん組のリレーはこんな内容です。リレーのコースは1周が60m。ぞう組ときりん組は27名いるので、1回リレーをすると全員で60m×27=1620m走ることになります。リレーを10回行うと16.2kmとなり、だいたいあさり保育所からアクアスまで行ける距離になります。ということで、1回リレーをするたびに江津市内のどの辺りまで進んだかが分かる表を用意し、運動会当日にはアクアスに辿りつけるようにしよう!と楽しみながら取り組めるように計画されています。















実際は園庭内を走るだけなのですが、浅利→渡津→江津→嘉久志→和木→都野津→二宮→敬川→波子と市内の9号線を進んでいくイメージを持つことで、居ながらにして江津市内を散策している気分になる子もいるかもしれません。そうしたことで、リレーの取り組みに楽しさを感じてもらいたい、その楽しさによって自発的に体を動かすことに取り組んでもらいたいという願いを持っています。また、運動会という行事自体が十分に園での生活にメリハリを与えてくれますが、更にこうした取り組みを通じて生活にも子どもの気持ちにも変化が生まれます。このような工夫は「保育を厚くする」ことにつながる大事な点でもあると思っています。

他の種目の内容についても取り上げたかったのですが、まずはリレーの取り組みについての紹介です。上の写真の表はランチルームに貼ってあります。今はどの辺まで進んだのかなど、お子さんといろいろお話をしてみてください。

2010年8月6日

No.155 両立ではなく調和を

次世代育成行動計画というものがあるのを知っていますか。これは「次代を担う子どもたちを育てるための教育と子どもを生み育てやすい保育環境」を充実させるための計画で、江津市の計画を審議する会に私も参加させてもらっています。この会に参加するたびにいつも気になっていることに、「仕事と子育ての両立」という言葉があります。目的については十分に理解できるのですが、目指す形が“両立”でいいんだろうか?と疑問を感じ、その思いをその会でも投げかけています。

「両立」という言葉はいろんなところで使われていますが、とても難しいことではないかと思っています。「あちらを立てればこちらが立たず。こちらを立てればあちらが立たず。」という言葉がありますが、果たして「あちらもこちらも立つ(=両立)」というケースが世の中にどれだけあるでしょうか。そんなものはほとんどなく、「あちらを立てればこちらが立たず」のケースがほとんどだということを、私たちは経験を通して知っていますよね。

話を仕事と子育てに戻すと、例えば仕事がたくさんあって忙しいときに子どもが熱を出したらどうするか。まだまだ仕事が残っているときに、子どもが本を読んでとねだってきたらどうするか。こんなときに両立なんて恐らく無理だろうと思います。残念ながら、どんな時でも1日は24時間しかありません。これはどんな立場にあっても、どんな人でも平等です。こんなときこそ両立させようと考えるのではなく、調和とかバランスという考え方にならなければいけないのではないかと思います。

何でもかんでも欲しがるとか、すべてをパーフェクトにしようとか、すべてを欲しがっても、どこかで無理がきてしまいます。そうではなく、限られた24時間をどう使うか、どう子育てと仕事のバランスをとるかが大事なのではないでしょうか。その時々に子育てと仕事をてんびんにかけて、どちらをどのくらい選択するか。その優先順位のつけ方のセンスを磨きたいと、私はいつも思っています。子育ては決して楽なことではありません。でもその時期はあっという間に過ぎてしまい、二度と戻っては来ません。だからこそ「今」を大切にしたい、みなさんと一緒に楽しみたいと思っています。

「両立」ではなく「調和、バランス」を、私は大事にします。

2010年7月30日

No.154 競争よりも協力を

もうずいぶん前のことのように思ってしまいますが、7月11日までサッカーのワールドカップが行われていました。今回の日本代表の活躍にはずいぶん感動させられましたが、先日ある新聞に、エッセイストの小澤征良さんが日本代表についてこんなエッセイを書かれていました。

『代表チームは息を飲んで目を見張るほど、ぐんと強くなっていた。~略~一番目についたのは、選手一人一人が個人プレイよりも、チームと力を合わせることをまず第一にしている、その姿勢だ。そうすることでチームはより濃密になり、粘り強い、一つの生き物となった。選手たちに(いい意味で)自己中心的なところが無い、ということ。どこかに穴が開くと、必ず誰かがそこをカバーしている。自分のために、ではなくチームのために。』

最近は、自分さえよければいい、他を蹴落としてでも自分が得をしたい、といった考えが珍しいことではなくなっています。受験などの競争が早期教育というブーム?を生み出したりし、子どもたちに競争を強いることが少なからず見られるようにもなっています。こうした競争は子どもたちの望んでいるものではないと思いますし、何より人類が現在まで存続してきたのは互いに協力し合ってきたからだと思います。

とは言っても、世の中にはどうしても競争の要素はあります。でも私はこう考えます。例えば企業同士の競争があるとき、相手企業に勝つためにはまず自分たちの企業内での協力やチームワークによって、自分たちの仕事の質なりを上げていかなければいけないはずです。そうした協力がない状態で相手企業との競争に勝つなんてことは無理だと思うのです。競争のためにも協力は必要です。いろんな見方はあると思いますが、今回のワールドカップでの日本代表は、まさに『選手一人一人が自分の役割を自覚して協力し合い、チームのために貢献することの大切さ』を教えてくれていたと、私は思っています。

私たちは保育を行う上で「共生」と「貢献」ということを大切にしています。少子時代だからこそ子ども同士の関係を築くことが不可欠で、そのためにも競争ではなく協力することの大切さを伝えたいと考えます。一人ひとりの違いを認め、「共に生きる」こと、「互いに貢献し合う」ことを、子どもたちと共に実感することの出来る場でありたいと思っています。

2010年7月23日

No.153 夏祭りとテーマの話

いよいよ明日は夏祭りです。たくさんの方に支えられて毎年開催することができていることに感謝しています。今年の保育のテーマは「自分たちの住んでいるところを知る」で、夏祭りもこのテーマに沿って工夫しながら計画してきました。このテーマには、子どもたちが所属感を持ち足元を固めることで、安定して自発的に活動できるようになってもらいたいという思いがあります。また、地域の人とつながることで社会を知ってもらいたいという思いもあります。

今年のあさり保育所には裏のテーマもあって、「小学校以降の学びへどうつないでいくか」という大きな課題にもあらためて取り組んでいます。以前からお伝えしているように、小学校の勉強の先取りではなく、小学校に入ってから後伸びする力をつけるためにはどのような体験が必要なのか、そんなことを研究しています。その取り組みの中で1,2年生の教科書や学習指導要領を読んだりもしているのですが、そこでこんな発見がありました。

小学校で1,2年生は「生活科」という授業があります。これは、この先の学ぶことになる地理、歴史、政治、経済、社会、倫理などの基礎になるものです。その生活科の目標の中にはこんなことが書かれています。

「自分たちの生活は地域の人々や様々な場所とかかわっていることが分かり、それらに親しみをもち、人々と適切に接することや安全に生活することができるようにする。」「多くの人々の支えにより自分が大きくなったこと、自分でできるようになったこと、役割が増えたことなどが分かり、これまでの生活や成長を支えてくれた人々に感謝の気持ちをもつとともに、これからの成長への願いをもって、意欲的に生活することができるようにする。」

私たちが「地域を知る」活動の中で特に大切にしたいのは、人とのつながりです。かき氷のシロップ作りなども、今年は出来る限り子どもたちと果実をとりに出かけ、その場所だけでなくその場所を支えている人とも関わるようにしてきました。上の文章を読んでいると、こうした活動が生活科の目標とも深くつながっていくことが分かります。地域の様々な人とつながることで、自分はいろいろな人たちの中で生きていることに気づき、それが自分を知ることや主体的に活動することにつながっていってほしいと思います。テーマに対しての取り組みにも、夏祭りを通して触れてもらえればと思っています。

2010年7月16日

No.152 お昼寝とゴーヤの話

保育所にはお昼に休息の時間があり、ほとんどの子はお昼寝をします。その中で、ぞう組さんの一部はお昼寝をせずに絵本ゾーンに残って絵本を読んで過ごします。14時頃になると、きりん組さんで十分に休息できたと思う子が、絵本ゾーンで過ごしている集団に加わります。他のクラスでも、早く目覚めてしまった子は無理に寝ることはありません。これが今のあさり保育所のお昼の風景です。

お昼寝に関しては、なかなか寝られない子とよく寝る子がいる中でどのようなあり方がいいのか、以前から職員間で話し合いを繰り返していました。子どもたちの姿を見ていると、子どもによってはそれほど昼間の睡眠時間が必要でない子もいますし、また、その日の昼間の活動によって休息の量や質は変わってくることが分かります。そんなことから、子ども自身が休息が必要かどうかを判断し、どうするかを考えるやり方にしています。寝ることも寝ないことも自由なので、ぞう組さんでも「今日は寝る」と言って寝る子もいます。

子どもの睡眠の必要性は、決して年齢で決まるわけではなく、個人差や活動量によって変わってきます。最近の研究では、2歳児でも約2割はお昼寝をしなくてもいい子がいて、5歳児でも約2割はお昼寝が必要な子がいるということが分かっています。また、幼稚園と保育園を1つにしようという国の議論が高まるにつれて、お昼寝をしない幼稚園文化とお昼寝をしている保育園文化をどうすり合わせるのかという話題が増えてきています。そうなると、全員寝ることにするか寝ないことにするかとか、年長さんは寝る必要がないといった話になることが多いのですが、そうではなく、子どもの判断や選択を尊重しようといった考え方がもう少し出てきてもいいのでは、と思っています。

話はがらりと変わりますが、畑の横の砂場でゴーヤがぐんぐん育っています。園庭には日陰が少ないため何とかしたいと常々思っていて、今年はいろいろと挑戦しました(スタードームもそこに加わります)。その取り組みの1つがゴーヤによる緑のカーテンです。見た目にもずいぶん涼しく感じられ、梅雨明け以降には少しは威力を発揮してくれると思っています。当然できたゴーヤはみんなで食べようと思いますが、食べ切れない分は保護者のみなさんにおすそ分け出来ればと考えていますので、お好きな方はチェックしてみてください。

2010年7月9日

No.151 スタードームの話とプール遊びの話

4日(日)にスタードームが完成しました(子どもたちにはまだ秘密にしています)。保護者会の提案からスタートした「スタードーム作り」ですが、たくさんの方に協力していただき、大人が見てもわくわくするような素敵なドームが出来上がりました。本当にありがとうございました。出来上がったものが素晴らしいということもありますが、参加された方が本当に楽しそうに作業されている姿やそこに込められた思いが子どもたちに伝わることは、子どもたちの育ちに大きな影響を与えるんだろうと思いました。

ここでも紹介したことのある“学力の高いフィンランド”ですが、その理由についてフィンランド政府が説明していることにこんなことがあります。
「すべてのレベルが相互に作用し合い、協力している。また共通な理念を持っている。」「“皆で社会を築いていこう”という学習概念に拠っている。」
これを簡単に解釈すると、最初の言葉は『お互いの協力』です。それが次の言葉の『みんなで社会を築いていこう』という意識を支えることになります。保育園・学校と保護者が同じ価値観を持って、協力して子どもたちの育ちを見守っていこうという姿勢が高い学力につながっている、ということです。あさり保育所は、保育に対しての理解や様々な面での協力など、保護者のみなさんに支えられています。そのことをあらためて感じ、うれしく思っています。

話は変わりますが、今週火曜日からプール遊びが始まりました。プール遊びの取り組みは昨年度までと同様に、「水遊びは大好きだけど、顔に水がかかるのはちょっと…」という“かにグループ”、「顔に水がかかってもいいけど、でも潜ったりするのは苦手」という“さかなグループ”、「しっかり泳いで遊びたい」という“いるかグループ”の3つのグループから選択して取り組みます。今年はそれに加えて、プール遊びで挑戦したい目標を一人ひとりが立てることに取り組んでいます。目標を立てるためには自分自身を知らなければいけませんし、その目標が達成された時やできなかった時の感情に向き合うことは、自分の感情を理解していくためにとても大切なことです。自分の感情と向き合うことは、自分で自分のことを客観視することで、そこから感情をコントロールすることへつながっていきます。さらにそれは、他人の気持ちを考えることにもつながっていく大切なことです。このことについて、またどこかで触れたいと思いますが、とにかく今年のプールの取り組みも楽しみにしていてください。

2010年7月2日

No.150 安全基地があるからこそ

先週の土日に、ぞう組さんがさくら保育所のひまわり組さん(年長児)と一緒にお泊り保育を行ないました。いろいろ感じることはあったのですが、その中から1つだけ取り上げてみます。お泊まり保育は決まった流れがある中でいつも生活している友達と過ごすものではありますが、とはいっても初体験のため、日常の保育とは違って、実際にはどうなるんだろうといった不安が当然あったはずです。その中で、「どうなるか分からないこと」に向き合いながら丸1日過ごしたことは、子どもたちとって得るものの大きい体験だったと思います。

子どもは「どうなるか分からない」新しい体験に次々挑戦することで成長し、世界を広げ、自分を作り上げていきます。でも、そのためには「どうなるか分からない(不確実である)」ことだけではダメで、「分かっていること」「安心感があること」が同時になければいけません。その状態でこそ、自発的に新しいことに挑戦しようという意欲が湧いてくるからです。

これは親子の愛着関係でもよく言われることですが、例えばイギリスの心理学者ジョン・ボウルビィという人が「安全基地」という言葉で説明しています。『人間は生まれたときから新しいことに挑戦することで成長を遂げるわけだが、新しいことにチャレンジするには意欲が必要になる。その意欲を支えるのが「安全基地」。赤ちゃんが次々と探索活動をすることができるのは、自分のことを見てくれていて、必要なときにはいつでも助けてくれる、そんな親の存在=安全基地があるから。』といった内容です。これが愛着関係だと言っています。いつも見てくれているという安心感を子どもが感じていることが、不確実な未知の世界へ挑戦していく意欲を支えているわけです。

日曜日の朝、お迎えに来られた保護者の皆さんの表情から、我が子に対する思いが伝わってきました。皆さんが子どもの安全基地になっているからこそ、子どもたちはお泊り保育をやり切ることができたんだと、あらためて感じました。またぞう組以外の子も、安全基地があるからこそ普段の生活の中で次々と新しいことに挑戦できているんだということを、再確認することができました。見守られている安心感が子どもの自発的な活動を生み、その体験の積み重ねが世の中の不確実なことに対応していく力につながっていくことを、強く実感できた活動でした。

2010年6月25日

No.149 雨も大事な教材です

前回「雨の日の散歩」について少し触れました。子どもたちにぜひ体験させたいこととして、私たちが積極的に保育に取り入れていきたいと考えていることです。と思って雨の日の計画を立てていたら、梅雨にも関わらず何故か雨が降ってくれなくなりました。自然から何かを学ぶというのは、思い通りにはいくことばかりではないことを学ぶことでもあるのかもしれません。そんな現状ではありますが、先週S保育士が全国私立保育園連盟という団体の研修に参加し、そこで聞いた“雨の話”にとても興味をもったとの報告を受けました。その話はとても参考になることが多かったので、ここで紹介します。

その話は、フィンランドで教育に携わっている藤井ニエメラみどり氏が、フィンランドの乳幼児教育を紹介してくれたものです。フィンランドといえば、OECD(経済協力開発機構)の2003年の生徒の学習到達度調査(PISA)で、読解力と科学的リテラシーで1位、総合成績でも1位という結果となり、世界的に注目を浴びるようになったことでも有名です。そんなことから、そこにつながる保育のあり方についても、当然注目を浴びています。

そんなフィンランドですが、幼児施設ではほとんど毎日森へ遊びに行くようです。それは雨の日も同じで、室内で遊ぶのではなくレインコートを着て出かけるそうです。子どもにとっては雨も教材であり、遊び道具となります。雨には雨の良さがあると考えているようです。そして、こんな言葉が紹介されました。『天気に良いも悪いもない。悪いものがあるとしたら、その天気にそぐわない服装をすることである。』というものです。晴れでも雨でも、その天気を生かせるかどうかは私たち次第ということを教えてくれている、とても力のある言葉だと思います。

少し前まで私たちは「雨が降ったら園舎内でいかに遊ぶか」を考えていましたが、子どもたちにとっての大事な教材である雨をもっと活用しようという発想に切り替えることにしました。雨の日の独特の匂い、雨の冷たさや心地よさ、普段は何も無いところに小川ができ、次々に水たまりできていくのを見た時のワクワク感など。皆さんも経験があると思います。今子どもたちに必要なのは、そうした様々な体験です。その体験が探究心を高め、後の知識の獲得へつながっていきます。雨の体験ができる日が来るのを楽しみに待つことにします。

2010年6月18日

No.148 とりあえず工事は終了

園庭の工事がとりあえず終了しました。もうしばらく細かい作業は続きますが、とりあえず大きなものは終了です。ご協力いただきありがとうございました。今回の工事で、園庭の姿がずいぶん変わりました。ブランコとうんていが移動し、乳児が主に使う砂場が移動して大きくなり、テラスの一部を外に伸ばしスペースを作りました。それらの工事以外にも、高所が苦手なB保育士が木の上での作業に取り組み、ブランコ脇のクスノキに竹を立てかけて遊び場を作りました。今後の予定としては、芝生のメンテナンス、鉄棒の設置などがありますが、本格的な夏の外遊びに向けてなんとか間に合わせたいと思っています。

今回園庭を改修したことで、子どもたちの外遊びの変化を大いに期待しています。「園庭で遊びたい」という欲求が湧き出てくるようにすることがまず一番の目標で、そして遊ぶ中で様々な動きや子ども同士の関わりをどう生み出すかが、これからの工夫次第だと考えています。工夫次第で園庭での遊びの意味はいくらでも変わってきます。様々な動きという点で言えば、例えば新しくなった砂場の周りにはいろんな高さの丸太が並んでいます。この丸太の部分から砂場に入るには、「またぐ」か「登って降りる」ことをしなければいけません。小さいことですが、このようにいろんな種類の動きが必要な箇所を、もっと意図的に取り入れていこうと思っています。

外遊びの充実は園庭だけでなく、敷地外での散歩のあり方もいろいろと模索していきます。「住んでいるところを知る」目的で、浅利町の中でも今まで行くことのなかった場所をコースに取り入れています。子どもにとって学びにもつながる「雨の日の散歩」も行っています。お世話になった人に子どもたちの作ったお礼の品を届けに行く、という散歩もありました。また今週は、「2つのグループに分かれて別の目的地へ出かけたのに、偶然途中で出会う」という散歩も行いました。東川沿いを通って高仙の登山道へ歩いていくグループと、9号線を通って高仙の登山道へ歩いていくグループが、途中で“偶然”出会った訳ですが、子どもたちにとって新鮮な喜びがあったようです。

こうした取り組みには、自然や人、地域とのつながりを強めることや、様々な体験を数多くするといったねらいがあるのですが、それにはまだまだ工夫が必要です。そのためにも様々なことに取り組み、それを検証し、次につなげていくことを、今後も楽しみながら続けていこうと思っています。

2010年6月11日

No.147 大事な大事な探索活動

先月の園便りで、「子ども一人ひとりの様々な興味」は同じ仲間を集める集合の概念につながり、さらにコレクションという行為になっていき、それが子どもの行動の中でも大切な「探索活動」の動機につながっていくということを書きました。そしてこの探索活動は、子どもの好奇心や探究心を更に高めることになり、そのことが子ども自身が知識を求めることにつながり、結果的に知識量が増えていくことになるということを、前回のひとりごとで書きました。

子どもたちの遊びを見ていると、本当に様々なものに興味を示すことが分かります。何でも知りたがり、触ってみたりやってみたりという場面は、いたるところで見られます。例えば「手で触ってみる」探索活動について考えてみます。子どもが手で触れて探索する範囲は、歩行とともに一気に広がっていきます。歩いていて手に触れる様々なものに対して興味を持ちます。その中で、子どもにとって非常に魅力的なもののひとつに「石」があります。人間は、大昔から石を活用していろいろな道具を作ってきました。おそらく石を見ていると何か心が動かされるのでしょう。その手触りも子どもにとっては気持ちがいいようです。なので、外を歩いていて石を見つけると、それを拾って大事そうに持ち帰ります。

同じように、人間が昔から道具として使ったものに「棒」があります。この「棒」も探索活動には欠かせません。手の延長としての棒は、人類が握った最初の道具だったんだろうと思っています。子どもは、棒のように細長いものに強い興味を持ちます。山などを歩いていても、すぐに木の枝などの細長い物を見つけ、それを手に取り、大事そうに持ち歩きます。そして、棒で周りのものを叩いたりすることで、モノの性質を見きわめるという探索活動の道具として使い始めます。

そのほかにも、虫や葉っぱ、小さな花など散歩に行くと必ずといっていいほど持ち帰ってきます。そのために室内が汚れたりすることもありますが、保育所ではげた箱などに置いておけるようにしています。そこに置いてあるものは、子どもたちの探索活動の成果でもあります。子どもたちが、日々の様々な活動の中で、探索活動を通して更に好奇心や探究心を大きく育てていることを想像しながら、明日の保育参加にのぞんでいただくこともオススメです。

2010年6月4日

No.146 感情が揺り動かされるような体験

最近、幼児教育における「科学する目」が重要視されています。でも、何が科学かということはなかなかわかりにくいものがあります。昨年度は年長児を対象に様々な実験(水と油、鏡などを使ったもの)を行いました。そのとき子どもたちは、驚き、いろんな発見をしてくれました。科学の語源は「知る」ことなので、幼児に対して「科学する目」を養おうとすることは、「知る」という人間の自然な能力を育んでいるということになります。しかも、子どもは本来いろいろなものを知りたがるという特徴があるので、生まれながらにして科学する心を持ち合わせているということにもなります。その心が好奇心や探究心という言葉になると思っています。

有名な生物学者レイチェル・カーソンは、「センス・オブ・ワンダー」という有名な本の中で次のように書いています。
『ひとたび、美しいという感覚、新しく未知なるものへの興奮、共感、同情、感嘆や愛などの感情がわき起こると、感情をゆり動かしたものへの知識を渇望するようになる。そして、その知識が見出されると、永続的な意味を持つのだ』
驚きや発見といった経験は、その子にとって長く価値を持つ大切なことだと示してくれています。知識は、子ども自らが強く求めたものでなければいけません。知識とは、教え込まれ叩き込まれるものではなく、知りたいという好奇心がなければいけません。そのためには、まず、感情がゆり動かされるような体験が必要になります。

少し話はそれるかもしれませんが、老子の言葉として伝わっているものに『聞いたことは忘れる。見たことは覚える。体験したことは分かる。』というものがあります。それに付け加えて「見つけ出したことは身に付く。」という言葉もあります。それぞれの行動による学びの効果を、記憶に残る割合で示した数字がアメリカで発表されていますが、『聞いたときは10%、見たときは15%、聞いて見たときは20%、話し合ったときは40%、体験したときは80%、人に教えたときは90%』だったそうです。意欲や好奇心、探究心を高める環境作りをすることによって、子どもは自ら知識を求めるようになり、その結果知識量が自然に増加するということが、このようなことからもよくわかります。まず私たちは、体験を、その中でも感情が揺り動かされるような体験の場を、できるだけ多く用意することを考えなければいけないと思っています。

2010年5月28日

No.145 具体的な体験の大切さについて

あさり保育所では、「もじ・かず・かがく」の切り口から子どもたちに必要な就学前教育について研究を始めることにしました。そのための話し合いが今月からスタートしています。保育所は最終的には小学校へと子どもたちを送り出すわけで、小学校以降の学びへどうつなげていくかは大きな課題です。しかし、早期教育のように学校で教わることを早くから教えるのではありません。算数のドリルなどを取り入れるとか、そういうことではありません。あくまでも、学校に入ってから後伸びする力をつけたい、学校での学びに対して意欲的に取り組めるようしたい、そのための取り組みを行うということです。そのためのキーワードは「具体的な経験」です。

例えば算数について考えてみます。ここで問題を出すので、じっくりと考えるのではなく、直感的に答えを出してみてください。

Q1.「10人の子どもが縦に並んでいます。前から3番目の子は、後ろから何番目でしょう?」

数字や数式を先に覚えてしまっていると、とっさに「10-3=7だから、後ろから7番目」と答えてしまうかもしれません。でも答えは、「前から3番目の子は、後ろから8番目」です。

Q2.「マラソン大会が行われています。4位で走っていたAくんは、頑張って3位の人を追い抜きました。Aくんは何位になったでしょう。」

ここでもQ1と同じで、「3位を追い抜いたから、3-1=2で2位」と答えてしまうと間違いです。答えは、3位を追い抜いても「3位」になるだけです。

数字を覚えたから、数式を覚えたから算数が分かるということにはなりません。具体的な体験が背景にあって、ようやく理解につながっていきます。そのために、乳幼児期にどれだけ具体的な体験をしたかが重要になってきます。ではどんな体験が必要かといえば、何も特別なことではなく、砂場に穴を掘って深さを比べたり、山を2つ作って高さを比べたり、棒切れを集めて長い順に並べてみたり、そんな体験が算数の大事な基礎になります。こうした体験を日常生活の中で体験しておくことが、就学前教育では大切なわけです。そんなことについて、他の教科についても同じように、研究を進めていく予定です。これ以外にも就学前教育を考えるときの大事なポイントがあるので、少しずつにはなりますが、今後この場でも触れていこうと思います。

2010年5月21日

No.144 個性の尊重とは

あさり保育所では「個性の尊重」とか「個性の重視」ということを大切にしているのですが、たまに外部の方からこんなことを質問されることがあります。「個性を尊重することは、子どもを放任することになりませんか?」とか「個性を重視するというのは、子どもの思いのままに行動させることですか?」といった内容です。こういうことを聞くたびに、ずいぶん勘違いがあるなあと思ってしまいます。今回は、この「個性」や「個性の尊重」について、書いてみようと思います。

個性とは、その名の通り「個人的な特性」のことを指します。人には様々な個人差があります。その個人差には大きく二通りあるような気がします。一つは、個々によって違う発達のスピードです。たとえば、いつ歩けるようになるか、いつおむつが取れるようになるかなどです。しかし、この個人差は広い意味では個性を形成するうえで影響を及ぼすことはありますが、それがそのまま個性にはなっていきません。それは、質の個人差ではないからです。それに対してもう一つの個人差が、質の個人差です。たとえば、「絵が得意」とか「何かを作るのが得意」とかいうもので、これはそれぞれの質の個人差なので個性になっていきます。この二つの個人差は、それを援助し尊重されなければなりません。それは、子どもの発達を助長することが大人の役目であり、一方、各自の特性を生かすことが社会を形成するうえで大切だからです。

先日の保護者講演会で来ていただいた藤森平司先生は、「社会は様々な職業や役割で成り立っています。一人ひとりが持っている様々な興味や得意なことを生かして1つの社会をつくることが、人間として意味のあることです。一つの価値観を押し付けるのではなく、集団の中で様々な個を育むことが、これからの子育てや乳幼児教育には大切なことです。」と言っておられました。

男女にしても、年齢にしても、子ども像にしても、私たちはずいぶん思い込まされているものが多くあります。そうした思い込みや先入観を持つことなく子どもたちと向きあい、子どもたち一人ひとりが本当の自分を見つけていけるようなお手伝いをしていきたいと思います。それが「個性を尊重すること」だと、私たちは思っています。

2010年5月14日

No.143 親子遠足の話

今週の水曜日にぞう・きりん・くま組の親子遠足がありました。バスが出発した直後に出雲周辺ではまとまった雨が降り出したとの情報が入ったため、手引ヶ丘公園の遊具で遊ぶのは難しいと判断し、急遽出雲科学館へと行き先変更しました。そんなことはありましたが、出雲科学館では楽しいひとときを過ごすことができ、ホッとしました。今回の親子遠足のバスの中では、自分の子どものいいところ、お気に入りスポット、今はまっていること、得意な料理などを聞く時間がありました。後で聞いたのですが、1号車ではKさんより「保育所の畑の周りにあるヨモギを家で天ぷらにして食べました。美味しかったです。」という報告?があったようです。そのシーンを想像しただけで楽しい気分になります。畑で育てている野菜だとちょっと困りますが、ヨモギでよければいつでも採ってください。こんな風に、保育所にあるものが家庭の食卓に上がるというのもなかなかおもしろいと思うので、他にも何かできないか、ちょっと考えてみようと思っています。

さて話は出雲科学館に戻りますが、さすがに「科学館」というだけあって、子どもだけでなく大人も好奇心を刺激されるものがたくさんありました。科学という英語は「science」で、その語はラテン語の「scire」を語源としていますが、それは「知ること」という意味です。子どもが本来持っている、いろいろなものを知りたがる気持ち=好奇心を引き出すことは乳幼児期にこそ大切にしなければいけないことで、科学館で体験したようなことは子どもたちにとって意味の大きなことです(詳しくはまたどこかでまとめることにします)。

これは、小学校以降での学びを考える上でも重要なことです。何かを学ぼうとするよりは、「何かを知りたい」「何かをやってみたい」という探究心をもつことの方が、結果的に自発的な学びにつながっていくことになります。雨が降っているのを見て、「どうして雨が降るんだろう?」という探究心をもつことが「理科」になり、「出雲は降っているけど、江津では降っていなかった。どうしてだろう?」という疑問が「社会」になります。そして「雨は外国でも降るんだろうか?では、アメリカでは雨はなんと言うんだろうか?」ということが「英語」になります。そして疑問を持つだけではなく、そこから行動することで知恵が湧いてきます。そのように、全ての学びの基礎にあるべき「探究心」「好奇心」「意欲」について、あらためて考えさせられた親子遠足でした。

2010年5月7日

No.142 来週は保護者講演会があります

以前、読売新聞の記事の中で、フィンランドに留学した北海道教育大教授の庄井良信さんが、その体験を話しておられました。『1990年代の終わりごろ、フィンランドに留学した。現地で思い出すのは、保育園で行われていた昔語りだ。テンションを上げる必要はない。話は静かに始まり、子供たちも静かに集まって車座になる。各家庭でも、子供が思春期になるまで、ベッドサイドで親が読み語りをするのが普通だ。この国では、物語を語る人と聞く人との間に、私たちが忘れかけていた原風景がある。人が語る言葉にはそれぞれに人生の重みがある。語り合うことで、人と人との知恵が重なり、新しい物を生み出す力が発揮される。これが、教育大国フィンランドの社会的土台にある、人と人とのコラボレーション(協働)だと、私は考えている。』

フィンランドと言えば、学力調査で世界一の学力と評価されてから、世界中から視察やフィンランドの教育方法を研究する人が増えている国です。記事にあるようにフィンランドでは、子どもと親が、子どもと教師が、そして子どもたち同士が対話し、「ともに学び合う」ことをとても大切にしているそうです。そして、フィンランドの子どもは、競争で人に勝つといったことに余計なエネルギーを使いません。「3か月前と比べてここは伸びてきた」「ここは持ち味だから頑張ろう」「ここは苦手だけど先生が応援してくれるから頑張ろう」。それぞれが自分の人生を豊かにするために学んでいるのです。

来週の土曜日に行われる保護者講演会の講師、藤森平司さんはこんなことを言っておられます。『人の遺伝子は社会を形成するために様々なものが組み込まれている気がしています。それは、現在人間が持っている特性を見ても、集団を形成することに適しています。そして、その集団は競うためにあるのではなく、共生し、協力するために必要だったはずです。しかし、いつの間にか競争社会と言われ、人に勝つこと、人より抜きんでることが目標になり、そうなることによって一つの価値観での競争になっていっています。様々な人がいるからこその社会のはずが、同じようなことを全員一斉にやり、その中で競争させられています。もう一度、それぞれの役割の中で、協力したり、協働していく社会をつくらないといけない気がします。』

私たちはどんな価値観をもって目の前の子どもと向き合うべきなのか。土曜日の講演会で、みなさんと一緒に学びたいと思います。

2010年4月30日

No.141 子どものお手伝い

前回はクッキング活動について書きました。この活動は、大人がすることを子どもにやってもらうということで、「お手伝い」という意味もあります。保育所では様々な「お手伝い」がありますが、今回はこのことについて書いてみます。保育所で子どもたちにお手伝いをしてもらうのには、大きく2つの目的があると思っています。1つは、他人の代わりをしたり、他人を手助けしたりと、そこから他者や集団に貢献する心を育んでもらいたいということがあります。この場で何度も書いていることですが、様々な人と社会を作っていくために、共生と貢献の考え方を大切にしてもらいたいからです。

そしてもう1つ、手伝うそれぞれの行動には、子どもたちの育ちに大切な要素が含まれているということです。例えば食後の掃除の手伝いでの「雑巾がけ」は、転んだときにパッと手をついて頭を守るための大事な練習でもあります。例えば小さい子のお世話をする「りす・うさぎ組当番」などの活動は、相手の思いを何とかして理解しようとしたり、様々な方法で自分の思いを伝えようとしたりするなど、コミュニケーションの力をつける大切な活動でもあります。また、回数は少ないですが、子どもたちがクッキングをするときなどに、その材料の買い物に行くこともあります。アニメのドラえもんやサザエさんなどでもよく登場するこの「おつかい」には、買うものを覚えて行くこと、お店でその素材のよしあしを見分けること、買うものを注文すること、時には値段の交渉をすること、お金のやりとりをすることなど、生活に必要な様々なことが含まれています。

こうした手伝いは、子どもがすることでかえって大人にとっては手間が増えたりもするのですが、子どもにとってはとても大事な体験です。でも家庭では、雑巾がけをする機会は減っているでしょうし、少子化のために小さな子のお世話をしたりする機会は、子どもが多かった頃と比べると明らかに減ってきていると思います。また、おつかいは、車が増えたことや不審者の危険などもあるため、気軽に頼める環境ではないかもしれません。そんなこともあり、保育所ではできるだけお手伝いの体験をするようにしています。様々な手伝いの体験がままごとなどの遊びを更に豊かにしますし、必要な力をつけていくことにもつながっていきます。子どもたちがお手伝いの体験から学ぶ場を保障することも、私たちの大事な役目だと思っています。

2010年4月23日

No.140 クッキング活動について

4月のうちに、できるだけ今年度の活動の思いを伝えておかなければということで、今回はクッキング活動のことについて書くことにします。後日調理担当者からもお知らせがあると思いますが、今年度はクッキング活動を例年の倍以上に増やす計画にしています。といっても特別な料理を作るわけではありません。味噌汁作り、カレー作り、おにぎり作りを毎月それぞれ1回ずつ、それ以外にサンマを焼いたり芋汁を作ったりという季節のクッキングを数回行うといった計画です。

クッキング活動は、実際に食材を扱うことで食べ物に対しての関心が深まります。それだけでなく、子どもたちにとっては大人と同じことをしている喜びを味わうこともできる楽しい活動です。なにより、水で洗ったり、ちぎったり、こねたり、丸めたり、切ったりといった作業の一つ一つは、遊びと同じ作業が入っているため、料理は子どもにとって最高の遊びともいえます。しかも、これほど目的がはっきりしていて、結果が明確に表れる体験は他にありません。また、料理をすることによって生活上必要な技術が身につきますし、手や脳など身体的な発育にもよい影響があります。クッキング活動には、幼児期における子どもの発達に関する様々な要素がたくさん含まれています。

そんな様々な要素の中で今年度特に重視したいと考えていることは、“生活上必要な技術を身につける”という部分です。具体的に言えば「調理をするための包丁の使い方と火の扱い方」を体験から学ぶ、といったことです。それぞれの危険性を知り、その上で正しい使い方をすればどれだけ活動の幅が広がるかを子どもたちが実感できる、そんな活動にしたいと考えています。子どもの自立を考えたとき、「子どもが自分の力で生きていくスキルを学ばせる」ことが大切になります。子ども自身が危険回避能力を高め、子どもが自ら考え、様々な場面に対してどう対応すればいいかの答えを見つけていけるようにならなければいけません。そのために、子ども一人ひとりの発達を見極め、自分でできるところは手出しをせず、求めてきたときにはすぐに手を差し出すことのできる見守りの中で、この活動を行っていきます。そうやって子どもたちの「生きる力」を育んでいきたいと思っています。そんな思いを保護者の皆さんとともに持ち、体験から学ぶ場として、この活動を充実させていきたいと考えています。

2010年4月16日

No.139 22年度のテーマは

あさり保育所の昨年度の1年間のテーマは『自然』でした。子どもたちの発達を『自然』というテーマによる興味や関心の切り口から促していこうということで、様々な活動や行事を行いました。この取り組み方法は今年度も続けることになり、何度も話し合いを重ねた結果、22年度のテーマは『自分たちの住んでいるところを知る』に決定しました。

このテーマにした理由は、子どもたちに所属感を持ってもらいたいという思いがあるからです。自分は日本人で島根県に住んでいてあさり保育所の一員といったように所属感を感じることは、子どもたちの情緒の安定には欠かせないことです。自分の足元をきちんと固めることは、自発的な活動の支えになります。所属感をきちんと持つことによって、自尊感情を持ち、世の中に貢献できる人材となることにつながります。室内環境に“和”の装飾を増やしているのも所属感を持てるようにという理由ですが、それだけでなく、今年度は自分たちの住んでいるところを知ることにも取り組もうというわけです。「自分たちの住んでいるところ」の捉え方としては、主な活動場所となると保育所のある浅利町が中心にはなりますが、場合によっては江津市、島根県、中国地方、日本など、広く捉えることもあるかもしれません。

そんな思いでスタートし、さっそく小さな動きが始まっています。

①地域を知るためには、地域の人のことも知らなければいけません。地域を軸とした活動を行っていくためには、地域の人ともつながっていなければいけません。今までもいろんなつながりはあったのですが、それを更に深めていくために、地域の人との定期的な情報交換の場を持つことにし、その第1回目を先日行いました。その方たちとお話をしている中で、今まで知らなかった浅利町の地名などを知りました。例えば「猫坂」「菖蒲迫」「岡の福冨社」などです。それらがどこにあるか、みなさん知っていますか?

②浅利町のOさんに「畑アドバイザー」として野菜の栽培などを指導してもらうことになりました。Oさん以外にも様々な場面でいろんな方に関わっていただき、この地で育まれた知恵を学ばせてもらいたいと思っています。

他にもあるのですが書ききれなくなってしまったので、またの機会に少しずつ報告していきます。今後このテーマが活動にどんな変化を生み出していくか、みなさんも意識して見てもらえればと思っています。

2010年4月9日

No.138 役割の交代

新年度になって1週間が過ぎました。毎年この時期楽しみにしているのが、年長児の「役割の交代」による活躍です。昨年度の年長の子どもたちの卒園を待ちわびていたように、今年の年長児がリーダーシップを発揮し始めます。布団敷きや小さい子のお世話など、一見「大変な役割」に思えることを、保育所ではお兄ちゃんやお姉ちゃん達がまず進んでその役割を引き受けてくれます。「憧れの年長クラス」になれたことを誇りに思っているのを感じます。

子どもの様々な遊びには「役割の交代」があります。例えば鬼ごっこでも鬼につかまれば鬼を交代しなければならないし、長縄跳びなんかでも縄を回す係を時々交代しなければ面白くありません。更にその「役割の交代」は自発的なもので、「さっきから◯◯ちゃんが縄を回しているから今度は私が回すね」と自発的に役割を交代し合うことが出来る関係が、子どもの集団を支えていくことになります。時には「◯◯ちゃんはまだ小さいから、飛ぶだけでいいよ」と、思いやりで役割を免除してあげることも大事な点です。そしてその「小さい子」も大きくなれば役割を引き受け、小さい子に対しては「飛ぶだけでいいよ」とその子の分まで役割を引き受けることにつながっていきます。そうした役割を保育士が引き受けることは簡単ですし、それで遊びも成立するでしょうが、本当の意味での子ども集団の遊びとは言えません。やはり子ども集団の遊びは、子どもたち自身がそれぞれの役割を引き受けて・・・でなければいけません。

子どもの世界に限らず、大人の世界にも当然あるこうした「役割の交代」は、集団や社会を形成する上でとても重要なことですが、この「役割」の重要性の認識が薄くなり、役割を引き受けると「損をする」という考えが多くなってきているような気がします。子ども時代から集団での経験をする機会が減ってきていることも、関係していると思っています。「役割」の重要性を感じ、「役割の交代」が自発的に起きる場を用意することは、今の時代の保育所の大切な役目です。集団あそびや、役割のあるごっこ遊びなどが、これからどのように行われていくか、注目して見ていくことにします。

先週の保護者会総会では、一部のクラスで役員の定員数を超える立候補がありました。保護者会役員という「役割」を、「今度は自分たちが!」と積極的に捉えてもらっていることを嬉しく思います。そんな「役割の交代」が行われる保護者会に頼もしさを感じました。ありがとうございます。

2010年4月2日

No.137 22年度のスタート

昨日進級・入園式を終え、平成22年度がスタートしました。今年度は12名の新入児を迎え、67名でのスタートです。5月以降には6名が加わり、最終的には73名になる予定です。この73名の子どもたちがこれからの人生に向けて力強く確かな一歩を踏み出せるように、様々な人間関係の中で様々な体験を通して、必要な力をつけていくお手伝いをさせてもらおうと思っています。よろしくお願いします。

園だよりの中でもお知らせしていますが、今年度の新たな行事、3月5日(土)の「成長展」について、ここでも紹介させてもらいます。あさり保育所の行事は、「保育を深める」「保育・発達を保護者へ伝える」「親子の触れ合いと遊びの提案」「文化継承・地域理解」の4つのねらいを持って行っています。成長展は、その4つのねらいの中の「保育・発達を保護者へ伝える」「親子の触れ合いと遊びの提案」に位置づけています。子どもの発達については、身長や体重の変化だけでなく、健康・人間関係・環境・言葉・表現などの切り口からできるだけ目に見える形で子どもの育ちをお伝えしようと思っています。親子の触れ合いについては、クイズ形式を取り入れ、子どもの成長を楽しみながら感じていただけるような方法を考えています。

例えば絵などで「表現の発達」を伝えようとしたとき、見栄えのよい?作品を子どもに描かせたり、大人の思うとおりの作品になりにくい小さい年齢の子の作品を、いかにも作品のように見せる工夫をしたりといったことは、本当の意味で発達を伝えることにはならないと考えます。かといって、子どもが自由に描いた絵を見せ、「これが今の子どものありのままの姿です」というのも、間違いではないけれど少し何かが足りないと思っています。子どもの成長は点ではなく線で見て、そこにある成長のプロセスを感じることが大切です。「今、何が描けるかということでなく、どのように描けるようになったか」ということを大事にしたいというのが私たちの思いです。先日の事ですが、O保育士が「21年度の子どもの作品を整理していて、1年間で子どもの絵が大きく変化していることがあらためて分かり、感動した」と話していました。そのような気持ちをみなさんと共有できるような、そんな行事にしたいと思っています。もっと詳しいことは、成長展が近くなってからお知らせすることとします。

2010年3月19日

No.135 選ぶということ

いよいよ明日は卒園式です。卒園児の名簿を眺めながら、子どもたち1人ひとりのことを考えています。子どもたちのいろんなエピソードを思い出したり、どこまで育ちを支えることができたかを考えたりしています。前回は「人との出会いを大切にしてほしい」という子どもたちに対しての願いを書きました。今回は「選ぶ」ことについて書きます。

以前、「いきものがかり」というグループの水野良樹さんがこんなことを言っておられました。『一つのことを選ぶと一つの道が消える。好きな道を選べばよいとか、自分のやりたいことだけをやればよいとか、よく言われるが、ひとつの道を選ぶことはすごく責任のあることで、すごく厳しいことだと思う。』

この言葉はとても深い意味がありますし、いいなぁと感じました。子どもたちは毎日の生活の中で様々な場面で選択をしています。今日はどんなことをして遊ぶか、ごはんはどのくらい食べるか、といったこともそうです。一見簡単なことのようにも思えますが、選ばなかった他のことは諦めなければいけないと考えると、そこにも厳しさが見えてきます。「多い」ごはんを選んだ子は、途中で「しまった!」と思っても食べきらなければいけません。こうした活動の中で、自分の選択には責任が伴うことを学んでいきます。

また、選択するときには自分自身の経験が参考になります。そのためにも様々な経験は必要です。また食事を例にとると、食べたことのない料理が出てきた時、過去に食べた様々な料理の色や匂いを参考にして想像することは、どのくらい食べられそうかの判断を助けてくれます。しっかり食事をとっておかなければ体力が持たないことを知る経験は、量の調整の精度が上げることを助けます。子どもたちの様々な体験が、選択の質を上げていくことを支えてくれます。

人生は選ぶことの連続です。自分がどんな道を歩んでいくか、自分で決めていかなければいけません。何かを諦める厳しさも同時にあります。子どもたちが今後様々な「選ぶ」場面に直面したとき、それを避けることなく、前向きに捉えられるようになってもらいたいと思っています。保育所での生活は、そのための基礎作りの場でもありたいというのが私たちの思いです。選択の基準となるものは、その人の個性です。自分の個性を大切にして、自分らしさと責任のある選択ができる人になってもらいたいと思っています。大きな願いです。

2010年3月12日

No.134 人との出会いを大切に

来週は卒園式です。今週初めて卒園式の練習に参加し、あらためて12名のぞう組一人ひとりの顔を見ていると、ずいぶんたくましくなったと感じます。おそらく来週は、この子たちにはこんな大人になってもらいたいとか、こんな力をつけてもらいたいといった願いばかり考えているんだろうと思います。今もこの文章を書きながら、そんな事ばかり考えてしまいます。

子どもたちにつけてもらいたいと思っている力の1つに「コミュニケーション能力」があります。ひとりごとでも何度も書いていることです。コミュニケーション能力は伝える力というよりも、伝えることによって自分の考えが深まるということが大事です。共同的な学びということが盛んに言われていますが、これは共同作品を作るとか共同して何かをするということではなく、人の考えを聞いたり自分の考えを言ったりして、それらの考え方を共有して学びを深めていくこととが、もっと大切にされなければいけない点だと考えています。

子どもたちは今まさに「自分」を作り上げている段階です。その段階で大事なことは、やはり私はいろんな人との関わりだと思っています。本当の個(アイデンティティー)は集団を基盤にしないと育ちません。例えば、みんながいることで自分が何者かがわかります。自分と同じ考えの人に共感することや、自分とは違う考えを持った人と出会うことで、自分はこんな考え方を持っているんだと確認できます。自分の特徴がよくわかります。また、多くの人と関わる中で生まれる様々な感情は、他人に対しての想像力の基礎になっていきます。自分を高めてくれる周りの人を大切にすることが自分を大切にすることにつながり、そして自分を大切にすることが更にみんなを大切にすることにつながります。多くの人との出会いを大切にしてもらいたいと思っています。

話は大きく変わって、最後に1つ報告です。昨年の7月のこと(お知らせが遅くなりました)ですが、あさり保育所の活動を日本教育新聞で取り上げてもらいました。テーマは『情緒の安定』で、内容はみなさんも良くご存知の、あさり保育所の日常です。保育所の法律ともいうべき保育指針が新しくなり、それをどう保育の中で実践していくかが全国の保育園の大きなテーマなのですが、その実践例としてあさり保育所の実践を書かせてもらいました。「情緒の安定」という視点からも、子どもたちの生活を眺めてみてください。

2010年3月5日

No.133 季節感のある伝承文化を大切に

いきなりですが、保育所では、室内装飾は季節を伝える大切な保育環境と考えています。季節の活動を表現した子どもの作品や、壁面装飾、本物の草花など、保育所の中には四季を感じるものが多くあります。食事では、サンマの美味しい時期には焼いて食べたり、1月7日には七草粥を食べたりと、生活の中に季節感が途絶えることはありません。

また、保育所では季節感のある伝承文化も大切にしています。あさり保育所の行事は4種類あります。子どもの発達を保護者に伝える行事、普段できないことを体験するための行事(お泊り保育など)、親子の関わりを楽しむ行事(親子遠足、夏祭り、運動会の親子競技など)、そして伝承行事の体験です。子ども達の発達を伝えるために保護者のみなさんに来ていただく行事と言えば、きっと夏祭りや運動会、発表会あたりが印象深いものになっているはずです。運動会は健康や運動の面の育ちを、発表会は言葉や表現の面の育ちをお伝えできるように工夫しています。

そうしたものとは違って保護者の方が参加するものではないのですが、子どもたちに経験してほしいと思って力を入れていることに、季節ごとに巡ってくる日本ならではの伝承文化との出会いがあります。3日(水)に行ったひな祭り会もそれにあたります。家庭で本格的な雛段飾りをするところは減っていることから、毎年遊戯室のステージに大きな雛壇を飾るようにしているのです。ひな祭り会以外にも、七夕やもちつき会、節分など、一年を通じて伝統的な行事を欠かさないように心がけています。もし、地域や家庭で日本の伝承行事が受け継がれていて、その経験を子どもが十分にできるのなら、同じことを保育所でやる必要はあまりないでしょう。しかし、そうした経験をすることが難しくなっているからこそ、保育所での生活の中で経験させてあげたいのです。

ひな祭り会では、ぞう組さんが飾ってくれた雛段飾りの周りに自分たちで作った雛人形を飾って、みんなでその行事を楽しみました。その日の昼食はひな祭りの特別メニュー「ちらし寿司、すまし汁、菜の花和え」で、春を感じることのできる内容でした。こうした活動の「雰囲気、匂い、味わい」などの記憶が、子どもたちが日本の文化を受け継いでいくことにつながっていくと思っています。

2010年2月26日

No.132 残すところあと1ヶ月

平成21年度も残すところあと1ヶ月。今のあさり保育所のメンバーで過ごせるのもあとわずかとなりました。この時期になると、「この一年はできることを精一杯やりきれただろうか」と振り返ることが多くなります。3月で卒園するぞう組さんに、思いを十分に伝えられただろうか。また、子どもたち全員の育ちをしっかりと支えることができただろうか。そんなことを考えることが、どうしても多くなる時期です。

先週は、きりん組とさくら保育所のゆり組(4歳児)との交流があり、汽車でアクアスへ出かけてきました。お出かけというと今まではぞう組が中心でしたが、もう少ししたら年長になるという期待感を高める目的もあり、2年前からきりん組の行事として行っています。アクアスで一緒に行動しながら、ずいぶんとたくましさが感じられるようになった子どもたちを見ていてうれしくなったのですが、同時に、1年前に同じようにアクアスを楽しんだ今のぞう組の子どもたちの姿が頭に浮かんできました。あと少しで次のステージへ進んでいくことを思うと、子どもたちが大きくなるというのはこういう事だと分かってはいても、少しだけさみしい気持ちになったりもします。

「子どもは感謝の言葉を言わずに大きくなっていくものだ」とよく言われます。私はそれでいいと思っています。子どもたちは、後ろを振り返らずにひたすら前に進んでくれればいい。そして私たち大人は、子どもたちに出来ることを真剣に考え続ければいい。そんなふうに思っています。子どもたちにとって、あさり保育所は単なる通過点に過ぎないかもしれません。前へ前へと進む子どもたちのほんの一部にしか関わることのできませんが、20年後にはこんな大人になって欲しいという思いを持って、そのために今できることを全力でやっていこう、そんなことをあらためて思います。

保護者のみなさんは、親として、子どもと愛着関係を築きます。愛着とは愛することです。私たち保育者は、子どもと信頼関係を築きます。信頼とは、まず子どもを丸ごと信じることです。この愛着関係と信頼関係によって、子どもの意欲は生まれてきます。保護者のみなさんと一緒に、子どもたちの意欲的で生き生きとした活動を支えたいと思います。とりとめのない内容になってしまいましたが、そんなことをあれこれ考えています。

2010年2月19日

No.131 危険回避について②

先日、日本一(と勝手に思っています)の園庭をもった保育園を見学しに行ってきました。NHKでも取り上げられたことのある有名な保育園です。その園庭には、8m位の高さにハシゴも何もないツリーハウスがあったり、3m位の高さの石垣を登らなければ辿り着けないログハウスがあったりと、初めて見るものは圧倒されてしまいます。見方によってはすごく危険そうな遊具ばかりですが、子どもたちは「自分がその遊具で安全に遊べるか」という判断が出来ていて、またそこで遊び込める体のしなやかさも備わっているようで、全身を使って見事に遊んでいました。















またその園には寒い季節になると“たき火”が登場します。子どもたちは火の危険性を十分に把握し、その上で便利さを理解しているようで、寒くなったらそこで暖まり、また遊びに行きます。また、問題なく使えると判断された子に限ってですが、個人用のナイフが置いてあり、木の枝を思い思いに削っている姿も印象的でした。















その園の園長先生は「子どもがケガをしないようにあらゆる危険を排除した遊具は、子どもにとって面白いものではない。そしてそんな遊具は安全とは思わない。日常にある危険が当たり前のようにあって、その中でどうやってその危険を回避するかを、子ども自らが興味をもって遊ぶ中で子どもたちは学んでいく。成長とともにいかに危険回避能力をつけていくか。そのためにはチャレンジする中での小さなケガの体験はとても重要で、そんな体験ができる遊び場が今の子どもたちには必要だ。」といった意味のことを話してくれました。

最近、子どもたちの反射神経や危険回避能力も低下してきていることが問題となっています。今のあさり保育所の環境は、子どもたちが成長しながら危険回避能力を十分高めるためにふさわしいものになっているか?そんなことを一から考えてみようと思っています。そしてそのことについて、保護者の皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。

2010年2月12日

No.130 危険回避について

最近は少子社会になったために、子どもが多かった時代に比べてわが子に目が届くようになり、手をかけられるようになりました。しかし目が届くあまりに危険や大変さに大人が先に気がつくようになり、子ども自らその状況から脱しようとする前に、大人がその状況から子どもを救いだしてしまうことが多いようです。そんな中で、スイスの幼稚園のおやつの時間の光景で興味深いことが報告されていたので紹介します。

「スイスでは、おやつは日本のように大人が準備をするのではなく、2人の当番の子どもたちがおやつの準備をします。Aくんは皆のためにリンゴを切る係です。小さなナイフを使ってリンゴを切り始めました。しかし今一つ上手に切れません。担任の先生は、お手本にリンゴをこういう風に切るといいと、ほんの2切れか3切れ切ってみせました。Aくんは先生から教えられたように、リンゴを切る作業を続けました。日本ではどうでしょうか。子どもが手にけがをしたらどうしよう。他の子どもたちを傷つけたらどうしようと考えてしまうかもしれません。このことを担任の先生は次のように説明しました。子どもに危険であるからナイフを持たせないのではなくて、ナイフの危険を認識させつついかに危険を回避するかを、実際にナイフを使いながら学ばせるのがよい。勿論ナイフを使わせることについて、保護者に説明をして同意を得ているとのことでした。こうした子どもたちの自立への訓練がごく自然に行われているのです。」

子どもの自立を考えたとき、「子どもが自分の力で生きていくスキルを学ばせる」ことは当然重要なことです。子どもの周りは危険なもので満ち溢れています。それは環境だけでなく、スイスの例のようなナイフなどの道具にもあります。また、危険な生物や菌などもあります。それらすべてを取り除くことはできませんし、いつまでも付き添ってあげることはできません。だからこそ子どもの危険回避能力を高め、子どもが自ら考え、どう対応すればいいかの答えを見つけていくことが必要になります。子ども一人ひとりの発達を見極め、自分でできるところは手出しをせず、求めてきたときにはすぐに手を差し出すことのできる「見守り」の中で、そして保護者の皆さんとの共通理解のもとで、子どもたちの自立のために保育所では何ができるだろうか。何をすべきだろうか。あらためてそんなことを考えて始めています。

2010年2月5日

No.129 なかよしテーブルについて

ランチルームの側にあるオルガンの後ろに、小さな丸いテーブルが1つ、イスが2つ置いてあります。このテーブルは『なかよしテーブル』といって、昨年11月に設置されました。他の子どもともめごとが起きたとき、そこへ行って話し合いをするための場所です。このテーブルには4つのルールがあります。そのルールとは、「しっかりお話をする」「自分の気持ちを言う」「相手の話を聞く」「最後には仲直りをする」です。これは子どもたちと話しあって決め、大事な約束としてテーブルに貼ってあります。

以前は、喧嘩が起きると話し合いをするように促したり、時には職員が仲裁役のような形で関わったりしていましたが、子どもたちに関わる力がついてきたこともあり、そのための場所を用意すれば子どもたちだけ何とかするのではないかと考え設置することにしたわけです。うまく使ってくれるだろうかという心配が少しはありましたが、子どもたちは本当に上手に?なかよしテーブルを使ってくれています。

子どもがそのテーブルに向かうと、職員はよほどのことがない限り関わることはありません。子どもたちは、最初は何も言わずに長い間じーっと向き合っていることが多いのですが、そのうちに涙を流しながらでも自分の思いを言葉で主張し始めます。そしてその思いを相手の子はちゃんと聞いています。そんなお互いのやりとりが続いたと思うと、ほとんどの子がすっきりとした表情でその場を離れていきます。大人からしてみれば、今の話し合いで納得できたの?と思うこともありますが、本人同士が納得しあっているのであれこれいう必要はないのかもしれません。

人格形成ということを考えたとき、心豊かにするといった抽象的なことがすぐに浮かんできますが、「人間が社会の中で人間として生活できるように」することが人格形成の目的でもあると捉えると、物事を論理的に見つめ、それを論理的に人に伝える説明能力を養うことも、実は大事な部分ではないかと思います。これからますます求められるようになる問題解決能力やコミュニケーション能力にもつながっていきます。月曜日から保育参観が始まります。もしも「なかよしテーブル」でのやりとりに出くわすことがあれば、その様子をそっと見守ってあげてほしいと思います。

2010年1月29日

No.128 うれしい“つながり”

昨年の12月のことですが、うれしい“つながり”が生まれました。保護者のみなさんにも伝えておきたい内容なので、遅くなりましたが今回ここで書くことにします。つながりの相手は、「ぷれジョブ」という活動をしておられる「江津市の子どもの社会参加を考える会」の方々です。「ぷれジョブ」とは何か。簡単に説明すると、障害をもったお子さん(小学校5年生くらいから)が、放課後に地域の支援者と一緒に地元の企業へ行き、約1時間その企業の仕事を体験するというものです。この仕事の体験の場として、あさり保育所も加わってほしいという要請を迷わず受けることにしたのですが、それはある思いに共感したからです。

この「ぷれジョブ」は職業訓練が一番の目的ではなく、「新しい障害観をもつ・育てる」ということを大事にされています。この会の言葉を借りると、『しょうがいの意味をマイナスの見方から「みんなの助け合う力を引き出すことができる役割」のプラスの見方』に変えて活動すれば、障害をもつお子さんを中心に人のつながり(支援者など)が増え、そのネットワークがその子にとって大きな支えになっていく、そんなことを目指しておられます。これはあさり保育所が大事にしている思いと通じるところがあり、とても共感できました。

今までに何度も書いていることですが、人はそれぞれ違っていて、そして社会の中でそれぞれの役割があり、その上でいろんな人とつながっていくことが豊かな社会を作っていくことになります。一人ひとりの良いところや得意なところを見つけ、それを伸ばしていくことが、その子自身が自分の役割を見つけていくことにつながります。子ども一人ひとりが自分の役割を見つけることができるように支えていくのが、私たち大人の役目だと言ってもいいかもしれません。「ぷれジョブ」の活動に関わることで、子どもたちを含めたあさり保育所の関係者全員がそんなことを考えるきっかけにもなるだろうと思っています。

話は元に戻りますが、さっそく2月1日(月)からあさり保育所での「ぷれジョブ」の活動が始まることになりました。毎週月曜日の16時から1時間、小学4年生の男の子があさり保育所で活動します。期間は8月までを予定しています。この活動について、保護者の皆さんにも少しだけでも関心を寄せておいてもらえればと思っています。

2010年1月22日

No.127 絵画展のポイント

既に始まっていますが、1月21日(木)から24日(日)まで、グリーンモールの1Fイベントホールで絵画展が行われています。これは江津市保育所・児童館連合保護者会の活動のひとつで、あさり保育所からもぞう・きりん・くま組さんが出品しています。今回の絵画展に出品するにあたり、あさり保育所では1つのテーマを決めました。そのテーマとは「○△□を使って自由に表現してみよう」です。具体的に言うと、様々な色や大きさの○△□の紙を画用紙に貼り、好きなものを作ってもらうというものです。紙を貼るだけでもいいし、貼った後に色を塗るのもいいし、何を表現してもいいということで取り組みました。絵を描くのがあまり好きでない子も、この活動は楽しんで取り組んでいたようです。

子どもの表現活動の目的は、「感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力」を養い、創造性を豊かにすることにあります。そして、そのことがどのように発達したかを保護者の皆さんに伝えることが、今回の絵画展の目的の1つであると考えています。見栄えのいい?作品を作り上げることも表現活動の1つと考えることもできるかもしれませんが、子どもたちが「自分なりにどう表現するか」を大事にしたいというのが、あさり保育所の表現活動に対しての考え方の基本です。

今回全員が同じテーマで取り組んだ作品を、展示する前にじっくり見ていたのですが、一人ひとりの特徴がよく表現されていると感じました。また、子どもの表現はこのように成長していくんだというものが、全体を眺めているとよく見えてきます。絵画展に行かれた際は、他の子との比較として見るのではなく、わが子のその子なりの表現の育ちを見てあげてください。そして全体を眺めて、子どもの表現はこんな風に育っていくんだという流れを感じていただきたいと思います。欲をいえば、3ヶ月ごとに同じテーマで作品を作り、それがどのように変化していくかを見てもらうような絵画展であればもっといいのにと思いますが、江津市全体の絵画展なのでそこまではできません。でも機会があれば、一人ひとりの成長を保護者の皆さんに実感してもらえるように、あさり保育所の全ての子を対象にして、「健康面」「人間関係」「環境との関わり」「言葉」「表現」の全てがどのように育ったかを見てもらう場を、いつか設けてみたいと企んでいます。

2010年1月15日

No.126 いよいよ発表会

いよいよ明日は発表会です。本当にいよいよです。中身のポイントや見どころについては各クラスからのお便りを読んでいただくとして、ここでは全体のことについて少し書いておきます。あさり保育所では、発表会を通して子どもたちの「表現」と「言葉」の領域の発達を保護者のみなさんに伝えることを、主な目的としています。0,1,2歳児は生活発表が主になりますが、3,4,5歳児は「演じる」ことにも取り組んできました。例えば物語を演じるとき、子どもたちは登場人物の立場になって演じます。物語を読むことが子どもにとって楽しいのは、登場人物に身を寄せ、出来事を見守っていくことにあります。様々な体験をしていきながら、何を考え、どんな工夫をし、様々な人と出会う中でどのように困難を乗り切り、最後にどのように思いを達成するかを共感していきます。物語を通して子どもの思いを深めるためには、解釈よりも「演じる」ことの方が効果はあると思います。体験・理解・表現という過程で捉えれば、学習の体験化ということにもつながります。発表会での劇遊びには、そんな意図もあります。

そして取り組みに関しては、子ども自らやろうとする意欲をもつことを大切にしてきました。ある日のくま組さんの練習を見ていたのですが、何人かの子どもたちが笑顔でダンスを踊りながら、「あー、楽しい!!」と思わず声が出た(と思われる)シーンを見ました。このシーンは、子どもたちがこの行事に自ら取り組んでいることを感じさせてくれました。練習一つにしても、子ども自らやろうとする意欲があるかどうかで意味は大きく変わってしまいます。また、いろいろな出し物の内容について、子ども同士が話し合って決めたことが多くあります。発表会に限ったことではないのですが、子ども同士の話し合いがずいぶん増えてきました。そんなことからも行事の大切さを感じています。

最後に1つだけ。発表会は何かの完成形を見てもらう場ではなく、子どもたちの成長の過程を見てもらう場であると考えています。今週の水曜日の予行練習では、「こんなことができるようになったんだ」とか「こんな時にこんな対応ができるようになったんだ」といった、一人ひとりの成長を感じることができました。明日の発表会では、普段の保育所での生活や発表会の取り組みを通して成長してきた子どもたちの今の姿を見て、十分に楽しんでいただきたいと思います。

2010年1月8日

No.125 昔からの子どもの遊びの意味

2010年最初の「ひとりごと」です。園だよりにも書かせてもらいましたが、正月遊びについて、あらためて考えてみようと思います。昔から行われている正月遊びには、手先や脳、運動能力をつけると同時に遊ぶ中で社会を知るといった、子どもにとって大切な要素が詰まっています。その有益な知恵を、今の時代にも有益なものとして受け取る力をつけたいという思いで、個人的な見解も含めて整理してみます。凧揚げ・すごろく・かるた・羽根つき・コマ回し・福笑いなど様々な正月遊びがありますが、すごろく・かるた・コマ回しは以前取り上げたので、今回は凧揚げ・福笑いについて書いてみます。

まず凧揚げです。日本の凧とゲイラカイトを比較してみると、面白いことがわかります。勝手な解釈ですが、農耕民族の日本人と狩猟民族の欧米人では必要な力が違うため、それが凧の違いにも表れているように思います。狩猟民族は確実に獲物を仕留めるために速く走る力などが重要です。そのため欧米で主流のゲイラカイトは一人でも揚げることができますし、高く上げるためには速く走ることが必要になります。対して農耕民族である日本人は、村の人と協力しないと生きていくのは難しいので、少しずつ社会性を養なっていく必要がありました。そのため日本の凧は持ち手がいないと揚げることができません。そこで二人で協力することを学びます。もっと高く上げようとすると、速く走ることよりも、凧の反りやしっぽの長さを工夫しないといけません。この比較から、日本人は力強さよりも、協力することや工夫をすることを大切にしてきたとも言えると思います。

次に福笑いです。その出来上がりの顔が変なことを笑うのでよくないのではないかという意見もあるようですが、目・鼻・口・まゆ毛の位置や傾きで顔の表情が変わることを知るためにはよい教材だと思います。目隠しをしなくても、顔のパーツを自由に動かして表情を様々に変える体験をすることで、絵に描く人物に様々な表情をつけることを知っていくことができます。

正月遊びに限らず、昔からの子どもの遊びには成長のための意味があります。もしかすると最近の子どもの遊びは、成長のための学習ではなく、楽しさを追求した大人の遊びに近い役目を持ったものが多いのかもしれません。昔からの子どもの遊びの科学的な意味を整理する必要性を感じるようになりました。